第51話 化物

 敵左翼が――崩れた。


 照明弾の蒼白い死光が森の浅瀬を洗い、重騎兵の列が“裂ける”ように沈んでいく。


 馬の悲鳴が森を裂き、鎧が砕ける乾いた音が、間を置かず幾度も重なる。

 飛ばされた腕が草の上を転がり、返り血が黒土に散弾のように降り注いだ。


「あがああ”あ」

「や……矢が追尾してくる!?」


 紅の矢雨が、頭上から直角に折れ、意志を持つように騎兵へ襲いかかった。


 騎士が身体を傾ければ矢は逆側へ折れ、馬が跳ねれば矢は地を舐めるように沈み、盾を掲げれば矢は天へ翔けて――次の瞬間に背後から胸甲を貫いていた。


 まるで、「避ける」という因果そのものを矢が一つずつ殺していくかのようだった。


 砕けた鉄片が霧のように舞い、白光を受けて一瞬きらめきながら、土へと落ちていった。


「ひ……ひい……! 左が……左翼がッ……!?」

「止まれ! 止まれぇッ!! 馬が! 馬が制御できねぇ!!」


 第一騎士団の騎兵たちが、恐怖に顔を引き攣らせ、誇りだったはずの赤いサーコートが、紅の矢で無造作に裂かれていく。


 その光景を、俺――眼帯のグルは冷静に見下ろしていた。


(――よし。狙い通りだ)


 喉の奥で短く笑う。

 未来視が描いた“崩落の線”が、戦場にそのまま上書きされたかのように再現されている。


 指揮官の死亡。

 即死百。

 戦闘不能百。

 軽傷三百。


 左翼は、すでに部隊としての“形”を喪っていた。


 オルク=ガルの何人かが、喉を鳴らす。


「……すげぇ……外郭からの長距離射撃?」

「見やしねぇが……あれ、テルンだろ」

「化け物が味方で良かったな」


 その声は震えていたが、畏怖ではなく“敬意”だった。


 俺は遠く、マグ=ホルドの外郭へ視線だけを向けた。


 肉眼では見えない。だが未来視が告げている。


(“魔弾”。あの距離で、ここまで正確に撃ち抜くか――流石だな、テルン)


 白光の中を落ちていく紅矢は、鬼火のようにひらめいていた。

 アーマーピアサー。投石器すら砕く剛矢。

 それに自らの血を込め、スキルとして意志を持たせた。

 射出音すら置き去りにする速度で不規則に飛び、重騎兵の甲冑を“割り砕く”魔弾。


 その一撃が、左右から迫り、俺たちを挟み潰そうとしていた敵軍の片翼を粉砕した。


 ほんの数秒遅れていたなら、俺たちの三百は森の浅瀬で挟撃に逢い肉片になっていた。


(だが……真に恐ろしいのはテルンじゃねぇ)


 未来視の底で、別の“声”が静かに響いていた。


(……バルド。お前の通りだ)


