悪魔転生

有栖川Hedo

第1話 恨みの代償

私、蓮見色華(はすみしきか)は人を不幸にするため生まれてきました。


そう思い続けて続けて何年になるだろう。

世の中で起こる大半の悪いことは自分のせい。


個人事業主の父母と不自由の無い日常を送った。

でも、私は幸せじゃなかった。

私が存在していることで誰かが嫌な思いをしているなら、幸せを感じることはできない。


小学校5年の時、鞄にカミソリを入れられた。

私は筆箱と間違えて刃の部分を鷲掴み、右手が血塗れになったことがある。


先生が主犯格の両親を呼び出し、すぐに謝られたが、私は(こんな私のために謝らせてごめんね。)とその光景を見ていた。


主犯格は、私の悲劇のヒロインのような表情が気に入らなかったらしい。

そんな表情はしていない。自分が可哀想?

おごりも良いところだ。

そんな顔をしていた自分に怒りが湧いた。


何をしていても自分が悪いと思った。


自分は前世で極悪非道を働いてきたのだ。

だから罪を償う姿勢を保つことが大事なのだ。


なのに沸き上がる怒りを押さえ込むことが難しくなってきている。




白く濁った水分が頭、顔、膝へと流れる。よく混ざり切っていないのか、まだ白い粉のようなものが水分の中に見てとれた。

少し湿り気を帯びたタイルに尻をつけ膝を折り曲げた状態で座っていた色華は、太ももと股間の間に溜まった水を指でさらった。


バケツに残っていた少量の濁水をそのままに一人の女が小声でその名を呼んだ。

「凛子先輩、トイレ掃除終わりました。」

『ブラシでちゃんと擦った?』

「擦ったら傷だらけになっちゃいます。流石に可哀そうですよ。」

『そんな簡単に傷つかねぇよ。ほら、自分で掃除しな。』

凛子と呼ばれたその女は、色華にトイレブラシを投げつけると、数人の女性職員を連れて女子トイレを出て行った。

色華は扉を開けた風圧で髪をなびかせる凛子を見ながら消え入りそうな声で言った。

「凛子さんごめんなさい…」

最後に出て行った職員がこちらを見てニヤリと笑い電気を消していった。

明るかった女子トイレは一瞬にして暗闇に包まれる。


色華はゆっくり膝を縦にして腰を上げた。

暗闇で覚束ない足を動かし両手で物体をさぐりながら、目の前にある光を目指して進む。

頭から重曹水をかけられて右手にはトイレブラシという自分の姿を想像すると笑いが込み上げてきた。


色華は会社から徒歩30分のアパートで一人くらしをしていた。

キャラクター物のTシャツにジーパン姿でオフィスウェアの入った紙袋を持ち、街灯の少ない道を一人で歩く。


今日はいつにも増して散々な目に遭った。

あの後、清掃員と鉢合わせ「私も足を引っかけられたことあるんだよね~。」

と言われて渡されたハローキティのハンカチは折りたたんで紙袋に入っている。

明日は清掃員さん職場に来るかな…と心配になりながら洗濯機を回すため家路を急ぐ。


入社当初から色華は浮いた存在だった。

父の会社が倒産して多額の借金が残ったことがこの町の狭いコミュニティから早々にバレてしまっていたのだ。

合法的な所から借りて、少しずつ返せてはいるものの、いつの間にか腫れ物扱いされるようになっていた。


周囲の色華のイメージは酒とギャンブルに溺れ、知り合いに金の無心をして生活するクズ人間だった。

副業で夜の仕事をしているという噂まである。


色華は現在、商品企画部だ。以前は経理部であり突然の異動だった。

色華は畑違いの部署で完全に孤立していた。

やれることと言えば来客時のお茶出しくらい。


(部長は何も言わないし辞めさせたい空気がはんぱない。)


両親はこんな子を授かり嬉しかったのだろうか。

母はよく「人生何回目だってくらい大人びた顔つきだった」と、私が産まれたときの話を笑いながらしてくれる。

唇を震わせながら、泣くことも喚くこともしなかった私を大人びた赤子だと思えたのだろうか。

きっと恐ろしかったことだろう。

自分の間違いで頭のおかしい子を産んでしまって申し訳ないと、そう思っただろう。


申し訳ないのはこちらのほうだ。

普通の子供じゃなくてごめんなさい。

素直に笑えなくてごめんなさい。


私は、ずっと子供のふりをしてきた。

色華は自分の記憶が誕生からあることは、親にも言っていない。

それを話したところでどうなる。世の中には母の体内から記憶がある人間もいるのだ。


ただ、なぜあのような育ち方をしたのか?

