第52話 決戦の咆哮

 ――眼帯のグル視点――


 天から咆哮が落ちてきた。


 闇を裂くような金切り声。

 重騎兵の突撃が地を揺らすように、空気そのものが震動でたわみ、黒馬の背がわずかに沈んだ。


「……ッ!?」

「なぜ終夜で動けている!?」


 森影から三つの影が飛び出した。

 翼を広げた一振りで、大木が揺れるほどの風圧が走る。


 グリフォンだ。


 獅子の胴、鷲の頭。

 羽ばたくたびに空気が砕け、翼の一枚一枚が鉄板のように光を返す。

 大空の支配者。その巨体に似合わず恐ろしく速い。


 そして、その背に乗る騎兵。

 風に身を溶け込ませるような軽装の戦士で、手綱すら飾りに見える。

 長年の訓練により、“風の流れ”そのものを操る類の人間だった。


(……闇では鈍るはずだぞ。どういう仕掛けだ、これは)


 グルの胸裏で嫌な汗が滲む。

 空の敵は“未知数”だ。

 地上で勝ち続けてきたオルク=ガルでも、視線を上へ奪われた瞬間、足元が死角へ変わる。


 グリフォン三体は、こちらを見下ろすと同時に――

 鉤爪を振りかぶり、急降下へ入った。


 風圧が正面から叩きつけられ、砂粒が顔に雨のように降る。

 黒馬が鼻を荒く鳴らし、冷たい呼気が脛を撫でた。


「チッ……! バーサーカー隊ッ!!守備陣形ッ!! 気合を入れろ!!――ザルグは一人で止めたぞ、臆すなッ!!」


「ウォオオオオオ!!」


 咆哮が陣列を走る。

 バーサーカーたちが肩を密着させ、大剣で衝撃を受け止める構えを取った。

 表情に恐怖は滲むが、誰一人として退かない。

 鍛え抜かれた戦士は、震えごと前へ出る。


「スナイパー隊ッ!! 右個体、狙えッ!!アーマーピアサーの雨を食わせてやれ!!」


 五十の黒馬が射線を上へ向けた。

 だが、その矢が放たれるより早く――


 紅の閃光が夜を裂いた。


「テルン!!」


 外郭から放たれた一射は、闇の距離と風を無視した軌道で伸び、右のグリフォンの胸甲を真っ向から貫いた。


 命中と同時に、焼けた鉄の匂いが風とともに押し寄せる。


 巨体が空で痙攣する。

 羽根がばらばらと舞い、影ごと墜落していった。


 しかし魔弾はそこで止まらない。

 貫いた勢いのまま空中で折れ曲がり、第二射のように――加速した。


「……再加速……!」


 魔弾はまるで生き物のように軌道を編み直し、次のグリフォンへ向けて跳ね返る。


 二体目のグリフォンが、金の双眸をかすかに震わせ、上昇へ入った。

 垂直へ跳ね上がり、空へ溶けるように躱す。


 だが魔弾は逃さない。


 赤い閃光と、猛禽の影が交差した。


 閃光が鋭角を切るたびに、グリフォンの大羽根が数枚、暗闇へ散り落ちる。

 巨躯は空で身をひねり、翼の付け根を伏せ、まるで大気を盾として扱うように、魔弾の刺突を“風壁”で受け流そうとする。


 ――だがグルは、空で交錯する二つの化け物から意識を強引に切り離した。


(空はテルンの領分だ。俺は地を見て、地を守る。それが役目だ)


 未来視の片隅では、まだ魔弾と獣影が激突する閃光が揺れていたが、それを追おうとすれば、“地上の殺意”を見落とす。


 指揮官に許される余裕ではない。


 グルは深く息を吐いた。

 息の中に、血と砂の味がわずかに混じった。


 視線は空から外れ、即座に平野と森の境界へ戻る。


 大剣が巨体の一撃を受け止める重低音。

 雷鳴のごときアーマーピアサーの掃射音。

 そこには、自分が本当に見るべき殺線が揺れていた。


 森の奥。

 ゴドリックの六百がまだ消えていない。

 確実に、こちらが乱れた隙を突いてくる。

 それに即応しなければ、どのみち生き残ることは出来ない。


(空は空、地は地。同時に追えるほど器用じゃねぇ。俺が見るのは、“迫る地上の死”だけだ)