 囮の右隊。

 本命の左隊。

 森影の逆侵攻。

 そして、照明弾による“闇潰し”。


 すべて――


 あの魔王の掌の上だ。



 ◆



 ――戦端の数刻前。マグ=ホルド西棟・最上階。


 “戦略立案室”は黒日の薄光を受け、壁一面を硬い陰影に染めていた。

 外からは無数の兵の足音と号令が糸のように重なりあい、遠い波の音のように揺れている。


 だが、この部屋だけは、戦の直前とは思えないほど静まり返っていた。


 俺が足を踏み入れると、地図卓に身を預けていたバルドが、視線だけをこちらへ向けた。


「来たか、グル。――少しばかり、“嫌な結果”が出た」


 その声は低く、乾いていた。


「こんな時に呼ぶってこたぁ、ただ事じゃねぇな。で、何が動いた?」


 バルドは指先で、地図上を蛇のように走る細い獣道をなぞりながら口を開いた。


「《鷹の目》の結果だ。敵軍は援軍の到着で四万へ膨れ上がった。だが――」


 指が、本陣の印で止まった。


「本陣に見えるのは三万前後。“一万近く”が影の中に消えている」


 皮膚がひりつき、背骨の内側が冷える。


「伏兵……か」


「ああ。それも“ただ潜んでいる”だけとは限らん」


 バルドは影の揺れる地図の上を睨み、もう一つ告げた。


「――ゴドリックの姿が、本陣にない」


 喉の奥が、乾いた音を立てた。

 あの老将が本陣を離れるなど、通常なら有り得ない。


「ってことは……前へ出ている可能性が高ぇ……と?」


「高いどころではない。奴ほどの男なら、俺と同じように“部隊を割り”、別ルートから逆侵攻を仕掛けてくる」


 バルドは森印が群れている地点を、トン、トンと二度叩いた。


「軍を隠しやすく、かつ移動を秘匿しやすい地形がここ――そしてここ。どちらも、お前たちオルク=ガルの侵攻ルートと重なる」


「……つまり、接敵の可能性が高いわけだ」


「高い。お前たちが手も足も出ないとは思わん。だが――“一枚、策を添える必要がある”。」


「で、どう動く?」


 バルドは扉の外へ、短く声を投げた。


「――テルン、入れ」


「おうよ」


 髪をざっくり束ねたテルンが姿を見せる。

 腰のアーマーピアサーが黒日の淡光を受けて、冷たい蒼を返した。


 ただそこに立つだけで、室内の空気が一段、研ぎ澄まされる。


「テルンは本来、筆頭戦士兼・射撃隊長として前線随行の予定だった。

 

 だが予定を変える。――マグ=ホルド外郭からのに専念させる」


 バルドは俺の方へ向き直り、その眼差しを真っすぐ向けてきた。


「グル。オルク=ガルの戦力は目に見えて落ちる。――それでもやれるか?」


 俺は鼻で笑い、肩を少しだけすくめた。


「心配すんな。あの老いぼれを“出し抜く”算段なら、もう頭ん中で組んである。――足りねぇ分は、未来視で補ってやるよ」


 テルンがニヤリと笑い、片手で魔弓を軽く叩いた。


「グル、お前が一秒躓けば串刺しだ。せいぜい転ぶなよ?」

「はっ!ぬかせ」


 バルドの口元に、満足を抑えたような微かな笑みが宿る。


「よし。オルク=ガルは予定通り突撃に移る。テルンは“最後の一点”を確実に貫け。……これでゴドリックの奇策にも対抗できる」


 黒日の淡光がゆらぎ、戦の影がゆっくりと、この部屋に満ちていくようだった。



 ◆



 だからこそ――

 俺の次の号令にも、迷いはひとかけらもなかった。


「全軍ッ――反転!!」


 白光の残滓はまだ森を照らしているが、ここ平野にはじわりと“暗がり”が戻り始めていた。


 夜が、息を吹き返す。


 戦士たちは一瞬だけ息を飲むが、すぐに理解した。これは退却ではない。“狩場の形”を整えるための反転だ。


「シャドリク!! 光の縛りは消えた!敵兵を逃がすな、影で沈めろ!!」


「任せろ……」


 シャドリクの足元から影が泡立つように膨れ、黒泥のような塊が、地面を裏から押し破るようにあふれ出した。


 輪郭はなく、形は定まらず、脳が理解を拒む“不定形の怪物”が這い出す。


 黒い液体とも煙ともつかない塊が震え、「牙じみた裂け目」がいきなり開いた。


「な、なんだ……あれは?」

「おい!後ろだ!」


「え?」


 一人の騎士が振り返る暇もなく、胸甲ごとその中へ押し潰された。


 ボキ、メリリ――

 骨と鉄がまとめて砕ける嫌な音が闇に吸い込まれる。


「や、やめ……あ、あああ――!」

「あああ!足がぁあああ!」

「喰われるぞ!一旦森に逃げ込めええ!」


 背を向けた騎士の足首を、影の触腕のようなものが絡め取り、地面へ叩きつけたまま腰まで呑み込んでいく。


 牙も爪も“本当にあるのか分からない”。

 ただ――触れたものを破壊する“意志”だけが形になった怪物。


 (……百騎程森に逃げたが、三百以上は屠ったな)


