深淵のオライオス
国芳九十九
第1話 幼児期
ラスム川を下った先、名も無いほどに辺鄙で廃れた村があった。村には百人も居なく、村人の多くは罪人であった。中央には教会があり、牧師が居る。牧師は、人は皆平等である、という思想の基、幾人の賛同者と罪人と共にこの村を作った。
村は平和であった。食料が無いというのは常だが、外からの害を為す者は、腕っぷしの強い者に依って退かされた。
常々、飢えとは友であった。生まれたばかりの記憶を除けば村の者たち以外を、私は知らなかったが為に、飢えは性分の様な物と思っていた。生まれたばかりの記憶は、随分と華美な物であった。併し、人間からの瞳は、太陽の光さえ冷たくした。
斜陽が蠢いて、死とは自由である、なぞと囁き続ける。時に違う語彙を以てしては、時に違う事を云っていた。森は弧を描き、一本線の雲が幾つか。斜陽はまだ囁く。
躰が痛む。風穴が空いたからだ。而も、斜陽に依って目が痛む。死体が冷たい、私が頂とはえも云われぬ嬉しさがある。さて、私は確かに死が自由だとは思う。併し、そこに躰の自由は無い。魂だけの自由に過ぎない。何より、それは虚構だろう。虚構の自由なぞ、私は崇めず、縋らず、そして信じない。
吾が命は失せた。さぁ、儚くも草地を踏む様に死に行った躯どもよ、吾が命の代替になるが善い。
負の感情が、生命の残滓が、隠れる影が、凡て私に坩堝と化す! そして、凡てが深淵に成るのだ! 斜陽を隠匿し、百千の顔が私の深淵の躰に浮かび上がる。
「さぁ雑兵どもめ、ショーの時間だ…!」
命が六つ、七つ、八つ。何たる至極か。いづれは終わってしまう事が、悲しくて仕方が無い。併し、まだまだ居る、まだ楽しめるではないか!
自害しようとする者、逃げる者、命乞いをする者、勇む者、凡て殺した。脆く儚く、毎朝見る朝日の様に記憶に残らぬ、唯の雑兵であった。
全部を殺した後は、何だか寂しくなった。人間に戻り、見晴るかすは廃屋と幽かに血が染み込んだ地面だけであった。牧師の付けていたロザリオ(十字架ではなく逆三角形に十字架が貫通して十字架の横線の上にもう一本線がある物)を見つけ、首に掛けた。もう夜だ、躰が冷えて来た。
朝になり、私は旅に出た。川を過ぎて平原に出ると、左目から額に帯を何枚か撒いてローブを羽織る男が居た。男は右目で私を見続けた。
「俺はダニールだ…」
「オライオス…だ」
「そうかい…よろしく、な」
草臥れた印象である。見つめ合い、ダニールは踵を返した。
「いずれ、また会おう」
そう云って消え去った。
深淵のオライオス 国芳九十九 @Kabotya1219
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