第3話「静かな村と、奇妙な日常」

翌朝、目が覚めたときには陽が差し込んでいた。

 硬いベッドに身体は少し重かったが、昨夜の疲れはある程度取れていた。時計も地図も使えないこの世界で、今の自分にできることは限られている。


「……今日も、考えるしかなさそうだな」


 俺は昨夜のスープの器を片付け、服の埃を払いながら外へ出た。



 宿の女将は俺を見ると、また一瞬だけ固まった。

 すぐに「おはようございます」と微笑みを返されたが、その目はどこか気を使うような、遠慮がちとも取れるものだった。


「散歩に出ても?」


「ええ。……お気をつけて。村の中なら、危険はありませんから」


 その言葉には、何かを言いかけて飲み込んだような余韻があった。

 俺は軽く頭を下げて、扉を出た。



 朝の村は、少しだけにぎやかだった。

 広場では洗濯をする女性たち。畑では何人かが作業をしていた。鍛冶屋のような店の前には火の匂いが漂っている。


 その中を歩く俺を、視線が追う。

 すれ違う女性たちの動きが、目に見えて不自然だった。急に動作が止まったり、道の端に寄ったり、挙動が落ち着かない。


「……またかよ」


 俺はできるだけ気にしないように歩く。

 だが、その違和感は昨日よりもはっきりしていた。


 例えば、洗濯物を干していた女が、俺と目が合った瞬間に手を滑らせてタオルを落とす。

 例えば、子供に声をかけていた若い母親が、俺の方に気づいた途端に声を裏返らせてごまかす。

 例えば、角を曲がった先で話していた女性二人組が、俺の姿を見るなり一瞬沈黙し、ヒソヒソ声に切り替える。


 全部、同じだ。

 俺に対して、“慣れていない”。


「……男、ってだけでこれか?」


 この世界では、男が珍しい――ミーナはそう言っていた。

 珍しい、なんてもんじゃない。多くの人間が“初めて見る”というような反応をしている。


 しかも、それは単なる興味ではない。

 何かに怯えるような、あるいは逆に緊張を隠しきれないような、不自然な過敏さだ。


「おーい、レイー!」


 広場の端から手を振る声がした。ミーナだった。金髪のリサ、銀髪のカトレアも一緒だ。


「昨日はちゃんと休めた? 朝は重くなかった?」


「まぁな。環境は悪くない、というか……綺麗すぎて逆に落ち着かないくらいだ」


 俺の答えにミーナが笑い、リサはわずかに顔を赤らめて目を逸らした。


「それ、わかるかも。あの宿、女将さん男の人に慣れてないから、毎日掃除しまくってたの。昨日は特に」


「えっ」


「リサ」


 ミーナが軽く咳払いをして、話を打ち切らせる。

 カトレアは俺と目が合うと、小さく頭を下げただけで何も言わなかった。


「今日は少し村を案内するつもりだったんだけど……レイ、嫌じゃなければ一緒に来る?」


「案内? ああ……まぁ、ありがたい」


 本音を言えば、できるだけこの世界のことを知りたかった。

 違和感の正体を掴むためにも。


「じゃあ、行こうか。こっちよ」



 村の中央通りを抜けた先に、少し広めの建物があった。木造だが、装飾が多く、入口の看板には「集会舎」と書かれている(この世界の文字が読める理由は、まだ深く考えないようにしている)。


「ここでは物の交換や相談が行われてるの。村の女性たちが定期的に集まって話す場所でもあるわ」


「へぇ、ほぼ役所みたいなもんか」


「そんな感じね。……でも今日は人が少ないみたい」


 中に入ると、案の定、中は閑散としていた。

 椅子とテーブルが並んでいるが、数人の女性が端で資料らしき紙を広げているだけだった。


 そのうちの一人が、俺に気づいた途端に姿勢を正し、咄嗟に椅子から立ち上がった。


「ミーナさん、その後ろの方は……」


「村外れで保護した。まだ状況は不明だけど、危険性はない。しばらく滞在してもらうつもり」


「……男、ですよね」


「ええ。男よ」


 その一言で、空気がまた変わった。

 近くにいた他の女性たちの視線が、一斉にこちらに向けられる。

 怖がっているわけでも、怒っているわけでもない。ただ――驚き、そして戸惑いのような何かが、そこにあった。


「……失礼しました。歓迎します」


 ぎこちない笑みのまま、女性たちは頭を下げた。

 俺は黙って頷き返すしかなかった。



 建物を出ると、空が少し曇ってきていた。

 湿気を含んだ風が、どこか重く吹き抜ける。


「……レイ、驚いた?」


「まぁ、ちょっとな」


 答えながらも、まだすっきりとは理解できていなかった。

 なぜここまで“男”に対する反応が過敏なのか。なぜ、誰もそれを説明しようとしないのか。


 もしかして――この世界では、本当に。


「……貞操観念が、逆なのか?」


 声には出さなかった。出せるはずがなかった。

 まだ、その答えを自分で受け入れる準備ができていなかったからだ。

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