第7話 ロンディニウムの思い出

今日できるところまでの研究を終え、帰路につく。食べ忘れていたスーパーの値引きパンを噛み砕きながら、揺らぐアスファルトと空の境界を遠目に歩いていた。

いつになれば研究が終わらない不安から解放されるのだろう。カルロも井戸子も真面目に頑張ってくれてはいるが、対して俺は彼らの為、研究の為に何かしてやれているだろうか。そんなことばかり頭を這いまわり、本当はなにも進歩していない気がしていた。


「ただいま」


「おかえり。ってか久しぶり」


「あぁ……久しぶり」


家に帰ると数日ぶりに会う妻が出迎えてくれる。夕食の匂いを放つリビングには帰宅したところで今日も一人足りない。


「お疲れ様」


「ありがとう、リリ」


妻と子どもの三人暮らしであるうちの家庭には研究者であるイアン、その元助手であるリリ、そして闘病中の息子ハリスがいる。ハリスことハリーは入院しているため、今日も共に食卓を囲むことはない。もう何年もこの生活だ。慣れないが、慣れねばなるまい。リリの為にも今は研究と向き合わなければならなかった。


「今日はハリーの好きだったハンバーグよ」


そういってリリが持ってきたトレイには大皿にハンバーグと刻み野菜。その隣にシチューが置かれていた。


「今日は妙に手が込んでるな」


「なによそれ。いつものディナーには手が込んでないっての?」


「あ、いやそうじゃなくて」


彼女の鋭いまなざしに狼狽える。


「いつも手が込んでるけど、今日はよりいっそう手が込んでるなって言いたかったんだよ。そう。本当に」


「ふーん。それならいいけど」


「本当だよ。だってハンバーグまで……」


内心、ここ最近まで研究に明け暮れていた俺はこの家に帰った日もリリの手料理に向き合えていなかった気がする。だから妙に手が込んでるというのは失礼極まりなくそのまま出た本音であり咄嗟に隠さなければならないと思ったのも事実だが、決して彼女の主婦としての腕に不満があるわけではなかった。


夕飯の支度を済ませ椅子に腰を下ろすと二人で合掌をする。この時間だけはただ静かに、頭の中を空っぽにすることができた。


「いただきます」



「あなた、嘘ついてるでしょ」


「ぶふぉっ!?」


食事を終えた後、リビングに流れる沈黙を解いたのはカウンターで食器を洗うリリだった。思わずコーヒーを噴き出す。


「な、なにを?」


「ニュース見たのよ。幽霊の正体に関する論文の」


「あ、あぁ。それで?」


「”それで?”じゃないわよ。幽霊の正体が念だって本気であなたが表明したの?」


「そうだよ、カルロと長年研究に携わって導き出した答えだ。今の段階では間違いない」


その瞬間カウンターの蛇口が閉まり、水音が止まる。今まで擦っていたはずの食器をシンクに置いた様子でリリは言った。


「そんなの嘘よ。幽霊の正体は電気なんだから」

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