話すようになってからは周囲に散々気味悪がられた。

あだ名は「魔女」だった。人間よか強そうなので悪い気はしなかった。


色華は自分を嘲笑した。

自分は何を気取っているんだか。

言ってしまえば贖罪など、この世に存在しない。

あるのは罪。罪を犯した者(犯された者)の心。

傷つけたものの気が済むまで苦しみ続ける時間。


ここまでやっても周囲の許しは得られない。死んで詫びろってか…でも、それでは私の納得がいかない。自分が生きている内に彼らが不幸になる姿をこの目に焼き付けるまでは絶対に死ねない。


自分だけが不幸だなんて道理に合わない。

人間は平等に苦しむべきだ。


自宅が見えると色華は上を仰いだ。

アパートの一室がまばゆい光を放っていた。

(私、電気消し忘れてる…!)

部屋のある2階まで恐ろしいくらい急な階段を使う。

しかも幽霊が出そうなくらいボロボロの事故物件だ。

少し急ぎ足で汗だくになりながら自分の部屋206号室へと辿り着いた。


鍵を開けて中を覗くと真っ暗だった。

さっき外から見た時はワンルームが煌々と光っていた。

確認した部屋を間違えたのかと首を傾げながら電気のスイッチをカチっと入れる。

パッと明るくなる部屋に人影が一瞬だけ移り、声にならない悲鳴がこぼれた…。

(今日はいろいろあって精神不調なんだな、ゆっくり休もう。)


洗濯機を回しているあいだ風呂に入ることにした。

頭がベタついて仕方ない、シャンプーで10回は洗浄しただろうか。

除菌はできないので、匂いだけでも忘れようとボディスポンジも使って思い切り擦った。

生え際がスポンジで傷つきチクチクと痛みが走ったがそんなことどうでもよかった。

何せ、トイレブラシで髪をとかされ本当は頭皮ごと取り替えたい気分だった。


頭をタオルで包みソファに座ると右手に持った缶ビールをぐびっと傾け背もたれに体重を預けた。

「落ち着く…」

色華はゆっくり瞼を閉じた。


次に瞼を開いた時、時刻は深夜の2時を回っていた。

色華は中途半端に乾いて皺くちゃになってしまったオフィスウェアとハンカチを纏めて乾燥機へ放り込んだ。

洗濯機が置いてある脱衣所に隣接した部屋の住人は夜勤で居ないと思うから、苦情は言われないだろう。

問題は下の階か…。山田さんなら何も言わないかもしれない。

いつもエントランスを箒で掃除していて、こちらが挨拶をしても返って来た試しがない。

(少し怖いな…。)

再びソファへ仰向けに倒れこみ、クッションを枕にした。元々、寝ぼけてフラフラだったのだが、限界を迎えてしまったようだ。髪も乾かさず眠りに落ちた。


夢の中で色華は会社屋上にある柵から身体をクの字に曲げて下を覗き込んでいた。

私はこのまま死ぬのだなと思った。タイトスカートが捲れるのも気にせず鉄製の柵を跨ぐ。

『その前にやりたいことあるんじゃない?』


突然、後ろから声がした。だが私は振り返らなかった、このまま死なせてくれ、今私には目の前の空虚に飛び出す勢いがある。

何かが色華の身体を這うように伸びてきて、色華の腕を掴んだ。

色華は2mくらい浮いた。

やっと終われると思い目を瞑った。

地面に墜落した時の自分の頭蓋骨が砕ける音、飛び散る肉片が周囲の人間に助けてと飛びつく。

人間の悲鳴。

ホラー映画なんて見たこともないのに、そんなことを想像してほくそえんだ。


『おい。死ぬのはまだ早いよ。』


甲高い女の声。凛子さんみたいで不快な声だった。

私は目を開いて絶望した。自分は柵を越えず、まだ屋上に居る。

死んでない!どうして!


『自暴自棄とはアンタらしくないね。そんなことしたって自分は救えないよ。』

「あんたが助けたの…?」

色華は肩を震わせながら振り返った。そこで記憶がなくなった。


気が付くと窓から鶯がハエを追いかけて蜂の字に飛び回っているのを見ていた。


色華は自分の違和感に気がついていた。

「私はもう…人間じゃない。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪魔転生 有栖川Hedo @yamiochi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