エオファイラ物語 夜明けの王女(リマスター版)

鳥越愛生/とりのささみこ

序章

 ”彼”はそれを全て見ていた。その夏の夜のできごとを。同じとき、同じ場所にいた者の数は多かったが、全てを見て全てを知ったのはただひとり、”彼”だけだった。




―――逃げろーっ、奇襲きしゅうだ!むやみに戦うな……


———……う、腕がっ、腕がぁぁあああっ……


―――お父さーん!嫌ぁーっ……




 あちこちから聞こえる叫び声。逃げまどう影。


 数時間前まで、ここは平和そのものだった。賢い王と女王がおさめるこの国の城。今や、地獄じごくと化している。


 むねけそうだった。自分の立つこの中庭は、城のなかでもとくべつに素敵な場所だったのだ。青くにおいたつ草に、とりどりの花たち……”彼”の愛する光景を、はなたれた炎がなめるように焼き尽くしていく。




「ルーナ、はやくっ!走れ!!」




 まだおさない少年の声が、風に運ばれて聞こえてきた。しかし、それがどこから聞こえてくるのかを探そうとは思わない。


 ”彼”は、意識いしきを足元に向けている。そこにはヒトの少女がうずくまっていた。その子を知っている。この国の、王女だった。




「クスノキのおじいさん」




 王女はかすれた声で、”彼”に話しかけてくる。




「どうしてこうなってしまったの?庭が燃えている……みんなが、殺し合ってる……」




 まだ柔らかい手のひらが、”彼”の肌を―――ごつごつとした木肌きはだを撫でた。




「お願い、クスノキのおじいさん。答えてよ……」




 ”彼”は答えられなかった。体の奥底おくそこにある本能ほんのうが、もう、話すことを許さないのだ。


 王女はちいさな体をふるわせている。けれど、泣いてはいなかった。かしこく、強い子だ。自分が泣くべきではないときをわきまえ、こらえている。




「みんな、どこにいるんだろう」




 力なくつぶやく王女の右手は、彼女の胸元にある首飾くびかざりに延びた。流れるような金の細工さいくに、太陽のかがやきをもつ石があしらわれている。彼女がこの国の未来をになう存在だと、証明するものだ。




 その特別なしなに、王女はグッと爪を突き立てた。




「こんなもの……!」




 十一歳の少女らしからぬ強い怒りの色を、目にたたえている。




「こんなの付けてたって、何の意味もない!わたしは王女なのに……こんな大変なときに、なにもできない……」




「確かに、お前が持っていても宝の持ちぐされ。王家の首飾りも、ただのおもちゃでしかないだろうな」




 鉄をこするような甲高かんだかい声が、上から降ってきた。


 王女はくるりと振り向いた。空にいたのは、年をとったワシミミズクの男だった。




「あなたは」




 王女の背中がこわばる。声が、たじろいでいる。




「グルミニーの王さまの相談役そうだんやくじゃなかった?いまの、どういう意味?」




 彼女の目の前に、すうっとワシミミズクが降りてきた。




「おとなしくその王家の首飾りを渡せ。渡せば、お前を王と女王のもとへ連れて行ってやる」




 王女は後ずさった。その背中がとん、と、ふたりのやり取りを見守ることしかできない”彼”の太い幹に触れた。




「いや!嫌よ。これは絶対に渡さない」




 さっき爪を突き立てた首飾りを、今度は守るようにぎゅっと握りしめている。




「それに、あなたが持っていたって意味はないはず。これをつけることができるのは、この国の王位継承者おういけいしょうしゃだけだもの」




 その言葉を、ワシミミズクは「フンッ」と一笑に付した。




「首飾りと王家の呪文じゅもん。そのふたつさえあれば、秘宝ひほう征服せいふくできる」




 王女が悲鳴をあげた。ワシミミズクが目にもまらぬはやさでおそいかかり、首飾りを奪ったのだ。




「返して!」




 ワシミミズクは高く笑うだけで答えず、夜空へ飛び立とうとした。




 その時。




 白い小さな影が、ワシミミズクめがけて突っ込んできた。尖った黄色いくちばしがワシミミズクの目をつき、そのすきに鋭いかぎ爪が、首飾りをうばい取る。


 白いタカだ。全身を白い羽で覆われたタカは、奪った首飾りを持ったまま黒い夜空へと高く舞い上がった。




「お、おのれーッ」




 地に落ちたワシミミズクが憎々にくにくに吐き出す。その体がぶるりと震え、羽が抜け落ちて行き、次の瞬間しゅんかんにはヒトの男の姿になっていた。髪は灰色でつやがないが、顔つきは若い。白いタカにつかれた右目を抑える指の間から、血が滴り落ちた。


 王女がおどろき、息をのむ。そのおびえた姿を、ワシミミズクだった男の左目が狡猾こうかつにとらえた。口元にいやしい笑みを浮かべている。




「ならば……」




 男が早口で呪文を唱えると、王女の体がびくんと弾み、そのまま地面に倒れ込んでしまった。その耳の穴から、白い煙のようなものが流れ出はじめた。男の手が、煙をつかもうとするように伸びてくる。




 今こそ、残された力をしぼるときだ。




 それまで成すすべのなかった”彼”は、体じゅうの力をふるい立たせ、王女から出た煙をすべて吸い込んだ。


 どっと、たくさんのものが”彼”の中に入ってくる。色、光、風、味、におい……倒れそうになるのを懸命にこらえた。ここで倒れてはいけない。耐えれば、望みはつながる。




「じじい!よくもやってくれたな!だが見ていろよ……あんたの努力も所詮、無駄なことだ!」




 怒りにまかせて呪いのことばを吐く灰色頭はいいろあたまの男の後ろで、ごおっと大きく火花が燃え散った。ここにいては自分も焼かれることになると見たのか、男は変わらず右目を抑えたまま、転がるように闇夜へ消えていった。




 あとには、倒れたままの王女が残された。火の手がせまる。助けたくても、”彼”にはどうすることもできない―――




「リル……リル!」




 王女の名前を呼ぶ声は、彼女の両親、この国の王と女王だった。王は傷だらけで、女王は胸元を抑えながら苦し気にあえいでいる。ふたりとも服はぼろぼろだ。


 ふたりは倒れる娘のもとへ駆け寄った。王が王女を抱き起す。




「息はある。気を失っているだけだ」そのまま王女を抱きかかえ、女王に頷いてみせる。「行こう」




 王と女王は一瞬、”彼”に目を向けた。何か言おうとしたのかもしれない。けれど、もう”彼”に会話する力が残っていないのがわかったのだろう。ふたりは王女を連れて走り去って行った。


 その背中が、急速にぼやけていく。まだそれほど遠くなっていないのに。”彼”の見る力のほうが、もう限界なのだった。




 うすれていく”彼”の意識のなかに、するりと入ってくる者があった。さきほどの、白いタカだった。


 伝わってきたのは、ある計画。るがぬ決意。深い悲しみと、後悔、そして―――ひと筋の希望きぼうを待つ思い。


 ”彼”は、意識の中でうなずいた。それだけで白いタカには、”彼”がこの計画に賛同さんどうしたことがわかった。タカは頭を垂れたあと、どこか遠い空へと旅立っていった。


 満足げに最後の吐息をのこして、”彼”は、静かな闇へと眠りについていった。

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