第一部 蒼空の果て 第三章
1
明日からの段取りもひと段落し、会議室を後にした蒼は、自室へ向かう廊下を歩いていた。人工照明の薄明かりがコンクリートの壁をぼんやりと照らしている。地下に比べると、二階はやや蒸し暑い(と、感知したデータからは読み取れる)。
奥から2番目のドアを押し開けると、最低限の設備が整った簡素な部屋が迎える。ベッド、木製の棚、端末の置かれたデスク。どことなく寂しさが漂っていた。
蒼はパーカーを脱ぎ、目線を左腕へ落とした。指先を動かして、動作不良を確かめる。
(先に〈胃袋〉を洗わないと)
ベッド脇の金属製シンクへ向かい、みぞおちに軽く指を押し当てる。皮膚の下で微細な振動が走り、視界に管理画面が投影された。
《消化プロセス終了》
《栄養素の吸収率:95%》
《不要物の蓄積量:18%》
みぞおちをもう一度押し込む。
かしゃり——と小さな金属音がした。人工皮膚のシームが光を帯び、滑らかに割れていく。露出した内部機構が微かに熱を持ち、僅かな蒸気が立ちのぼる。掌ほどの大きさをした銀色の筐体が、ゆっくりとせり出してくる。中からカートリッジ状の〈胃袋〉を慎重に取り出す。
吸収しきれなかった残留物を処理し、シンクの蛇口をひねる。水流がカートリッジの内部を満たし、不要な物を洗い流していく。水が流れる音が、無機質な部屋の中に響いた。
シアンの瞳は生気なく、シンクに流れる水の反射を、ただ写して揺れる。
洗浄を終えた直後、ノックとともに扉のセンサーが柔らかく光を帯びる。
「ちょっといいか?」
ジェラードの声だった。急いで洗ったばかりの胃を元に戻し、人工皮膚が閉じるのを確認してから「いいよ」と返した。
扉が開く。工具油の匂いを纏った彼が建具にもたれる。
「頼まれてたダグの修理、終わったぞ」
「本当? ありがとう、迎えに行く!」
明るい声色を取り戻し、タンクトップ姿のまま、階下のガレージへと向かった。
ガレージに足を踏み入れると、愛車が雑多なガレージの中央で、存在感を放っていた。ネイビーのボディに滑らかに走るシアンのラインが美しい。
「わあ、きれいになってる! ありがとう!」
蒼が嬉しそうに駆け寄り、車体を撫でる。ジェラードは満足げに腕を組んだ。
「細かいとこも直しておいた。スロットルのレスポンス、ブレーキパッドも新品に交換済みだ」
「助かる。これでまた飛ばせる」
リアフレームの一角に目を遣った時、指が止まる。
〈Valk〉
いぶし銀で刻まれた小さな文字が、控えめに輝いてきた。
「あれ?」刻印を指先でなぞる。
「気づいたか」
「これ、いつ?」
「今回の修理のついでにな。お前も、もう完全にここの一員だろ?」
蒼は刻印を眺め、小さく呟く。
「ありがと。嬉しいよ」
「ね。ついでに、俺の肩も診てもらっていいかな?」
「おいおい、俺はマッサージ師じゃねえぞ?」
ジェラードが大げさに肩をすくめてみせた。
「違う。機械の方」左肩に触れる。
「爆風で配線が一本切れたみたい。放っておくと動作に影響が出そうでさ」
「仕方ねえな。座れ、診てやる」
蒼は近くのスツールを持ってくると、跨いで座った。
ジェラードは手際よく袖をまくり上げ、工具を片手に、接合部を確認する。工具の先端が、左肩の金属プレートに沿って滑る。カチリと鳴ると、装甲の一部が展開し、内部の配線が露わになった。
「なるほどな。この中指に繋がる線か」慎重に手を動かして断線した箇所を押さえる。ふと視界の端に補強パーツが映り、手を止めた。
「ん? どうしたの?」
「お前が最初にここに来た時のこと、何となく思い出してた」
蒼が目を瞬かせ、ころころと笑った。
「あの時は、びっくりしたよ。戦場にいたはずなのに、起きたらガレージなんだもん」
ふたりは、眠った記憶を掘り起こしつつ、会話した。
2
1年と少し前。
ジェラードは、最も破壊されたエリアにいた。2643年に起きた〈ラグナロク〉により、この国は壊滅的な被害を受け、多くの知識と技術が失われ、瓦礫の中に埋もれてしまった。かつての建築資材や機械の残骸でも、今の時代に再利用できるものは少なくない。生きていくためには、機械や武器の修理用パーツが必要だった。
彼はスキャナーを片手に、慎重に瓦礫の中の金属反応を探る。突然、数値が異常に跳ね上がる。
「……? 何だ?」
通常の鉄や合金とは違う、微弱な生体信号が混ざる。誤作動かと思い、もう一度スキャンをかける。しかし、確かに〈何か〉がある。
「まさか」と緊張が走った。慎重に瓦礫をどける。崩れた鉄骨を引き抜き、積み重なったコンクリートの下を掘り返す。
左上半身が半壊したアンドロイドが姿を現す。
見たこともない、繊細な人の形をした構造。
「待て、これ。生体反応がある」
息を呑む。
アンドロイドのフレームの奥、微かな脳波。
「人間、なのか?」
通常、アンドロイドは完全な機械か、人格データの模倣が主流、生体反応はない。だが、これは違う。まるで機械に守られて眠っているような状
態だ。
「ヤバいもん見つけちまったな」
慎重に瓦礫を取り除き、露出した体を確認する。左肩から腕にかけて破損が激しく、外装のカーボンシェルは剥がれ落ち、内部の回路が露出している。所々ショートし、断線もしている。
「まずい、早く修理……いや、手当てした方が良いな」
このままでは、機能が完全に停止する可能性がある。無線機に手を伸ばした。
「至、悪いが急ぎで来てくれ。ジープがいい」
ガレージに運び込まれた〈それ〉を、ジェラード、至、ルースの三人が囲んだ。修理台の上に横たわる存在。精密機械で構成された体。だが、その内部には、確かに生体が混在していた。ルースが端末を操作し、詳細なスキャンをかける。
「やっぱり、脳は生きてるわね」
至が驚いて、ジェラードに視線を送る。
「マジで言ってたのか」
「見りゃ分かるだろ」 彼は修理台の上の体を穴が空くほど凝視し、「こんなの今できる技術じゃねぇ」と続けた。
二十六世紀から二十七世紀初頭、人類が到達した最盛期の技術文明期。現在では想像もつかない兵器や医療があったに違いない。モニターに表示された解析結果が、それを裏付ける。
「脳、脊柱……中枢神経系と、右の眼球、あとは声帯も、かな。その他の部位は神経含めて完全な機械ね。人工皮膚の構造もコールドスリープのシステムも、今の技術レベルとは、まるで違う」
ルースが驚きを隠せない声で結果を読み上げる。
「ラグナロク前の技術が、こんな形で残ってたとはな」
ジェラードは自分を鼓舞すべく独り言を呟きはじめる。
「おいおい、こいつ、一体何者だ? 俺に治せるのか。分かんねえけど、やるしかないな。まずは神経と配線の仕組みからか……」
こうなると周りの声は耳に入らないのを理解している二人は、ガレージをあとにした。
3
「あの時のビビったジェラードの顔、忘れられないな」
無邪気に笑う蒼に、ジェラードは勘弁してくれよと言った顔で、ぼやく。
「おいおい、あれで俺、断髪したんだからな。電磁波ブレードの手刀、一発で髪チリチリよ」
「ごめんね、もとは戦闘中だったからさ」
「トラウマもんだぞ。どれだけ毎晩、ヘアオイルでケアしてたと思ってんだ」
「それは知らないけど、ごめんって」
「ほんと、アンドロイドは冷たいなあ」
蒼は決まりが悪そうに、鼻をかいて苦笑した。
ジェラードは一拍置くと、上半身の力を抜き、配線に向き直った。小気味の良い作業音が響いた。
細かい調整を済ませ、断線した配線を慎重に接続していく。やがて、最後のパーツを締め終え、満足げに息をついた。
「これで完了。試してみろ」
ゆっくりと肩を回す。違和感は消え、動きが滑らかになった。
「いい感じ」
「だろ?人工皮膚があれば、もっとカバーできるんだが、悪いな」
「これも貴重なパーツでしょ。充分だよ。ありがとう」
「まあ、また怪我したら言ってくれ。俺が治すから」
「うん。いつも助かってる」
「良いって。仲間だろ」
蒼は柔らかく目尻を緩めた。そこには確かな暖かさがあった。
居心地の良い沈黙。
しばらく二人は、そのまま美しく仕上がったダグを並んで鑑賞した。
4
同じ頃、ガレージに隣接した小さなダイニングには、至と龍道がいた。古びた木製のカウンターを挟み、ハイチェアに腰を下ろす。グラスから立ちのぼる蒸留酒の香りが、ゆっくり部屋の湿度に溶けていく。
「もう八年経つか。当時は冷たかったよな、俺。マーケットの門前で追い返したっけ」
龍道がふっと口元で弧を描く。至はグラスに口をつけると自分を戒めるかのごとく眉を下げた。
「まあ、無理もない。元政府の人間が、いきなり『協力したい』なんて来ても、怪しすぎる」
「しかも、堅物そうな物言いだったからな。そりゃ警戒するって」
「……自覚はある」
ふたりは小さく肩を揺らすと、過去の出来事を懐かしんだ。
「でもさ、光莉が『兄さんだよ』って言ったのは、びっくりしたよ。見た目もキャラも似てないし」
「妹の方が、社交性があるからな」
「あいつが『この人、地上の未来を考えすぎて追放されたから、本気だよ』っつーから、それで話は聞こうかなと思ったんだよな」
至は「頭が上がらないな」と失笑とも照れ隠しともつかない微妙な表情をした。
龍道はグラスをカウンターに置き、肘をついた。
「最初は信用してなかったけど、すげえわ。荒地にあれだけデカい農場作ってくれただろ?」