 闇が広がるにつれ、オルク=ガルの瞳は琥珀の光を帯びていく。


 ここからが、俺たちの戦場だ。

 平野は完全に“夜”へと戻りつつあった。


「スナイパー隊!横一列ッ!! 幅を取れ!!弓騎兵陣形だ!!」


 五十の黒馬がいっせいに方向を揃え、闇の中で黒い弧を描くように横陣へと広がる。


 散開ではない。

 “アーマーピアサーの射線を最大化する”ための陣形だ。


「アーマーピアサー装填ッ!森から首を出した瞬間――撃ち落とせ!!」


 ギギギ、と

 重弓にかかる弦の軋みが、闇の中で獣の唸りのように響く。


(そして……テルン。お前の二射目も来る)


 未来視の底で、外郭に陣取るテルンの姿が揺れた。

 あいつは、距離の概念を無視した魔弾を放てる。

 森の吐き口へ顔を出した瞬間、敵先頭の鎧ごと“穴”を開けられる。


 狙いはすでに揃っている。


「――本命のゴドリックは、森から出てくる!!吐き口を押さえりゃ、奴らの息の根を止められるぞ!!」


 未来視にはっきり映っていた。

 森奥で再編する六百騎。

 その先頭で、老将が馬首を返す。


(追う必要はねぇ。出口で殺す方が早い)


「ストームライダー隊ッ!バーサーカー隊ッ!!平野の縁で横列を固定!!森から這い出る敵を――一匹たりとも逃がすなッ!!ここが奴らの墓標だ!!」


 二百の黒馬が砂を蹴り、黒い横陣が闇に沈む。


 白光の届かないこの平野は、完全にオルク=ガルの領域。夜目と影が支配する狩場。


(さぁ、どう来る?散開して射線を消すか……一点突破で俺の首を取りに来るか?……どっちでも構わねぇ)


 こちらにはアーマーピアサー三百射がそろい、さらに――テルンの魔弾が控えている。


 自然と、口の端が吊り上がった。


(形成は逆転。平野はもう俺たちのものだ。数を削られたお前らじゃ、“完全”には程遠ぇよ……ゴドリック)


 油断もない。慢心もない。

 バルドの策は何度も推敲され、死角なく組み上げられている。

 オルク=ガルの横陣は、闇の中で獣の背骨のように強固で、アーマーピアサーは、いつでも喉を裂ける位置にある。


 ――何一つ、憂う理由などないはずだった。


 だがその瞬間、背筋を氷針でなぞられたような感覚が走り、額に大粒の汗が一気に噴き出した。


(……なんだ?)


 胸の奥が、何かを必死に拒むように跳ねる。

 空気が、突然“重く”なった。

 鼓動が一拍、遅れる。世界が、きしむ。


 横陣の中で、オークたちも異変に気づく。


「グル?」「どうした、お頭?」


 怪訝な視線が、いくつもこちらへ向けられた。


 その時だった。


 ――脳が割れた。


「っ……!!」


 これまでで最大の痛みが、頭蓋の内側から殴りつけてくる。

 翡翠の魔眼が強制的に開き、景色が横滑りして、血の膜を一枚挟んだようにねじ曲がった。


 未来が、“流れ込んでくる”。


 見えた。


 巨大な翼が――平野一帯へ影を落とす光景が。


 黒馬ごと吹き飛ばされるオルク=ガル。

 鎧を引き裂く鉤爪。

 上空から一直線に落ちてくる“死の速度”。

 影さえ届かない高さからの襲撃。


(……ッ――まさかッ……!?)


 視界が現実へ戻った瞬間、喉が勝手に吠えていた。


「……ッ! テルン!! 援護を寄越せェッ!!」


 その怒号が空気を裂いた、一瞬後――


 森が、揺れた。


 木々の隙間から、驚いた鳥の群れが一斉に飛び立ち、黒い夜空へ散っていく。


 その羽ばたきが合図だったかのように、森影から“それ”が姿を現した。


 照明弾の残光を背に、巨躯がゆっくりと輪郭を浮かび上がらせる。


 獅子の胴に、鷲の頭と翼。


 ――“大空の支配者”グリフォン。


 その双眸は、月光を凝らしたような鋭い金の光を帯び、わずかに翼を震わせただけで、周囲の枝葉が吹き飛んだ。


 のグリフォン。


 風そのものが敵となり、死が“上”から迫ってくるという圧力が、戦列の背骨をへし折らんばかりの重さで、平野全体に覆いかぶさった。

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