第7話 トイレのノックおじさん!


 息を切らしながら旧校舎の女子トイレに駆け込む。


「はぁ……はぁ……花子さん! いるの!? 大変なの!」


 一番奥の個室から、不機嫌そうな顔の彼女が姿を現した。


「はぁ? またあんたなの? てか、マジでノックくらいしなよね。ここ、ウチのプライベート空間」

「そんなこと言ってる場合じゃないの!」


 わたしはパニック状態のまま、これまでの出来事を一気にまくし立てた。

 帰り道、武士の霊が目の前で握りつぶされたこと。そして叔父さんが週末に学校中の怪異を「大掃除」すると宣言したこと。


「あした、叔父さんがこの学校の怪異を全部"掃除"するって! あなたも、他の怪異たちも、みんな消されちゃうんだよ!」


 わたしの鬼気迫る様子に、花子さんのゆるっとした雰囲気が消え、真剣な表情に変わる。


「……マジ? アイツ、ガチでやる気なの? ヤバくね?」

「そう! ヤバいの! だからね」


 初めて、わたしたちの間に共通の危機感が生まれた。わたしは、さっき花子さんにもらったのとは別の、ポケットに忍ばせていたミルクキャンディを一つ取り出すと、彼女に差し出した。


「これ、あげるから! 一緒になんとかしよう!」


 花子さんは「おっ?」と、一瞬驚いた顔をしたが、黙ってそれを受け取ってくれた。たぶん、わかってくれたのだろう。


 これからどうするか、作戦を立てようとした、その時。

 廊下の向こうから、いま一番聞きたくなかった声が聞こえてきた。


「わたしちゃーん、どこですかー? こんな所に一人でいると危ないですよー」


 血の気が引く。


(あなや! わたしを心配して、追いかけてきたんだ……!)


「ヤバい、なんで!」と花子さんも顔面蒼白だ。わたしたちはアイコンタクトもそこそこに、一番奥の個室に二人で飛び込み、内側からそっと鍵をかけた。

 息を殺す。心臓がうるさい。


 やがて、叔父さんの足音がトイレの中に入ってくる。


「おや、このトイレでしょうか? 返事をしてください、わたしちゃん」


 シン……。

 返事がないことを確認すると、叔父さんは楽しそうに言った。


「仕方ありませんね。一つずつ、確認しましょう」


 コン。


 一番手前の個室のドアが、軽くノックされる。

 その瞬間、衝撃波がトイレ全体に走り、空気がビリビリと震えた。


(なに、この衝撃!? 全身に針を刺されているみたい……痛い!)


 コン。


 二番目の個室のドア。今度はさっきより強い衝撃が走り、天井の電気がチカチカと明滅する。隣で、花子さんが「ぅ……」と苦しげに呻いた。

 ダメだ。花子さん、声を出しちゃいけない。パァン!!!!!されちゃう!


 そして、叔父さんの革靴のつま先が、わたしたちが隠れる個室のドアの下に、ピタリと現れた。

 わたしは自分の口を両手で必死に塞いだ。お願い、心臓の音、聞こえないで。

 近い。近すぎる。このドアを叩かれたら、わたしたちはどうなっちゃうの?


 ──ゴン。


 これまでで最も静かで、最も重いノック。

 音と同時に、凄まじい衝撃が狭い個室の中を吹き荒れた。

 目の前で生み出された暴風に、わたしたちの背中は壁に張りつけになる。

 ぐっぐっ、と内臓を直接握りつぶされるような激痛。息が出来ない。耳の奥がキーンと鳴り、目の前が真っ白になる。

 隣の花子さんに目をやると、その姿が、ノイズの走ったテレビみたいに、激しく明滅して……半透明に、消えかかっている。声にならない絶叫が、わたしの頭に直接響いた。


(花子さん!)


 叫びたい。でも、叫べない。

 痛みと恐怖で溢れ出す涙をこらえ、わたしは自分の手の甲を強く噛んだ。声を出したら、終わりだ。


 暴風が去ると、今度は爆発的な心臓の音が戻ってくる。長い沈黙。

 この心音を聞かせない為に、呼吸を止めることさえ考える。


 やがて、ドアの向こうから、叔父さんの呟きが聞こえた。


「ふむ。ここにはいないようですね。どこかで入れ違いになったのかもしれません」


 足音が遠ざかっていく。トイレから、そして廊下の向こうへと消えていく。

 完全に気配が消えたことを確認し、わたしはようやく、こらえていた息を吐き出した。


 助かった……?

 わたしがおそるおそる隣を見ると、花子さんが床にぐったりと倒れていた。その体は消えかかりそうなくらい薄くなっている。かろうじて、生きている。


 叔父さんが、ただわたしを探しに来ただけで。

 その何気ない行動だけで、仲間が死にかける。

 このままでは本当の意味で命がいくつあっても足りない。この状況をなんとかしなければ!


 そう思うのに、いまのわたしは、しばらく震えることしかできなかった。

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