第7話 断章 大魔法使いの記憶(1)

 誰かが呼ぶ声が聞こえた。リュミエールは、儚い夢を見ていた。――涙がこぼれた。黒髪の少女が、大きな瞳で彼女を見つめていた……。


「ノワール……?」


 と彼女は問うた。


「リュミさん! 起きてください。風邪をひきますよ!」


 少女は、リュミエールを肩を揺すった。ゆっくりと目を開けると、天井が見えた。世界樹の木目が目に入り、爽やかな香りがした。リュミエールは大きく息を吸った。空中に光の霧が現れて、あたりを照らした。光は明滅しながら彼女の体に溶けていった。彼女の目に光が宿り、少女を見つめた。ぱたりという音がして、サングラスが床に落ちた。


「寝てしまったのね……ありがとう……アイちゃん。あら、眩暈がするわ……」


 リュミエールは、新しく出来た妹を見て微笑んだ。アイは床に落ちたサングラスを拾うと、テーブルに置いた。


 リュミエールは、カウチの中から身を起こした。彼女は、髪をかき上げて、小さな欠伸をした。アイはそっと屈むと、リュミエールの顔を覗きながら囁いた。


「大丈夫ですか? いま……お茶をいれますからね」


 アイはそう言って、リュミエールの工房を出て行った。リュミエールは、上体を起こし、掌に顎をのせた。瞼が自然に落ちていった……。


――コーヒーの香り。


「あ、また寝てたのかしら……ありがとうね」


 アイが向かいに座るのを見て、リュミエールはカップを取った。香ばしい匂いが立ち昇った。湯気が顔を撫で、酸味が舌を焼いた。熱い物が食道を通り、胃に落ちた。


「美味しい。沁みるわ……」


 とリュミエールが言うと、アイは笑みをこぼして、自分のカップを手に取った。リュミエールは、アイを見ながら、お茶の残りを飲み干した。


「セラフィナから貰った、あちらの資料を見てたの。オスカーという賢者の話を聞いているうちに、昔の事を思い出してね……」


 彼女が言うと、アイが聞いた。


「セラフィナさんとの話ですか?」


「そう……。まだ話したことが、なかったわね。聞きたい?」


 とリュミエールが言うと、アイは嬉しそうに言った。


「是非! 聞きたいです」


 リュミエールは、微笑んで言った。


「じゃあ、お茶のお代わりを…たっぷり用意してね――とても長い話になるから」


 アイは頷くと、勢いよく立ち上がり、いそいそと工房を出て行った。


 リュミエールは、カウチに寝そべり、目を閉じた。精霊が集まって、小さな風を起こした。彼女が微笑むと、風は工房を渦巻いた。風は、木々や草花の香りを運んだ……シトラス……ローズ……ムスク。そして、水と薬草の苦い匂いが混じっていた。それは、彼女の故郷……エルフの国の匂いだった。


――リュミエールの記憶が語られようとしていた。

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