あくびを嫌う理由

薊野きい

あくびを嫌う理由

 大学の先輩である上村さん(仮名)とは、同じゼミであることがきっかけで仲良くなった。

 彼は普段温和で人当たりのよい人物だ。

 ただ、一つだけ変わった性質を持っていた。彼が見ている所であくびをすると、それが誰であろうと、別人かと思う程激怒するのだ。


 そう、あくび。眠い時、退屈な時、疲れている時など、ふとした時に自然と大きく口が開き、目尻に涙が滲むあの現象だ。


 抗いようのない生理現象を目にすると豹変する上村さんを俺と他のゼミ生は、その変わりように恐れつつ、何か心の病を患っているのではと心配していた。


 何故、上村さんはあくびをここまで嫌うのか。俺はずっと引っ掛かっていたそれをある飲み会の日、彼に思い切って訊ねてみた。


 上村さんは意外にもあっさりとを話し始めた。



 確か、あれは俺が大学一年の冬だった。

 その日もいつも連んでいた三人、竹下、藤田、岡本と遅くまで俺の家で騒いでいた。

 家にある狭いこたつに四人で入っていた。俺の正面が竹下、右が藤田、左が岡本だった。


 具体的な時間は覚えていない。だが、日付は既に変わっていた。テレビでBGM代わりに流していたゲーム実況にも飽きていた頃だ。


 左端の視界で岡本が「ふああ」と大きな口を開けた。あくびだった。

 岡本のあくびが移り俺もあくびが出そうになった。岡本の正面の藤田も数秒遅れて大きな口を開けた。


 でも、俺のあくびは引っ込んでいた。


 変なモノを見た。視界の端で大きく開かれた岡本の口からもやのようなモノが出ていった。冬に白くなった息のようだった気もするし、羽虫のようだった気もする。


 俺は思わず岡本の方を見た。次の瞬間、岡本は電池が切れたようにドタッと倒れた。部屋に響いた大きく重い音で彼の状態が正常でないと察せられた。


「お、おい、岡本」


「どうした?」


 竹下の声は震えていた。俺の声も震えていたと思う。

 岡本は俺たちの声に反応しなかった。


 ——ドンッ


 全身の毛穴が開き、冷たい汗が吹き出した。


 慌てて後ろを振り返ると藤田も岡本と同じように倒れていた。あれだけの音が立つ程床と激突したのに、藤田は岡本と同様にピクリとも動かなかった。


 突然目の前で起こった訳の分からない現象に俺と竹下は呆然としていた。

 どれだけの時間停止していたか分からない。


 気がつくと、俺より先に我に返った竹下が呼んだ救急隊員により岡本と藤田は部屋から運び出されていた。

 その後、二人の死亡が確認された。


 それから、俺たちの元に警察が来て取り調べを受けた。取り調べと言ってもドラマのような高圧的なものではなく、簡単な聴取のようなものだった。


 死んだ二人を含め、俺たち四人から薬物は疎かアルコールも検出されなかった。また、二人には特に死因となりそうな外傷も疾患も見つからなかったそうだ。


 結局、二人の死因は心不全と結論づけられた。だが、俺は今でも二人はあくびのせいで死んだと思っているよ。



「あの時、あのあくびがいたら今ここに俺はいないだろうな。……だから、俺はあくびが怖い」


 そう言ってから、上村さんはジョッキに残ったビールの残りを一気に呷った。これで話はお終いと言わんばかりに。


 そんな彼の左前に座っていた西宮の大きな大きなあくびを俺は生涯忘れることがないだろう。

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あくびを嫌う理由 薊野きい @Gokochi_Shigure

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