飯を抜くのは序の口らしい

 森の奥深く。俺は、リューナから逃げるための計画を練っていた。


「さあ、ご主人様! いたぶってくださいませ!」


 リューナは両手を広げ、恍惚とした表情で身を震わせる。俺の右手の甲には、禍々しい主人であることを示す紋様が、そして彼女の首には奴隷の象徴である首輪のような紋様が刻まれたままだった。俺は、このままでは本当にいつかバレて殺されると直感した。


 抵抗してこない人を一方的に甚振るなどということは俺には出来ない。


「わ、分かった! 分かったから、とりあえず……」


 俺は震える声を隠しながら、そう告げた。


 リューナを連れて街に帰るという選択肢は、俺の頭の中からすぐに消えた。一応、奴隷は違法ではないのだが、このまま街に帰れば、全身傷だらけのリューナの姿を見られて俺がやったと誤解され、たちまち悪人として噂になるだろう。ましてや、リリアにそんな姿を見られたら……。


 リリアの好きな悪というのは女を痛めつけて喜ぶ変態のような奴ではないだろうから、リューナを連れている今の俺の姿では論外だ。


 ――どう見てもそういった変態にしか見えない。


 そうだ、街に帰らなければいい。


 今、受けている依頼は幸運なことに森の奥深くで魔物の生態変化を数日間にわたって観察するというものだ。


 そこで、これを生かして俺が立てた作戦はこうだ。リューナはドラゴンとはいえ、調査についてこさせて一日中歩き回らせ、食事を抜けば体力を消耗するはず。そうすれば、動けなくなった隙に逃げ出してしまえる。


 ――別に殺すわけじゃない。ただ、ちょっとご飯を抜いただけだ。これくらいなら、許してくれるよな……?


 そんな誰に謝っているのか分からないような言葉を心の中で吐き出しながら、俺は罪悪感に苛まれていた。俺はただのリリアに好かれたいだけの一般人だ。人をいたぶるなんて趣味はない。しかし、この数日間、リューナに苦痛を与えているという事実から目を背けることはできなかった。


 それから飯を抜いて、森の中で木の根が張っていたり歩きづらい道のりを進んだが結局最後の最後までリューナは疲れた様子を見せずについてきてしまった。



 最終日の夕方、俺がリュックから残りの食料を出したとき、リューナが俺の背中にぴたりと寄り添った。


 作戦がバレたのかと俺は心臓が凍りついた。だが、リューナは首を傾げ、不満そうな表情を浮かべただけであった。


「これは私が望んでいる苦痛ではありません。ご主人様が最初に言ってくれた、あの素晴らしいお言葉。どうして、私に『皮を剥いで絨毯にする』ような、本当の苦痛を与えてくれないのですか?」


 その言葉に、俺は全身の血の気が引いていくのを感じた。リューナは、飢えという苦痛をまるで子どものごっこ遊びかのように捉えているのだ。俺の安易な作戦は、リューナにとって何の意味も持たなかった。


「さあ、その腰につけた剣で切り裂いてください」


 リューナは俺の腰に手を伸ばし、剣を抜き取ろうとした。俺は反射的にその手を払いのける。


「やめろ!」


 俺がそう叫んだ瞬間、リューナの首に刻まれた奴隷の紋様が、赤く光を放ち始めた。彼女の喉から、苦しそうな声が漏れる。


「ぐ、う……ご主人様……これ、は……」


 リューナの顔が、みるみるうちに苦悶に歪んでいく。俺は、自分が何を命令したのかもわからず、ただ恐怖に震えることしかできなかった。


 ――止まれ! 止まれ! 俺はそんなつもりじゃ……!


 俺は必死に奴隷紋に念じた。やがて、リューナの首の紋様が光を失い、彼女の苦痛も和らいでいく。


「はぁ……はぁ……」


 リューナは荒い息を吐きながら、うっすらと笑みを浮かべた。


「……これが、奴隷が主人に逆らったときの罰なのですね。なかなか良い物ですわ……」


 俺は全身から力が抜けていくのを感じた。しかし、リューナの目は狂気的な光を宿したままだった。


「でも、これなら自分で首を絞めた方がもっと……」


 リューナはそう言って、自らの手で首を締め始めた。俺は慌てて彼女の手を掴み、必死に引き剥がす。


 俺の言葉に、リューナは不思議そうな顔をしたが、その瞳には疑いの色が浮かんでいた。


「……もしかして、ご主人様。あなたは、本当に人を痛めつけることができないのでは?」


 ぞっとするほど冷たい声だった。俺は必死に誤魔化そうと笑みを浮かべる。


「は、はは……何を言っているんだ。俺は、お前に最高の苦痛を与えるために、じっくりと計画を立てているんだ。焦るな。何事も段取りが必要なんだよ」


 俺の言葉に、納得したかのように引き下がったリューナ。しかし、その瞳の奥には、まだ疑いの光が宿っていた。


 このままでは本当にリューナに殺されてしまう。


 それからさらに数日、俺はリュックの中身が空になるまで、リューナをだまし続けた。しかし、空腹が彼女の行動を鈍らせることはなかった。むしろ、飢えという苦痛を与えられているにもかかわらず、リューナは俺とのこの飯抜きという遊びを楽しんでいるようだった。


