第5話 赤黒い血の流れる客とキャストの世界

 彩奈は、キョトンとしたような表情で

「また山口洋子さんの著書からなの。というのは、山口洋子さんはよほど水商売の悲惨さを見てきたのね。

 まあ、ネオンの下の赤黒い血のながれる水商売というものね。

 それにしても、赤坂のクラブと銀座のクラブとでは商売の仕方が違うのかしらね?

 まるでサスペンスドラマ以上のスリリングな話というより、夜叉のような話が展開できそうね」

 千尋はそれに答え

「笑っていられるのも今のうちだけ。なんてこのセリフ、脅しじゃないですよ。」

 今度は、それこそ夜叉の世界。赤坂クラブ出身の銀座クラブママがむごい殺され方をした話をご披露します。

 鳥肌が立ち、ブルブル震えないために、今のうちに準備体操をしておいて下さい」

 彩奈は興味津々のような表情をして、かかと落としを始めた。

「山口洋子が、銀座クラブのママをしているとき、ひとまわり年下のインテリの香りの漂う女性が挨拶にやってきたの。

「私は赤坂出身のクラブママでしたが、銀座は一年生ですのでよろしくお願いします」と深々と頭を下げたそのあとで

「私のよくない噂は、もう耳にされていると思います。

 でも、私は決して赤坂クラブで失敗したわけではないんですよ。

 守銭奴だとか、いろいろ言われるのは、私に対する妬みだと思っています」

 彼女は、赤坂の次は銀座で成功するという堅い決意に満ちていた。

 巷では、赤坂商法がどこまで銀座で成功するか、見ものだなという好奇の目にあふれていた。


 ところが、一か月後、その赤坂クラブ出身ママは、惨殺されてしまったの。

 犯人は、同い年くらいの男性だが、殺され方があまりにもひどかった。

 なんとボーリングのピンで頭を数回殴られたあと、東京湾に放り込まれてたというの。よほどの恨みを買ってたんでしょうね」

 彩奈は答えた。

「無抵抗の女性にそこまでするとは、その赤坂出身クラブママは、男性を使ってその加害者を苦しめたのかもしれないわね。

 その加害者もボーリングのピンで殴った時点で死んでいると確信したので、死体を隠すために東京湾に投げ込んだかもしれないわね。

 まさに悪から生じた弱さを隠すあまり、また新たな悪を行ってしまうというパターンね。それにしても、救いのない話ね。

 クラブだから、売掛金のつけで多額の借金問題があったかもしれない。

 つけとけつとは、水商売の永遠のパターン。あっ、けつというのは単にお尻というだけではなく、結末という意味でもあるわ。

 つけを払わない限り、いつまでたっても結末は迎えられない。

 水商売のつけは一年が時効だから、それまでに払ってもらえないと、キャストが客のつけを全額、被ることになるものね」


 千尋は、話を続けた。

「さっきの話に戻ります。

 山口洋子曰く、赤坂出身クラブママの葬式に参列した。

 ボーリングのピンで頭上を殴られ、東京湾に静められるという極めて悲惨な殺され方をしたにも関わらず、彼女に対して悼む言葉はなんと一言もなかったという。

「あの女は金にがめつくて、札束を数えるのが生きがいの女だった」

「計算高くて、金になりそうな男性に取り入るのがうまかった」

 目を皿のようにして、探したが、彼女を悼む声はなかったという。

 唯一の救いの言葉は

「とにかく商売熱心で、クラブを休んだことは一日もない」

ぐらいだったという。


 しかし彼女には、愛人がいた。

 相手の男性は家庭をもっていたが、その男性の子供が病気だというと、多額の金銭を寄付し、なんと夜通し子供の面倒をみたこともあったという。

 山口洋子曰く、外面菩薩で内面夜叉-外ヅラは優しい善人だが、内ヅラは血も涙もない鬼のようであるーというが、彼女の場合は、その反対の外面夜叉で内面菩薩であったのではあろうか。

 

 彼女は、東北地方の出身で進学校の女子高を卒業しており、卒業時の寄せ書きには「みな、健やかに、みな和やかに」と美しい字で書かれてあったというわ。

 彼女は、やはり赤坂クラブでよほど痛い目をしたに違いない。

 ちなみに、山口洋子は水商売の目に見える上澄みの世界で生きてきた、極めてラッキーな部類であると書かれてあったけどね」

 

 ここまで千尋が演説したあと、彩奈と千尋の間にはふと沈黙が流れた。

 思わず千尋は

「リアルとはいえ、かなり刺激的な話をしちゃいましたね。

 お気を悪くされたら、申し訳ありません」

 彩奈は

「いい勉強させてもらったわ。

 今、経営しているうどん屋と、クラブとは別世界ね。

 なんだか自信無くなってきちゃった」

 千尋はふと

「そういえば、この前、夕方六時頃、繁華街の裏通りを歩いていると、きれいな着物に厚化粧をしたクラブママが、わが娘らしい塾のカバンをもった十歳くらいの子に手を振ってるの。

 なんともほのぼのとした風景だったな」

 彩奈は

「残念ながら、私の場合は経済的事情から、娘の由梨を塾に行かせることなど出来なかったけどね。

 由梨には参考書を買ってあげるくらいだったけど、よく頑張ってたわね」

 