 シャドリクにハンドサインを送り、いつでも影槍を展開できるよう指示を送る。

 黒馬たちが、主の緊張に呼応するように鼻を荒らした。


 ――その時だった。


「お頭ッ!!」


 スナイパー隊の一人が馬を走らせ、乱れた息のまま叫ぶ。


「森の奴ら……!ゴドリックの六百、戦線からしていきますッ!!」


「……何? 突撃ではなく?」


「いえ! 向いてんのは――中央です!陛下のいる、あの位置です!!」


 グルの表情がわずかに引き締まった。


(……ッチ! やられた)


 未来視の底で、線が一本走る。


 王殺しのための離脱。

 敗走ではなく、戦略的に“側面を捨てた”動きだ。


「グリフォンすら囮に使うか、ゴドリックッ!」


 声に出すと、周囲の戦士の喉が鳴った。


「ゴドリックの目的はな、最初から変わらねぇ。魔王の首だ。この乱戦ごとき、関係ねぇってわけだ」


 ストームライダー隊がざわりと身構える。

 空にも地にも“死角”が生まれかけていた。


「シャドリク!! ストームライダー隊を預ける!!影槍を張り、奴らの進路を潰せ!!」


 影剣客は頷き、騎兵たちが森方向へ馬首を返す。


 だが――その一瞬。


 空気が再び裂けた。


 風の層が破れ、地平線の向こうから“黒い影”が跳ね出るように現れた。


 新たにのグリフォン。


 先ほどの三体よりも巨大で、翼膜は闇を照り返す油のように光り、羽ばたき一度で地表の砂が二十メートル飛んだ。


「……グル」


 シャドリクが低く言う。

 グルは舌打ちし、闇へ視線を戻した。


(クソ……! これを無視して進路を変えたら、オルク=ガルが丸ごと空から削がれる)


 空の影は、まっすぐこちらへ爪を向けていた。


 地上六百に対応すれば、天上五体がフリーとなる。

 二正面の死線が重なる。


 選べるのは、一つだけだ。


「……シャドリク!!」


「……中止か」


「反転だッ!!――バルドを信じろ! グリフォンはオルク=ガルが受け持つ!!」


 ストームライダー隊が急制動で方向を戻し、影が一面に広がって迎撃陣形へ移行する。


 森へ駆ける馬影は消えた。

 ゴドリックの六百騎は、そのまま中央へ向かい始めている。


(……わりぃ、バルド)


 胸の内で、グルは静かに呟いた。


(こいつらは、俺たちが引き受ける。ゴドリックは……頼んだぞ、王!)


「全隊ッ!! 迎撃態勢につけェッ!!空の化け物を地に引きずり落とすぞッ!!」


 その号令が響いた瞬間、三体のグリフォンが、稲妻のような落下角度で突っ込んできた。


 夜空が裂け、平野が震え、砂が舞い上がる。


 戦場は再び、“天”を相手取る戦へと変貌した。




 ♦



 ──中央平野・魔王バルド視点──


 蒼炎の波は乱れない。

 二万のレブナントが、大地に沈む夜気そのものを押し潰す重量で前進する。

 足並みは揃い、骨と鉄が擦れ合う鈍音が、まるで巨大な一頭の獣が進むかのように地表を震わせていた。


 その背後では、八千のオークが低く息を鳴らし、呼吸を揃えながら、じりじりと間合いを詰めている。

 胸甲がわずかにぶつかる金属音すら、統制の一部のように響いた。


 人間の二万五千は、すでに半包囲の窮地へ追い込まれている。

 突撃を防ぐために掘り返された泥濘は、雨水と血で重く滑り、逆茂木の半円陣は、兵たちの足首を絡め取るように牙を剥いていた。


 本来“守る”ための陣形が、いまは抜け出そうとする者を締め殺す鉄の檻となっていた。


 そして包囲の背後――

 剣山の稜線から、崖を滑り降りるようにスケルトンの大列が山肌を埋め尽くしていた。蒼炎の光に骨が照り返り、谷間に白い滝のような連なりを作っている。


 退路は、どこにもない。


「……完璧な囲いじゃねぇか、大将。ヒャハハハ!」


 アク―バが血の匂いを含んだ笑いを響かせ、ハルバードの柄を軽く鳴らした。

 その振動だけでも、部隊の緊張が一段引き締まる。


「人間どもが怖がって掘った泥沼も逆茂木も、今じゃ自分の首締めてやがる。見てて気持ちがいいぜ!」


「……そうだな。だが――」


 俺は包囲の輪を一度見廻し、右方の暗がりへと視線を滑らせた。


 森影は静まり返っている。

 風はなく、枝葉が重く垂れ、闇が“沈んで”いた。


(……妙だな)


