ポタ、ポタ、と、断続的な水音が、暗く夜の闇に沈んだ廃工場に響く。撮影は終わり、廃工場に持ち込まれているライトは全て電源を落とされている。先輩達は、撮影のデータを持っていつものように『スタジオ』に行ってしまった。

 撮影は終わった。――だから、ここからの片付けは僕の仕事。

 スマホのライトを付けて、それを足元に向けたまま、僕は震える息を無理矢理肺に送り込んで深呼吸をした。生臭いくて鉄っぽい血の臭気が、廃工場に充満している。スマホのライトを少しずらせば、寒々しい灰色のコンクリートに飛び散った赤い血痕が、ライトの光を反射しててらてらと光る。白と黒の毛が、血に塗れてあちこちに散らばっていた。

 僕はスマホのライトを消し、吐き気を堪えながらジッと暗闇を見つめ続けた。――あんな悍ましくて恐ろしい光景を、あんなに眩しくて白い光の中で直視したくなかった。

 暫く立ち尽くす内に暗闇にも目が慣れてきて、黒一色に見えていた闇の中に、ぼんやりと輪郭が浮き出てくる。コンクリの床に溜まった液体。その周囲に散乱する、大小様々の肉片。そして、ロープで吊された、記憶よりも幾分か小さくなった猫――猫だった、肉の塊。

 僕は震える手を伸ばして、その大きな肉の塊に手を添えて、ロープを切った。ぐんにゃりとまだ生温くて重いそれは、手の上でぬるりと滑って粘ついた。濃厚な血の臭いと、生臭く、しかしどこか甘ったるい死臭が鼻について、僕は嘔吐きながらそれを下ろし、用意していた紙と襤褸布で床の血を拭いた。

 ……この作業は、何度、何度繰り返しても慣れることがない。けれど、毎回恐ろしさと気持ちの悪さに吐きそうになりながらも、慣れることがないことに安堵している自分がいるのも感じていた。

 一通り血を拭って、落ちていた肉片も拾い集めて、僕は血をたっぷり含んだ襤褸布に猫の死体を包んで立ち上がった。胸元と腕にべっとりと血がついた。

 死体を持って工場裏に回り、いつも死体を埋めている工場裏に回る。穴――死体を埋め続けたせいで、最早穴というより窪みになっているが――に、布ごと死体を横たえて、穴の縁にぺたりと座り込んだ。柔らかい夜風がさらりと僕を包んで撫でて、僕の身体に纏わり付いた血の臭いを攫っていく。

 頭上で、さわさわと葉のこすれる音がする。座り込んだまま頭上を仰ぎ見れば、そこには月明かりを遮って、一輪の枯れた大きな向日葵が、重たい花部分を俯かせて、まるで僕を見下ろすかのように頭を垂れていた。

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