【生きる意味】偉くならなくてもいい。他者を傷つけず、穏やかに日々を楽しむという生のかたち

晋子(しんこ)@思想家・哲学者

他人を傷つけないで、みんなで楽しくなれればそれで良いではないか

人生とは、一体何なのだろうか。


この問いに、私たちは幾度となく直面しては、その都度それらしい答えで心を繕い、やり過ごしてきた。愛、仕事、成長、幸福、成功、あるいは貢献——多くの言葉が人生に意味を与えるために宙を舞うが、そのどれもが決定的ではないことに、多くの人が薄々気づいている。


そうしてある日、ふと立ち止まった瞬間に、思い至る。

「結局、人生とは“死ぬまでの暇つぶし”なのではないか」と。


この表現に漂う虚無感を、誰かは冷笑的だと捉えるかもしれない。だが、その実、この言葉は生の本質に驚くほど近いところを射抜いている。私たちはただ、限られた時間をどう過ごすかという命題のもとに存在しているに過ぎないのだ。


では、その「暇」は、どのように埋められるべきだろうか。


多くの人が、「何か意義のあることに使わなければならない」と考える。意味のある人生を送りたい。社会の役に立ちたい。誰かに認められたい。そういった“高尚な目的”が推奨され、常に掲げられ続けている。


しかし私は、そこに少なからぬ欺瞞が潜んでいると感じている。


なぜなら、多くの「意味」や「理念」は、しばしば他人の犠牲を伴って実現されるからだ。

歴史を振り返ってみれば明白である。正義の名の下に戦争が行われ、幸福のために誰かが苦しみ、進歩という名目で切り捨てられた命がある。


そう考えたとき、「高尚であること」は決して無条件に善ではない。むしろ、その裏にある力の構造や、他者への加害性こそを冷静に見つめる必要がある。


そこで私は、こう考える。


「他人を傷つけずに、楽しんで生きること」こそが、もっとも倫理的で、かつ現実的な人生のあり方ではないか、と。


この思想は、一見して浅く思えるかもしれない。目的の放棄、あるいは成長の拒否と受け取られるかもしれない。だがそれは誤解である。ここで言う「楽しみ」とは、ただの娯楽ではない。苦しみの中にも見い出される、小さな喜びや静かな満足。争わず、奪わず、他者の楽しみも壊さない。そういった在り方そのものが、倫理であり哲学なのだ。


私たちは、あまりにも「意味を持たねばならない」という強迫観念に囚われすぎている。


だが、意味は本来、与えられるものではなく、生きるという営みの中で徐々に立ち上がってくるものだろう。であれば、「ただ楽しむ」という態度は、意味を拒絶しているのではなく、むしろ意味の原型にもっとも近いのではないか。


ところが、世の中には「他人の楽しみ」を奪おうとする者が一定数存在する。


それは単純な嫉妬かもしれない。自分が苦しいのに、他人が楽しんでいることが許せない。あるいは、自分だけが我慢しているという感覚が、他者の自由を不快にさせる。


こうした心は、実に人間的であると同時に、きわめて残酷でもある。


人が自由に楽しもうとするその瞬間、必ずと言っていいほど誰かの不快がそこに混ざる。なぜか。楽しみとは、人生におけるもっとも純度の高い幸福だからだ。だからこそ、それを奪おうとする行為には、明確な悪意が含まれている。


「楽しみを壊すことは、命を少しずつ削ることと同義である」と私は思う。



人間は、偉くならなくてもいい。


誰かの上に立たなくても、社会的に成功しなくても、意味のある言葉を語れなくても、ただ他人を傷つけずに、穏やかに、丁寧に、日々の楽しみを大切にできれば、それで充分に尊い。


偉さや功績は相対的なものであり、誰かと比較してしか存在できない。だが「他人を傷つけない」という倫理、「自分の楽しみを見つける」という態度は、絶対的なものだ。他人の評価に依らない価値だ。


私は、人類の目指すべき理想があるとすれば、それは「全人類が、お互いを傷つけず、共に楽しむこと」であると思っている。そこには競争も、支配も、犠牲もない。ただ、それぞれが自由に、静かに、自らの命を豊かにしていく世界。


それが実現されるなら、人類がどれだけ増えようと、減ろうと、本当はどうでもいいのかもしれない。



高尚な理念が人を救うとは限らない。

崇高な目的が世界を良くするとは限らない。


むしろ、「こんな楽しみがあった」「こんな美しさに出会えた」「今日も誰も傷つけなかった」

そんな、ささやかで個人的な体験の積み重ねこそが、最も根源的な人間の救済なのではないか。


人生に、複雑な意味は要らない。

必要なのは、穏やかに笑える時間と、それを奪わない優しさだけだ。


その優しさが保たれる世界であるならば、人間は何者にもならなくていい。

ただ在るだけで、もう十分なのだ。

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