 本来ならば、帝国の剣――

 眼帯のグル率いるオルク=ガルは、すでに森影から突出し、敵中央の横腹へ喰らいついているはずだった。


 だが、闇は揺れず、影も動かない。


(遅れている? いや……止められている)


 俺は静かに息を吐いた。

 喉を通る空気が、他の場所より重く感じられた。


「……アク―バ」


「なんだ大将?」


「グルが動かないのは不自然だ。包囲に支障の出ない範囲で、オーク二千を支援へ回す。ジャハンの先鋭を見繕ってくれ」


「おう任せとけ! 二千ありゃ十分暴れ――」


 その言葉は大気に吸い込まれるように途切れた。


 


 乾いた打音が夜空で弾け、白光が瞬き、闇が逆撫でされるように波を立てた。


 続いてもう一発。

 さらに奥で十発、二十発。


 照明弾が――

  窪地→ 丘陵 → 森と、“地形の死角”を正確になぞるようにして連続して上がっている。


「……なんだよアレ。終夜対策にしちゃちと多すぎじゃねえか?」


 アク―バの声から笑いが消え、獣の勘が鋭く光る。

 俺は光列を追い、直感が一気に線を結ぶのを感じた。


(これは――闇を払うためではない)


「“鷹の目”を潰しにきたか。恐らく潜ませていた魔術師だろう。狙いは俺の疲弊……いや、こんな姑息な手段を考えつくのは――ただ一人だ」


「ヒャハハハハ!! やっぱり生きてやがったか、あの老いぼれ!」


「グルを止めたのは当初の読み通り――ゴドリック。照明弾の位置を散らすことで、奴の現在地を絞らせないつもりか……だが舐めすぎだ」


 俺は光の軌跡を一本の“道”として見た。


「オルク=ガルの進軍ルートはすでに掴んでいる。伏兵を隠しやすい中小規模の森など二点しかなかったからな」


「ヒャハハハ! なら早く助けに行こうぜ大将!」


 アク―バが吠えた直後――


「急報!!へ、陛下!!敵騎兵の大軍勢が迫ってきますッ!!およそ五千!」


 伝令の声が震え、その直後、


 ドドドドド――ッ!!


 平野そのものが“揺れた”。

 大地の下から殴り上げられるような蹄音。

 地表の砂利が跳ね、足下の草が倒れ、空気が震動でへこむ。


 土煙が地平を曇らせ、その奥から濃密な戦意の塊が押し寄せてきた。


 影が膨れ、形を取り、鉄と血の奔流となる。


 人間の騎兵――否、磨き上げた騎士の魂と統制が一つになった、鉄の奔流そのもの。


「オイオイオイ!!あのオルク=ガルが抜かれたってのか!?お前ら防陣を敷けッ!! 迎撃準備――!」


 アク―バの怒号が平野を揺らし、オーク八千が一斉に武器を掲げた。

 槍の穂先が蒼炎を反射し、黒い鉄壁が形成される――


 だが。


「動くな、包囲が崩れる」


 俺が手を横へ払っただけで、八千の胸が同時に止まり、レブナントの軍勢の動きすら一瞬だけ凍り付いた。


 アク―バが目を丸くする。


「大将……?」


 俺は、笑った。


「フッ……なるほど。照明弾の真の狙いは伏兵とのだったというわけか」


 夜空の光が滑らかな弧を描き、その終点から、獅子の騎兵の本隊が姿を現した。


 老将ゴドリック――

 重い歴戦の気配を纏い、飛矢のような速度で迫る。


 その構え、速度、戦意。

 ただの突撃ではない。


 王を殺しに来る覚悟の突撃だ。


「……来い」


 俺はスレイプニルの鞍を軽く叩き、背筋が自然と伸びるのを感じた。

 黒日の淡光が戦場の縁をなぞり、蒼炎が二万の軍勢の輪郭を照らす。


「最終決戦だ――ゴドリック!!」

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