勇者の落とした攻略本

音喜多

第1話 ようこそ。トータス城へ

 俺の名は「兵士F」。

 聞いたやつは笑うだろう。

 そんなのが名前かと。

 ほかにちゃんとした名前はないのかと。


 ――ないのだ。

 俺の名は「兵士F」。

 そして、ずーっとこのトータス城の門に立っている。

 つまりは門兵なのだ。


 そして、生まれてこの方、一度も声を出したことがない。

 しゃべれないのか? 

 いや、おそらくしゃべることはできる。

 しかし、まだしゃべるときではないのだ。


 ずーっと立っていると言ったが、自分が一体いつからここに立っているのか思い出せない。

 もう何十年も立っているようでもあり、何百年、いや、何千年も立っているようでもあり、たった今立ったばかりの気もする。


 ――記憶が曖昧なのだ。

 そして、この門から一歩も動くことができない。


 ――そんな俺の前に俺の運命を変える男が現れた。

 その男は武器も防具も身につけず、布の服のみだった。

 にもかかわらず、モンスターどもがはびこる草原を抜けて、このトータス城の門の前に突然現れたのだ。


 ―― 一体どんな魔法を使ったのか? 

 丸腰でもモンスターを倒せるほどの腕っぷしなのか?

 いや、そんな魔法も腕っぷしもないような、ごく普通の布の服を着た若者だった。


 にもかかわらず、若者は言った。


「おっす。俺、勇者ジンの血を引きし者カムス。おめぇ、名前は?」


「ようこそ。トータス城へ」


 俺の口はそう発した。

 話そうと思う前にそうしゃべっていた。


「はあ? 名前聞いてんだぞ? 名前なんてんだ?」


 カムスと名乗るその男はそう言った。


「ようこそ。トータス城へ」


 俺の意思とは無関係にまたそう発していた。


「アハハ。名前聞いてんのにおかしなやつ~」


 カムスはそう言って王の間の方向に去っていった。


「ようこそ。トータス城へ」


 また俺の口はそう発した。


 その時、カムスの布の服のポケットから何かが落ちた。

 目を凝らして見ると、それは本のようだった。


「本、落としましたよ」

 俺はそう言おうとしたが、今度は口が石のように固くなり、何も発せなかった。


 カムスは噴水の横をとおり、その奥の王の間への階段を登っていってしまった。


 俺はカムスが落としていった本を拾おうと思ったが、足が動かなかった。

 だが、俺はどうしてもそれが何の本か知りたかった。


 俺は全身全霊の力を込め、右足を前に動かそうとした。

 うぐぐぐぐぐぐ……。


 ――動いた! 奇跡が起きた!


 俺は次に重い左足を前に動かし、もう一度右足を前に動すと、本まで半歩の距離に移動できた。


 そして、また、うぐぐぐぐぐぐ……。

 全身全霊の力を込め、両膝を曲げてかがみ、うぐぐぐぐぐぐ……、右手を伸ばした。

 中指の先が本に触れた!


 中指の先で本を引き寄せ、地面と本の間に人差し指を入れた。

 そして、中指と人差し指で本をつまみ、持ち上げた瞬間、なぜか俺の体は突然軽くなり、自由に動けるようになった――。


 ――こんなことは初めてだった。


 俺は本のことよりそっちのほうが嬉しくなり、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。

 そして、両腕を上に伸ばしたり、屈伸運動したり、手足をぷらぷら振ったり、その場で小走りしたりした。


 ひと通りの動きを満喫すると、俺は本を拾い、表紙を見た。


 ――『エーゲインクエスト攻略本』

 そこには、そう書かれていた。

 エーゲインとはトータス城のある大陸の名前である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る