第4話 問いかけ
青年と言葉を交わし、思いがけず村人の治療を行った翌朝、魔女はいつも通り小屋の外で魔力鍛錬を行った後、昼食を済ませ、お茶を淹れていた。
テーブルにつき、湯気の立つ木彫りのカップを手に、彼女は、今回の村への訪問のことを思い返していた。
いつもと変わらぬ、村人たちの仕事の手伝いと、食料品の受け取り。夜の仕事を済ませ、朝まで滞在し、いつも通り静かに村を去る……はずだった。
婆の家に宿泊する際には、夕飯の席で婆の小言──主に魔女への心配──を聞くことも常だった。
このときも、村に魔力を持つ者は見つかったのかとか、そもそも魔女をあんな遠くに住まわせるんじゃなかったとか、いつもと同じようなことを口にしていた。
しかし、青年のことを話したことだけは、いつもと違った。
加護を与えるかどうかは魔女が決めることだが、と前置きした上で、婆は青年の村での立ち居振る舞いから、彼の行動力と優しさを褒めちぎっていた。
そして青年が小屋を訪れた際に馬を貸したことを思い出して、「返しに来たときにおまえのことをいろいろ聞かれたわい」と笑った。
そんな話を聞いていたせいだろうか。その翌朝、思わず青年に声をかけてしまった。
魔女は、青年がこの小屋に来たときのことを思い出した。婆の言う通り、たしかに彼は、懸命で、真面目で、人のために行動しているように見えた。
彼女は、手に持った木彫りのカップに視線を落とした。そして、そっと両手で包み込み、語りかけるように心の中で呟いた。
「彼、あのとき手が震えてた」
「でも、カップを握ったとき、少しほっとした表情したの」
「指を組んで、大きな両手で包み込んだところが、あなたそっくりだったのよ」
「あなた、魔物と戦うなんて、できやしなかったのにね」
その語りかけに返事はない。ただ木々のさざめく音が、静かにハーブティーの香りを揺らした。
魔女は思い直した。
──自分らしくもない。この村や私にとって珍しい存在が、日常の中にしずくを落としただけなのよ──。
魔女は思考を中断し、ハーブティーを飲み干すと、瞑想に取りかかるべく席を立った。
魔女が瞑想を始めてしばらくした後、外で馬の駆け寄る音が聞こえた。訪問者を予期し、彼女は静かに魔力を収束させ、瞑想を中断した。
ほどなくして小屋の扉が叩かれ、青年の声が魔女を呼んだ。
魔女は扉を開け、青年の姿を認めて用件を尋ねた。
「どうしたの、突然?加護を授けにはまだ早すぎるわよ」
「村の子供が行方不明になって、騒ぎになっているんです!急いで、村に来てもらえませんか!」
青年の声は切羽詰まっていた。魔女は、取るものも取りあえず大急ぎで馬にまたがり、青年と共に駆け始めた。
道すがら、青年が経緯を説明した。
子供が姿を消し、両親が辺りを探したが見つからない。心配した両親が長老に相談し、魔女に頼ることになったところで、小屋への道を知っている青年が自ら申し出て、馬を借りて魔女家に急行した──ということだった。
話を聞き終えて、彼女は胸の内で、行方不明の子供の無事を強く願った。同時に、魔力行使の機会を得られたことに、また静かな喜びを覚えたのだった。
村に到着すると、二人は迷子の両親の元へ向かった。
「話は聞きました。親子のつながりを辿って子供を探します。二人とも、手を出しなさい」
魔女はそう簡潔に伝え、両親それぞれの手を取った。
彼女は目を閉じると、ほんのわずかな一瞬、かすかな微笑みを見せたが、次の瞬間には完全な沈黙に没入していった。まるで他者の存在を排除し、自分だけの大切な世界に入り込んでいくようだった。
目を閉じ、全霊を込めて子供の居場所を探そうとする魔女。そのまぶたの裏に何が見えているのか、傍からは知るよしもないが、青年は、魔力を行使する彼女から目を離せないでいた。
見返りを求めるでもなく、ただ子供の無事を願い、一刻も早く見つけ出そうと全力を注ぐ魔女。いったい何が、そこまで彼女を駆り立てるのだろう。なぜ、そこまで他人に与えることに徹するのだろう。前回と同じく、その表情は苦しそうに見える。眉間にはしわが寄り、何かを求め彷徨うような苦しみ。少なくとも、青年の目にはそう映った。先日小屋を訪れたとき、彼女は他の人とそう変わらぬ生活をしているように見えた。なのに、ここでは魔女としての顔だけを見せ、村人を寄せ付けない。それでいて、村人を助けることだけには全力を注ぐ。
その矛盾、不整合が、青年にはひどく人間的に思えた。
「見つかりました」
魔女は突然目を開き、両親にそう告げた。聞くと、子供は村はずれの崖から転落し、途方に暮れて座り込んでいるらしい。幸い怪我はしておらず、大人たちが縄の一本でも持っていけばすぐに助けられるだろう、とのことであった。
両親は、子供の居場所が分かったことに心底ほっとした様子を見せた。魔女に丁寧にお礼を述べると、すぐさま村の皆に協力を求め、一緒に助けに行ってくれる者を募った。陽の高いうちに救助してしまわねば、作業は難しくなる。村人たちによる簡単な救助隊が組織され、急ぎ子供を助けるべく村を出発した。
青年もその一行に加わりながら、ちらりと魔女を振り返った。
そこには呆けた様子でただ遠くを見つめる女性の姿があった。
無事に子供を助け出し、村に戻ったのは日も暮れ始めた夕刻のことであった。青年は、村の入口から辺りを見回し、魔女の姿を探した。彼女はすでに馬上にあり、今まさに帰ろうとしている様子だったが、一人の老婆と何やら言葉を交わしている。その老婆は、彼が村に到着したその日、魔女の小屋に行くために馬を貸してくれた、あの親切な老婆であった。
青年は、魔女と言葉を交わしたかった。今にもきびすを返しそうな魔女を引き留めるべく、二人の元へ駆け寄った。
「今日はよく駆けつけてくれたね。長引けばどうなっていたことか……」
「助かって何よりだわ」
「暗いから、帰り道気をつけてな」
そんな会話が聞こえる中、青年は駆け寄りながら声を掛ける。
「もう帰ってしまうのですか?子供とご両親がお礼をしたがっていますよ」
「見つかったならそれでいいでしょう」
「あの……あなたが魔力を使うところを、この目で、間近で見ました。すごい集中力で、あっという間に子供を探し出して……本当に、尊敬に値します」
「魔女の仕事をしたまでよ」
魔女の返事は相変わらず冷たいものであったが、青年はただそれを伝えるために魔女を引き留めたわけではなかった。
「それで、一つ気になったことがあるんです」
「この程度の魔力行使で、加護の準備に支障はないわ」
「いえ、私が聞きたかったのはそのことではありません。あなたが魔力を使う姿を見て思ったんです……なぜあなたは、あんなにも寂しそうに魔力を使うのですか?昨日もそうでした。それに、子供の居場所が分かった後も、まるで何かに気を取られているような……」
魔女は、やや目を見開き、青年をじっと見つめた。しかしすぐ元の無表情に戻り、言葉を残さずに馬を翻し去って行った。
青年はその予想外の反応に面食らい、何の言葉も発することができぬまま、去りゆく彼女の後ろ姿を見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます