Memory etc
@neko_ai
プロローグ
「いやーだ、なんでそんな田舎に行っちゃったの? あなた、シティーガールのはずじゃなかった?」
80をとっくに過ぎても、東京で一人暮らしをしている友人が私に言った第一声がこれだった。
思わず私は笑ってしまった。
そう、むかし、むかしのことではあるが、私はかつてはシティーガールだったのだ。新宿や銀座をわが庭の如く自由に闊歩したものだった。
それがどうしたことか、彼女が言うところの田舎に住んで、もうすぐ4年になる。田舎とはいえ、ここは関東である。ただし、最寄りの駅までは、私の足で30分近くかかる。したがって、さて出かけようかと、駅まで頑張って歩いた時点で、疲れて、それから、電車に乗ってどこかに行こうという気力はもはや残っていない。しかも、田んぼの中を真っ直ぐ伸びている一本道をただ歩くだけだから、人にも出くわさないし、太陽に照らされるだけで何が楽しい?
戦後、一番長く住んでいた街は私鉄の駅まで10分ぐらいだったし、その道中はショップやカフェが数多くあった。道路が整備され、スーパーマーケットや色々な商店が、徐々に増えて地方都市の姿に発展するのには30年はかかっていただろうけど。
ここは、あと30年過ぎても、おそらくそれほど変化する事もない気がする。
私の足で30分歩くと駅に到達する。規模的にはかなり大きい駅だが、駅の周りには数台の自動販売機があるだけで、商店らしきものは見当たらない。
なんで、こんなところに? 最初そう思った。だけど、来てしまった。他所へ移る気力も体力もお金も、もう無い。年をとり過ぎてしまっている。そもそも、ここへ来てしまったのには私の息子が大きくかかわっている。というより息子に誘われて4年ぶりに、一緒に住むことになったのだが、もはや彼を責めてもしょうがない。責めるとしたら、あの憎むべき新型コロナの世界的な流行だろうか。もちろん私の選択間違いもあるだろう。
人生終盤もいいとこ、そろそろ、終わりが近い実感がある。
この際、何かしなくては、気が焦る。惚けて人生終わるのは嫌だし。
このままでは、認知症の陰におびえながら先が見えている人生をいくことになってしまう。
私が生きた!と実感があるのは、やはり昭和の時代だった。それ以降の30数年は、流される様に来てしまったのかというと、そういうことでもないはずだが、時間は待ってくれないし、いつの間に? という感じなのだ。
運転免許は80歳の時に返還してしまったから、どこかに行きたくても行く手段がない。ここは車がなくては、どこにも行けない陸の孤島だ。
人は想い出だけで残っている人生を生きられるだろうか。
この孤島で今の私が出来るのはそれしかないようだ。
わたしの今の生活のすべては、物語と、そして仮想の世界に囲まれて、成り立っている。
過ぎた昔を回想する。映画で疑似体験したつもりになる。小説の世界に遊ぶ。こんな孤島のような場所で暮らす、私の現実を忘れる唯一の方法。これらはすべて1人で出来る。けれど、
面白かった映画や小説の話を誰かと話したい、と思う時がもちろんある。
しかしそんな友は、ここでは望むのが到底無理なことだと、2年過ぎたころに知って、今はほとんどあきらめてしまった。
ネット配信で観たい映画が観られるこの時代は、何にもまして映画好きの私にとっては、至福の時間が格段に増えたと言える。
スマホの進化は素晴らしい。がその分、生活そのものが複雑で危険になったのも確かだけれど。
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