Memory.01 転生前の日常
「……はぁ。困ったものですね」
煌びやかな装飾が施された壁。そして規則的に立て掛けられた絵画、飾られている壺や彫刻は名匠の逸品。知識のあるものならばそれだけで家の位を推し測ることが可能だ。……まあ、杖のエンブレムで███家だと大体の国民は分かるはずだが。私でも分かったくらいだ。
この家に来た当初は芸術品の価値を知らず、それでも凄い家に拾われたことだけは分かっていた。
その価値を知った後は名匠の逸品に見惚れることもあったが、それもすぐに終わった。
私、███は元奴隷であり、現在███・███家に雇われている執事である。
それもただの執事ではなく……███お嬢様専属の執事。
お嬢様の遊び相手となりつつ様々な作法や歴史などを学ぶため、特に最初の数年は暇な時間などなかったのだ。
廊下を曲がり、手前の部屋。いつもの扉をノックした。これが私が毎日行う最初の仕事だ。
「お嬢様。お目覚めの時間です」
小声でも大声でもない、部屋の中に響く程度の声。執事長から一番初めに教わったことは今日まで役に立たなかった日はなかった。
……お嬢様に対してはあまり意味はないのだが。
「お嬢様」
もう一度ノックをしても、返事はなく――その代わりにかちゃりと鍵の開く音が聞こえた。
普通ならば顔を見せるであろう主のため、数歩下がらなければならない。……普通の貴族なら。
「失礼致します」
躊躇なくそのドアノブに手をかけ、中へ入る。他の貴族が見れば顔を真っ赤にして激怒するであろうが、幸いにも私はこの館の常識も教えられていた。
「お嬢様」
そして、中に入ると――目に入るのは、煌びやかな装飾の数々。しかし、廊下と違って絵画や彫刻のような観賞用の装飾はない。
棚やクローゼットの類も他の貴族が見れば……この家格にしては不自然に質素だと首を傾げるだろう。
部屋を一瞥して扉を閉める。そうすれば自動で鍵がかかる。
「お嬢様」
早く起きてくれと思いながらも、呼ぶだけでは目覚めないことを知っていた。諦めてカーテンを開いてベッドに日光を通す。
「ん、ぅぅ……」
「朝ですよ、お嬢様。学園へ向かわれる準備を」
「……やだ、ぁ……」
「やだじゃありません」
続くやり取りも、外部の者が見れば発狂しかねないもの。
そもそも、この年代の娘の部屋に執事が入ることが異常。睡眠から目覚めさせるために入るだなんて以ての外。本来はメイドの仕事であり、いくら専属の執事であろうと許されない行為……それは普通の貴族の話で、この家では違うのだが。
ベッドの上で日光から逃れるように目をぎゅっと瞑る少女――自分と歳はそう変わらないというのに、やけにあどけなく見える。
日を反射する炎のように赤い髪。それより更に深い深紅の瞳。
貴族は見目麗しい存在が多いというが……その中でも飛び抜けていると私は思う。ベッドに丸まっているのがちょっと台無しだが。
「じゃあ、███がぎゅってしてくれたらおきる」
見た目だけでなく言葉もあどけないものだった。
はぁ、とため息が漏れる。癖になってしまうからダメだと自分に言い聞かせながらも、もしこの場面をこの家の人物に見られても咎められないということは知っていた。当然お嬢様にも咎められることはない。
「お嬢様の年齢を考えればそろそろやめた方がよろしいかと。今年で十二。成人までそう遠くありませんよ」
「やだ。してくれないと起きない」
「…………まったく」
こうして私が朝起こしにくるのにも理由があった。
一つ目は、この部屋に掛かっている鍵のことがある。
お嬢様が眠る時から朝まではお嬢様の部屋に鍵が掛けられる。それも物理的な鍵ではなく、
この家でも魔法の扱いは頭一つ抜けているお嬢様に対し、有効的な手段はない。それこそ城の魔道士を呼ぶくらいしかないが、こんなことで呼べるはずもない。呼んだところでお嬢様は負けず嫌いなため、使い所の限られた
