『貞操逆転の世界で黒髪黒目は狙われる』

すりたち

第1話「名も知らぬ場所にて」

気がつくと、空があった。

 青く、やけに広い空だった。見たことのない形の雲が、風に押されて流れている。


 身体は土の上。湿った草の匂い。指先に微かな痛みを感じて、ようやく現実だと理解する。


「……どこだ、ここ」


 言葉に出したところで答えは返ってこない。

 周囲を見渡しても、人の気配はない。あるのは草原と、遠くの森だけ。風に揺れる草の音だけが、やけに耳に残る。


 スマホを取り出してみる。画面はつくが「圏外」。時計の表示だけが空しく瞬いていた。

 ──何が起きた? 寝ていたわけでも、記憶が飛んだわけでもない。なのに、どうして。


 あまりにも整いすぎた「異常」な環境に、ふと胸の奥に浮かぶ一つの言葉。


 ――異世界?


 そう思ってしまうのも無理はなかった。けれど、それを口に出す気にはなれなかった。現実感が薄すぎて、自分で言葉にした瞬間、何かが決定的に変わってしまいそうで。


「とりあえず、動くか……」


 立ち上がり、遠くの森へ歩き出す。じっとしていても、状況は変わらない。水も食料もなければ、話す相手もいない。

 風が背を押すように吹いた。



 森は暗く、風の音も聞こえづらい。動物の鳴き声もなく、木々のざわめきだけが深く耳に残る。


 それでも、森の中の方がまだ落ち着く。開けた場所で目立つのは避けたかった。草原の真ん中で寝ていた時点で、何が起きてもおかしくない。


 そんな考えが、現実になるのは早かった。


「おい、見ろよ。あれ……男じゃねえか?」


 木の影から3人の女が現れた。

 擦れた声、粗雑な武器、汚れた装備。どれを取っても、危険な雰囲気しかない。


「うっそ、マジじゃん。黒髪? 黒目? やば……売れるわ」


「久々の大当たりだな。傷つけないように気をつけろよ」


 近づいてくる彼女たちの目は笑っていなかった。

 俺は思わず数歩、後ずさった。後ろは木々。逃げ場は多くない。


「待て、近づくな」


「うわ、声もいい……やば……!」


 聞く気もないのか、にやついた顔で迫ってくる。

 何か言おうとした瞬間、風を裂く音が響いた。


 ――ドン、と音がして、一人が吹き飛ぶ。


「やめなさい、下種ども」


 声と同時に、草むらから3人の女が飛び出してきた。

 鮮やかな動きで敵の懐に踏み込む。細剣を握った赤髪の女を中心に、金髪と銀髪の二人が素早く左右に展開する。


「女のくせに……!」


「そっくりそのまま返すわよ」


 短い戦いだった。あっという間に盗賊たちは倒され、森の静けさが戻った。


 茫然としていた俺の前に、赤髪の女が立つ。


「大丈夫? 怪我は?」


「あ、ああ……助かった。マジで」


「よかった。……立てる?」


 彼女が手を差し出してきた。

 ためらいながらも、その手を取る。少しひんやりして、でも力強かった。


「俺は、レイ。あんたら……?」


「ミーナ。私は冒険者よ。こっちはリサ、あっちはカトレア。みんな仲間」


「……そっか。ありがとう、本当に助かった」


 礼を言うと、3人ともどこか落ち着かない様子で顔を見合わせた。


 その視線の先が、俺の髪と瞳に向いているのがわかる。


「その……レイ、ちょっと変わった見た目ね。髪と……目の色が、すごく……」


 妙な空気。

 けれど、それを追求する余裕はなかった。


「ここから……どこか人のいる場所、あるか?」


「ええ、村があるわ。一緒に来て。危ないから、一人で動かない方がいい」


「助かる。よろしく頼む」


 素直に頭を下げると、なぜか3人は一瞬、黙り込んだ。

 それから、ミーナがふっと微笑んだ。


「変わってるわね、レイ。……でも、嫌いじゃないわ。行きましょう」


 俺はその背を追いながら、考える。


 ここが本当に、現実の延長なのか。

 それとも……どこか別の、異なる理で動く場所なのか。


 今はまだ、何もわからない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る