 ふと空を見上げると、雲行きがあやしい。

 どちらともなく、駆け足になり彩奈は

「私、千尋ちゃんの話を聞いて、自信なくしちゃった。

 由梨はまだ未成年だし、クラブママの話はよく考えてみるわ」

 千尋はちょっぴり得意げに答えた。

「まあ、私はもともと本好きで、いろんなジャンルの本を読んでいますので、聞きかじりしかないですけどね。

 でも山口洋子さんの本は、精魂込めてというよりも、女の血の匂いがしますよ。

 水商売上がりの作家などとずいぶん冷淡な目でみられたといいますね。

 クラブのつけの集金においでなすったのかいは序の口で、ネオン街の夜の蝶が、昼間の世界にしゃしゃり出るんじゃないよ、そのうち、月の光線よりはるかに強い太陽光線にめまいがし、息絶えて地に落ちるのがオチだよとか、揶揄され皮肉がられたものだといいますね」

 彩奈は答えた。

「偏見というよりも、ねたみでしょうね。

 作家の世界は文章がうまいだけじゃなくて、この人ならではという個性がなければならない。

 まあ、山口洋子さんは水商売から生じた人間関係をもとに、人の心理状態を突くような文章を書く人であり、山口洋子さんに匹敵できるような才能の人はいなかったんでしょうね」

 千尋も納得して言った。

「当時は、女流作家という言葉がありましたが、山口洋子さんの書いたものは、本でも作詞でも女性の血の匂いが漂ってきます。

 特にプロ野球選手との恋話を読んでいるときは、私まで恋しているようなときめきと喜びが伝染してきて、私のなかで眠っている恋心が芽生えそうな予感さえしますよ。下手な男とつまらない恋もどきをするなら、山口洋子さんの本でときめいた方が、よほど有意義な恋気分になれますね。

 どんな男に惚れるかで、女の人生は決まってしまうというので、私は恋には慎重にならざるを得ないですね。

 結婚しても、働かないで嫁のひものような高学歴男性もいれば、アルコール依存で子供にまでDVをする男性もいますものね。

 まあ、山口洋子さんのようになれる人は、十万人に一人だといいますがね」

 

 あっ、小雨が降り出した。

 空を見上げると、太陽の光は雲の上に隠れ、これからゲリラ豪雨が始まるかもしれない。

 彩奈は

「今日は千尋ちゃんに、いろんな知識をもらったわ。

 クラブママの方は、もう一度ようく考えてみてからにするわ。

 女の十字路という言葉があるけど、その一歩、いや半歩先を間違えただけで、取り返しのつかない落とし穴に、はまることだってあるものね。

 人生まっすぐな道とはいわないまでも、曲がり角を曲がりすぎると、とんでもないことになりかねない。

 十字路は十字架に似てるけど、十字架の横棒は人間同志平等に、縦棒は人間と神の上下関係を意味するのよね」

 きっぱりとそう言い残し、少し淋しい背中を向けて去って行った。

 千尋は、ちょっぴり彩奈の人生にプラスになったかな?

 お互い、女の十字路先の落とし穴にはまらないようにしなければならないわ。

 なんだか、人助けをした誇らしい気分だった。


 千尋は帰り道、彩奈の「女の十字路一歩先の落とし穴にはまってはならない」という言葉がひしひしと身に染みるようだった。

 バカでは女稼業はつとまらぬとは、作家の田辺聖〇さんの言葉だが、ぼんやりと読んでいたその言葉が、なぜか今は身に染み、まるで電流に打たれたかのように頭上からつま先まで千尋を支配していた。


 これからどんな現実が待ち構えているだろう。

 今年は、出産率過去最低、離婚率過去最高ーそのうち六割が未成年の子供を引き取っているという現実、子供の不登校率過去最高、それに伴うかのように自殺率も過去最高である。

 千尋は今まで、いじめを受けたこともなく、男性問題に悩んだこともなく、苦労知らずの人生を歩んできたと実感できる。

 家族や友達のほのぼのとして愛情に包まれながら、健やかに成長してきたが、それがいつまでも続くといった保証はない。


 創世記の時代、女性イブは男性アダムのあばら骨の一本から造られたという。

 だから、女性は男性に頼りたいと思うあまり、甘言にひっかかり、すべての財産を失い、家族ともぎくしゃくすることがある。

 このことは、水商売のキャストならぬ一般女性でも同じである。

 まあ、水商売のママやキャストほど結婚を強く望んでいるが・・・


 ホスト曰く

「僕は君のすべてを愛している。僕が君を一生面倒をみて、幸せにする」

 この甘言に惑わされない女性は、ほとんどいないだろう。

 しかし千尋は、この言葉ほどあやふやな幻のような言葉はないと思っている。

「じゃあ、あなたは私のすべてを知ってるの?」

「終身雇用制は三十年以上も昔に崩壊したのよ。

 年金も下がりつつある今、一生面倒をみることなどできやしない」


 自分より二十歳も年下の不倫女性に対する、中年男性の言葉

「君から僕を離れるのは自由だが、僕から君を離すことはない」

 一見愛しているようで、利用しているだけだということが、せつせつと伺える。

 まあ誰しも利用価値のある人ほど、優しくするのは通常であるが、この甘言に騙される若い女性のなんと多いことよ!

 本当に愛しているなら、離れていかれると嫉妬さえ感じるのに、この一見冷静ないや冷徹ともいえる、中年ホストのようなあやふやな幻のような言葉に惑わされ、からみつくような不倫の糸を絆と勘違いする女性は後を絶たない。


 千尋は、これからもいろんなジャンルの本を読んで、世間勉強を広めようと思う。

 急に雨粒が頭上を攻撃するかのように、激しく降りだした。

 ゲリラ豪雨がこれから始まろうとしている。

 人はみな、いっせいに逃げるように速足で駆けていく。

 しかしなぜか今の千尋にとっては、ゲリラ豪雨が心地よい挑戦のように思えるのだった。

    完



 


 

 

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中学三年生千尋の社会冒険 すどう零 @kisamatuma

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