「ご主人様、今日の調査はなんですか? もしかして、この森で一番凶暴な魔物の巣に突っ込むおつもりですか? ああ、想像するだけで身震いが止まりませんわ!」


 彼女の狂気的な期待に応えることができないまま、俺はついに食料が尽きたことを悟った。もう、街に戻るしかない。このまま森に留まれば、俺自身が飢え死にするか、あるいは俺の安否を心配した他の冒険者が調査に来てしまう。もし、俺がリューナを連れていることがバレたら面倒くさいことになりそうだ。


 俺は最後の賭けに出ることにした。


「リューナ、今日の調査は、街の近くにある危険な場所だ。他の冒険者に邪魔されるわけにはいかないから、静かに行くぞ」


 俺はリューナを連れて、人目のつかない裏道を通り、自身の家まで向かった。リューナは無邪気な笑顔で俺の隣を歩いている。しかし、彼女の首に刻まれた奴隷の紋様が、俺の胸に重くのしかかった。


 街に入ると、俺はフードを深く被り、リューナにも同じようにフードを被らせた。街の人々が俺たちの姿に気づかないか、ヒヤヒヤしながら歩く。


 なんとか誰にも声をかけられず、俺が資金を貯めて買った家の近くまで来られた。


 だが、最悪の事態は家の前で起こった。


 リリアが何故か俺の家の様子を見に来ていたからだった。


 サファイヤのような青い瞳、太陽の光を浴びて金色の糸のようにきらめく髪、白いエプロンを身につけた彼女は、清楚で可憐な美しさだった。


「なんで、リリアがこんなところに……」


 俺は全身から血の気が引いていくのを感じた。なぜ、よりにもよってこのタイミングで、リリアが俺の家の前にいるんだ。俺は咄嗟にリューナを背中に隠し、フードをさらに深く被り直した。


 いつもはずっと俺の側に居て欲しいと願うリリアだが今は都合が悪い。一旦、道を引き返して、路地裏の角などで身を隠して時間を潰すかと引き返そうとした。


 しかし、時すでに遅し。リリアは俺の姿に気づき、その美しい瞳を驚きに見開いた。


「シュラさん……!」


「リリア、どうしたんだ? こんなところで……」


俺は必死に声を落ち着かせようとする。


「店にきた冒険者の方に聞いてもシュラさんが依頼から全然帰ってこないって言うから、何かあったんじゃないかって……心配で。今日は帰って来るんじゃないかと思って仕入れのついでに様子を見に来たんです」


リリアは少し安堵したような表情を見せた。俺の心臓は締め付けられるような痛みを覚える。


――ああ、リリアちゃんはなんて優しいんだ。


「ああ、ごめん。依頼が長引いてしまって……」


俺は必死にリューナを背中に隠そうとしながら、どもりながら言った。


「そうなんですね……。でも、良かった、無事で……」


リリアは少し微笑んだ。


――うーん、なんだか良く分からないがただの一般客であった俺に対してここまで心配して、家にまで様子を見に来てくれるとはもしや脈ありだったりする?


そんなことを考えて、リューナのことも忘れてしまい少しウキウキしながら話をしていく。


その時、急にリューナが俺の腕に絡みつき、リリアに視線を向けた。


「ご主人様、この女は誰です? 早く私をいたぶってくださらないと、私は……」


リューナの声は、リリアの耳にも届いた。


「ご主人様……この女の方? それに『いたぶる』って、どういうことですか?」


リリアの顔から笑顔が消え、不安と戸惑いが広がっていく。俺は血の気が引いていくのを感じた。


――終わった。俺のせいで、リリアは完全に引いてしまった。もし本当に俺に脈があったとしても、今の言葉で冷めただろう。


俺は必死に頭を回転させる。せめて、リューナの正体がバレる前にこの場から離れなければ。奴隷紋と身体の傷を見られたら変な誤解を生んでしまう。


「ああ、ごめん、リリア! こいつはなんだか疲れているみたいで、変なことを口走っているんだ! 早く寝かせないと、だからまた今度!」


俺はそう言って、リューナを家に押し込もうと背中に力を込めた。だが、その拍子に、リューナを被せるようにしていた布がずり落ちてしまう。


「きゃーっ!」


思わず出てしまったのであろう、リリアの悲鳴が静かな通りに響き渡った。


そして、彼女の首に刻まれた奴隷の紋様を、身体の傷を、リリアははっきりと見てしまったのだ。


「その、傷……そして、その紋様……」


リリアは恐怖に顔を歪ませ、一歩、また一歩と後ずさる。その悲鳴を聞きつけた近所の住人や、通りかかった冒険者たちが、俺たちの周りに集まってくる。彼らの視線は、俺と全身に傷を負い、首に奴隷の紋様をつけているリューナに注がれていた。


「おい、あれはシュラじゃないか?」


「あの娘、全身傷だらけだぞ…」


「見ろよ、あの奴隷紋。しかも、あの傷。まさかシュラが、あんな残酷なことを……」


集まってきた人々からの冷たい視線と囁きが、俺の胸に突き刺さる。俺は、もう何もかも終わったと悟った。リリアは、その場で震えながら、小さな声で呟いた。


「ごめんなさい……ごめんなさい、シュラさん……!」


そう言って、リリアは顔を覆い、その場から駆け出して行った。


――

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とある一般冒険者の受難~ドMなドラゴン娘に懐かれたばかりに屑野郎であることを強要されている~ 四熊 @only_write

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