第3話『多々良さんの恋愛作戦』

(さて……ここからが本番か)


 俺は深呼吸をひとつ。

 そして、部室を片付けながら、頭の中でありったけのアニメデータベースを必死に検索する。


 恋愛アニメは二百本超。

 名シーン、迷シーン、黒歴史級の失敗例──頭の中で無駄に情報が渋滞していく。


 そうこうしているうちに、控えめなノック音が扉から聞こえた。


「すみません……多々良たたらです」


 ビクッと肩が跳ねる。

 え、こんなホラー演出いらんのだが。


「……ど、どうぞ」


 俺は自分で扉を開けると、そこには不安そうに立つ多々良がいた。

 制服の袖をぎゅっと握って、俯き加減のその表情。

 これ、二次元ならもうBGMが切なげなピアノ曲流れるやつじゃん。


「どうも……こちらの椅子に座ってください……」


 気まずい。

 いや、マジで気まずい。

 さっきは天城がいたからギリどうにか話せてたけど、二人きりは死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ。


(九条残しておいた方が良かったか……?)


 そんな後悔が脳裏をよぎった瞬間、彼女が口を開いた。


「あの……ちょっと恋愛相談があって……」


「はい……」


 声、震えてるの俺じゃね?


「単刀直入に言うと、私、桐生きりゅう先輩のことが好きなんです!」


「……」


(……うん、誰?)


 脳内で完全にフリーズする。

 桐生先輩……? 桐生先輩……桐生……該当なし!!


「……桐生先輩……」


 言葉を絞り出すと、多々良は嬉しそうに小さく頷いた。

 何そのキラキラした瞳。攻略対象じゃなくて俺モブだからな?


「サッカー部の三年生の先輩で、いつも冷静で、でもすごく優しくて……」


「……ああ、あの桐生先輩……」


 なんか必死に思い出したふりをしている自分が情けない。


(いや、全然わからん。ていうか、入学して一、二ヶ月で先輩の名前なんか知ってるわけないぞ……)


「それで……どうしたら、もっと仲良くなれると思いますか……?」


 静かだった部室に、彼女の小さな声が響く。


 ──俺の脳内では、恋愛アニメ二百本分のデータが大炎上していた。


(ど、どうする!? 今までフィクションを根拠に適当に助言してきただけだぞ!?)


 そんな俺の内心の大混乱をよそに、多々良は椅子の端っこにちょこんと座り、制服の袖をぎゅっと握りしめたままだった。


「……あの、桐生先輩って……」


 必死に言葉を絞り出す俺を見て、彼女は少しだけ視線を上げる。


「サッカー部の副キャプテンです。すごく冷静で、でも後輩思いで……」


(あー! あの大会パンフに載ってた人か!?)


「それで……実は、桐生先輩とは中学のときも同じ部活だったんです。向こうは三年、私は一年のマネージャーで……」


 そこまで言ったところで、彼女はふっと目を伏せた。


「そのとき……ずっと好きだったけど……言えなくて……」


 ポツリ、と零れた声が思った以上に弱々しく、部室の中に溶けていった。


「高校に入ったら、もう一度会えて……今度こそちゃんと向き合おうって思ったんです。でも、やっぱり……全然、話しかけることもできなくて……」


(ま、マジか……中学からの片想い……!? 重い、というか……なんか眩しい……!!)


 彼女の頬は赤くなり、少し震える声で言葉を紡ぐその姿は、まさに二次元で何度も見た「正統派ヒロイン」そのものだった。


「それで、天城くんに相談したら……西宮くんがすごいって聞いて……」


 いやいや、すごくないすごくない。

 俺が「すごい」って言えるのはアニメを徹夜で見続ける集中力くらいだ。


「……なるほど」


 何とか平静を装って返事をすると、多々良は小さく息を吐いて、また袖を握りしめた。


「……先輩、私のことたぶん、名前も覚えてないと思います。中学のときも、何度か話したくらいで……」


(やべぇ……ヒロイン補正ゼロの超ハードモードだ……!!)