「いや、俺はプランをまとめたにすぎない。ルースとジェラードの技術があって、お前が農園と繋げてくれたからだ」
「自分の手柄にすりゃいいのに。やっぱり真面目だよ、おめえは」
ガレージから、賑やかな声が聞こえてきた。
「あいつらも、まだ起きてんのか」
「ジェラードが、ダグの修理が終わったとか言ってたな。また、蒼がぶつけでもしたんだろう」
「あいつ、直で接続して自動操縦できんじゃねえの? 大半はアンドロイドだろ」
「マニュアル操作したがるんだよ。下手なのに」
龍道は、面白そうに「ちょっと見に行こうぜ」と立ち上がる。至も「安全運転させないとな」と含みをもたせ、それに続いた。
5
蒼がダグに跨り、動作確認をしていたところに、ガレージの扉が勢いよく開く。
「よお。またぶっ壊したんだって?」
龍道は、明らかに面白がっていた。
「ち、違うって! 今回は、ちょっと風が強くて」
蒼が慌てて言い訳をすると、ジェラードと龍道が顔を見合わせた。
「へえ。風ねえ」
二人は揃えってニヤつき、蒼の肩を軽く叩いた。
「む!」
蒼は腕を組み、拗ねて顔を逸らし、ダグから降りる。わかりやすく不機嫌そうな表情を滲ませたが、その仕草すら、からかう二人には格好の餌だった。
ひとしきり運転の下手さをいじられた後、蒼は頬を膨らましたまま至を見る。
「ねえ、そういえばさ」言いにくそうに続けた。「結局、インペリウムってどんなところ? 上空に浮いてる島みたいなので、今の中央政府ってのはわかるんだけど」
その問いに、至は一瞬目を丸くしたが、すぐに納得して、箱型のスツールに腰を下ろす。「そうか。お前の時代には、まだ存在していなかったんだな」作業台の端に肘をつくと、至は語り出す。
「インペリウムは、ラグナロクの終結後に構築された空中都市だ。地表の汚染とインフラ崩壊を受けて、政府が都市機能を天空に移した。重力軌道上に人工浮遊体を展開し、主要な行政機関・富裕層・技術資源をすべてそこに集約したのが始まりだ」
彼は蒼が「なるほど」と相槌を打つのを横目に話を続けた。
「当初は仮の避難という建前だった。だが、数十年が経ち、インペリウムは、そのまま新しい世界を築いてしまった」
「要するに地上を、切り捨てたってことだよな」
龍道が悔しそうに呟いた。彼のような地上生まれの者にとって良い印象はなかった。
間を置いてから、更に説明が続いた。
「八年前には、天空都市の人口増加が問題になって、通称〈再選別〉と呼ばれる政策も実行された。天空都市において『評価が低い人間』が選ばれ、地上に送られた。まあ、実際には目障りな者の排除が大半だな」
「至は、その筆頭」
ジェラードが、すかさず口を挟む。
「へえ。ラグナロク前とは、随分違うんだね」
蒼が首を傾げて、状況を飲み込もうと眼を閉じた。
「俺がいた時代は、まだ地上をたくさん人が歩いてたよ。今のプレトリアの辺りに中央の機関が集中していて、その周りに軍関係者の居住区、更に外側に一般居住地域や商業地区が散らばってた。昼は穏やかで、夜はネオンが眩しくて。戦時中とは思えないくらい、賑やかだった」遠い記憶をなぞるように肩の裏側を軽く指で掻く。
「話を戻すね。プレトリアは、インペリウムが監視と統制をするため地上拠点ってことで合ってる?」
「そうだ。元々は補給基地と観測施設だったが、地上でテロ組織が増えたことで、次第に軍事拠点へと変質した。表向きは秩序維持という名目だが、本質は支配のための砦だな」
蒼はゆっくり頷く。
けれど、内心ではその現実が、自分の感覚からどこまでも遠いことを自覚していた。
「秩序ね」ぽつりと漏れたその言葉には、ただ距離だけがあった。
龍道が悪態をつく。
「なにが秩序だよな。勝手に押し付けやがって」
「上にとって都合の良い解釈でしかないからな」
至は皮肉を込めつつも、思いを吐露した。
「俺には、政府側から変えることは出来なかったが、断絶はお互いにマイナスだと思っている。この地上で出来ることを積み重ねて、少しずつでも良い方向に変えたいんだ」
「天空都市からの支援者もできたしな」
ジェラードが横から明るく言った。
「〈
「正直、わからない。だが、少なくとも、俺やルースの個人情報は、天空都市でそれなりの地位にいないと入手不可能だ。それを正確に把握しているし、送られてくるデータも質が高い。今のところ、我々にとって協力者と考えて良い、というレベルだな」
「……ふーん」
蒼は、それだけ返した。ダグのボディにうっすらと映る自分が、他人みたいだ。どこか現実味のない虚無感に沈んでいくのを感じていた。
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