観察者について

午後7時半。窓の外は曇天であった。時計の音だけが不安定に鳴り響いている。

須張 優の人生は30年目を迎える頃である。

そんな彼の自宅である、六畳間のアパートの一室で、机の上の小さなボイスレコーダーが、静かに声を上げた。


─── ───


優『──本日は、取材を受けていただきありがとうございます。』


小山『──とんでもありません。誰かに話せるうちに、話しておこうと思いまして……。』


優『ホントに助かりました。都市伝説系のライターってだけで、門前払いがほとんどなんですよ。正直、今回もダメ元でメールしました。』


小山『はは…それはお気の毒です。』


優『まあ、仕方がないですよ。売れませんからね、僕の記事。』


優『──自虐はここまでにして、取材を始めますね。お話の内容は記録としてまとめますが、掲載する際には仮名を使わせていただきます。』


小山『はい。構いません。よろしくお願いします。』


優『こちらこそ、よろしくお願いします。

──それでは、例のマンションについて。エレベーターを用いて"0階"に運ばれたというのは本当ですか。』


小山『はい。間違いありません。』


優『"0階"での雰囲気や、出来事など、なんでも構いませんので、教えてください。』


小山『──そうですね。特に変わった出来事はありませんでしたし、いつもの街並みでした。しかし、異様に静かでしたね。』


優『──静か?』


小山『音がひとつもありませんでした。生き物はおろか、風の音すら。まるで僕だけがその世界に居るような。』


優『なるほど。興味深いですね。

では、"0階"から出てきた時のことを教えてください。』


小山『それは、言えません。』


優『言えない?例の大学生失踪事件と関係が?』


小山『言えないようになっています。』


優『──どういうことですか?』


小山『数針さん(優のペンネーム)は、今、私の話を聞いていますか?』


優『ええ。もちろん。』


小山『それは"聞いているということにされている"ということです。』


優『──すみません。理解が出来ません。"0階"で何かが起きたんですか?』


小山『数針さんが書いているメモ。そして、その録音でさえも。あなたの意思でやっている事ですか?』


優『はい。私は無所属のライターですから。』


小山『私、"0階"から出て来た時に気がついたんです。この世界が全部……書かれていることに。』


優『"0階"の話は全てフィクションであると言うことですか?』


小山『違います。あなたの言葉も行動も、全て“そうなるようにされている”ってことです。』


優『すみません、本当に分かりません。まるで僕達が本やドラマの登場人物みたいな──』


小山『その通りです。そして私は、"気づいてしまった"登場人物。あなたは、"真実を追い求めるオカルトライター"といったところです。しかし、あなたはもっと中途半端です。』


優『あなた?この場所には僕ら2人しか居ないと思いますが……』


小山『だから、あなたです。』


小山『今も文字を目で追っているあなたです。』


小山『読み進めることで、この物語を確定させてしまっている、あなた。』


小山『──あなたも、登場人物なんですよ。』


─── ───


録音は不自然なノイズを最後に、ぷつりと途切れた。


「──これもボツ、だな。」


優はぽつりと呟いた。無音の部屋に、ノートパソコンのディスプレイだけが光を落とす。

机には冷えたチャーハン。具はなく、味もない。


「怖いけど、リアリティが無い……いや、違うか……」


ふと、小山の最後の笑顔が脳裏をよぎった。


人間の表情ではなかった。けれど、妙に馴染んでしまっていた。


「……まあいいか」


優は再びキーボードに指を置く。


「タイトルは……」

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