 心臓がどくん、と嫌な音を立てる。

 この子が今、俺に向ける真剣な目。

 それは間違いなく「何かを変えたい」っていう、眩しすぎる目だった。


「そ、そうか……」


 俺は机の角をぼんやりと見つめながら、アニメデータベースから「先輩後輩再会系」「部活再会系」「中学からの片想い系」など、該当シナリオを必死に検索する。


(えーと……あの作品では「文化祭で告白する」パターン、いや、こっちでは「体調崩した先輩を看病」……違う、あれは途中で事故るやつだ……!!)


「……っ」


 気づけば、多々良の瞳が不安そうに揺れていた。

 しまった、俺、黙りすぎたか!?


「に、西宮くん……? あの……やっぱり迷惑、でしたよね……」


「ち、ちがっ──!」


 反射的に声を張り上げると、彼女がびくっと肩を震わせた。


(やべぇぇ……! なんか、泣かせそう……!!)


「……ちがう! ちがうんだ……ただ、ちょっと、考えが……!」


 俺は必死に言葉を探し、机に置いていたペンを握りしめた。


「ちょっとだけ……時間をくれ……ちゃんと、答えを出すから……!」


 多々良は、驚いたように目を見開いた。

 そして、ほんの少しだけ、唇の端が緩む。


「……はい……!」


 部室に沈む静かな空気の中、俺は改めて、今自分がどれだけとんでもないことを引き受けたのか、ようやく理解した。

 数十秒の沈黙の後、俺がゆっくりと口を開く。


「……なるほど。つまり、桐生先輩にもっと話しかけたいけど、きっかけがないってことだな?」


 多々良は小さく頷き、視線を下げた。

 膝の上で握りしめた手が、細かく震えているのがわかる。


(やばい……こういうの、アニメだとだいたい文化祭や夏祭りイベントで盛り上がるやつだよな……でも現実じゃ文化祭まだ先だし……)


 頭の中の二次元恋愛辞典を全開でめくる。

 数秒後──電球が灯った。


「……『偶然』を、演出するんだ」


「え……?」


 多々良がきょとんとした顔で顔を上げる。

 おお、近い。やばい。心臓が死ぬ。


「つまりだな、接点がないなら偶然を作ればいいんだ。二次元では、偶然の重なりが関係を急接近させる鉄板パターンだ」


「偶然……ですか?」


「そう。たとえば、桐生先輩が教室に戻るタイミングを見計らって、たまたま差し入れを持って通りかかったフリをするとか」


「た、差し入れ……!」


 目を輝かせる多々良。

 ……かわいいかよ。


「そうそう! スポーツドリンクでも、タオルでもいい。 『部活で使ってください』って渡せば、無理なく声をかけられるし、印象も残る」


「……でも、それって……バレませんか……? わざとって……」


 不安げに視線を揺らす多々良。

 わかる、その気持ち。オタク的に言えば「露骨すぎる演出はヒロイン失格」だ。


「安心しろ、多々良。偶然を装うのが大事だが、やりすぎは禁物だ。重要なのはあくまで自然に見えるように振る舞うことだ」


 俺は得意げにドヤ顔を決めた。

 ……いや、心の中は冷や汗ダラダラだけど。


「わ、わかりました……! やってみます……!」


 多々良は少しだけ笑った。その顔は、いつもよりずっと明るく見えた。


(あれ……なんか思ったより真剣に受け取ってる……!)


「そ、それで、いつがチャンスだと思いますか……?」


「そうだな……部活終わりとかは? 疲れてるタイミングなら、差し入れの印象が強い。しかも先輩は後輩思いらしいから、きっとちゃんと受け取ってくれるはずだ」


「は、はい! ありがとうございます、西宮くん……!今からでも行ってみます!」


「い、今から!?……が、頑張れよ」


「はいっ!」


 多々良が勢いよく立ち上がり、深く頭を下げた。


 頭を上げると、笑顔で尋ねてきた。


「また明日も相談、聞いてくれますか?」


「オ、オッケー」


「ありがとうございます!」


 また深く頭を下げると、そのまま勢いよく部室を飛び出していった。


「……」


 静かになった部室で、俺はポカンと口を開けたまま固まる。


(おいおい、これ本当に成功するのか……?)


 手のひらに滲む汗を見つめながら、俺は静かに震えるしかなかった。

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