そして、二つ目の理由は……この家の者全員がお嬢様を甘やかしすぎることだ。
この鍵はお嬢様のわがままであり、旦那様が三日三晩お説教をすれば言うことを聞いて……このお嬢様が聞いてくれるだろうか……多分聞くだろう。
そもそも私はたまたま奴隷商に運ばれているところをお嬢様に見初められ、傍付きの執事とされたのだ。……奴隷を執事として育てるなど常識から外れている。もっと格が低い家ならばあることらしいが。
そして、幸いと言うべきか不幸と言うべきか……私はこの家でかなり信用されるようになっていた。それこそ、お嬢様を起こす仕事を任されるくらいに。いや、お嬢様が私を起床係にしたいと言ったからなのだが。普通は通さないだろう、そんな要望。
当然恩のあるこの家を裏切るつもりは毛頭ない。ないのだが。
「あと、二人きりだよ。███、いつもみたいに」
「……さすがにこんなことしてるの見つかったら俺の首が飛ぶんですよ、お嬢様」
二人で居る時は肩の力を抜いて、友人のように接してほしい。言葉も一段階崩し、最低限の敬語で良いとお嬢様に言われていた。
「それでもやってくれる███が好きだよ、私は」
「ですからお嬢様、異性に対して軽はずみな発言は――」
お嬢様が胸の中に飛び込んできて、それ以上言葉を紡ぐことは出来なかった。
「軽はずみじゃないし」
「……私は元奴隷です。今はお嬢様に付き従う存在です」
「ええ、知ってる」
「それならこんなことは早くやめた方がいいかと。後々辛くなるのはお嬢様ですよ」
「……そうかもしれない。でも、やめる気はないから」
ぎゅうと、薄手の寝巻き一枚で強く抱きしめてくる美少女。
花瓶に活けられた一輪の花を思わせる姿に、息が詰まってそれ以上反論は出来なかった。
「……では、お嬢様のお心のままに」
「そう? ならおはようのキスして」
「お戯れは程々に」
ただでさえ言い訳の効かない状況。お嬢様の言葉添えがあったとしても許されなくなる。もしそんなことをすれば……もし私に家族が居れば、というか故郷があればその村まで焼き尽くされるだろう。もうとっくに故郷はないんだが。
「お心のままにって言ったくせに」
「全てはお嬢様を考えてのことですよ」
顔を上げてきて、わざわざ頬を膨らませた姿を見せてくる。……これでいて部屋の外、そして家の外へ出れば凛としたお嬢様になるのだから指摘はしない。
「じゃあ頭撫でて」
「……主従関係が逆転していますよ、お嬢様」
「あら? それじゃあ███は私に頭を撫でられたいの?」
「いや、そうではなく――」
「それならそうと早く言ってよ。はい、場所交代ね」
「だからお嬢様――ま、魔法は禁止です!」
慌てて離れようとするも、お嬢様が指で円を描くだけでその体に吸い寄せられる。
ああもう――今日こそは防げると思ったのに。こんな姿、お嬢様以外の誰かに見られたら終わりだ。
「……♪」
いくら成人していなくとも、貴族令嬢が同じ年齢の執事を胸に抱いて頭を撫でる姿など見せられる訳がない。
けれど、ここから逃げられないことも知っている。
今は、今だけは大人しくする。それが早く終わる近道だからと。
ああもう……情けない。嬉しいだなんて、思ってはいけないはずなのに。心の奥底にしまった思いが膨れ上がってしまう。
お嬢様に新しい婚約者が見つかれば、こんなに気軽に触れ合う……というか一方的に触れてくることもなくなる。
早く見つけなければ。お嬢様が嫌がらない婚約者を。せめて成人するまでには。
その見積もりが甘かったことを知るのは――もっと、ずっと先のことである。
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