複製の女王蜂 ”白鷺ユリ”  ーどっぺるげんがあぁ 前日譚ー

陵月夜白(りょうづき やしろ)

プロローグ ―再誕―

プロローグ ―再誕―


「心停止! 心停止です!」

電子音が鳴り響く。連続した警告音が鋭く、耳を刺す。


 由梨の病室が、突如として修羅場に変わった。

「コードブルー! 病室306、コードブルー!」

 ナースステーションから駆け出す白衣の影。

 医師も複数名がエレベーターを待たずに階段を駆け上がる。


 誰かが叫び、誰かがぶつかり、廊下に点滴スタンドが倒れた。


「除細動器は!?」「来てます!」「心電図つないで!」

「酸素マスク装着完了!」「圧迫、始めます!」


 人工呼吸器が外され、代わりに医師の手が胸を激しく押す。

 制服のように整えられていたパジャマのボタンが素早く弾かれ、胸があらわになる。

 若い看護師が血の気の失せた顔でデータを読み上げる。


 「脈、なし! 血圧、測定不能! SpO₂、急降下!」

 「除細動、チャージ80……100……いける!」

 「クリアッ!」

 バチン、と乾いた音。

 少女の小さな身体がベッドの上で跳ねた。

 「……反応なし、心拍、戻りません!」

 「もう一度、チャージ……今度は150で!」

 

誰もが眉間に皺を寄せ、誰もが額に汗を滲ませる。

 日常と死の境界が、今まさにこの部屋で曖昧になっていた。


 14歳の少女、由梨。

二年前、家庭内での虐待から逃れようと、二階の窓から飛び降りた。


 頸椎及び脳にも損傷を負い、ずっと昏睡状態が続いていたが、病院の誰もがその死を今、初めて目の前にしていた。


 「脈、まだです! アドレナリン、投与しました!」

 「もう限界です……先生……」

 若い看護師の声に、主任医師が歯を食いしばる。

 「――まだ、あきらめるな。もう一度いくぞ、200で!」

 「……クリア!」

 今度は、一瞬呼吸が止まるような静寂とともに、

再び少女の身体が跳ねる。


 だが――

心電図は、沈黙を保っていた。



 そのとき。

遠く、夜の山奥で――

しんと静まり返った森の中に、風が吹き抜けた。

 星も月も届かぬほど深い山間。

廃屋となった木造の小屋の中で、

誰にも気づかれず、何かが、そこにいた。


 腐った畳の上に、ぬるぬると光る半透明の塊がひとつ。

それはまるで生き物のように蠢き、鼓動すら持たないのに、命のような熱を宿していた。


 やがて、奇妙な音を立てながら細胞が分裂を始める。

骨格をつくり、神経を這わせ、内臓が芽吹くように育つ。

静かに、そして着実に、人の「形」が作られていく。


 その姿は、やがて丸まった胎児のような少女の姿になった。

 裸の身体を抱えるように、膝を胸に寄せた姿勢で眠るその少女は、あまりにも神秘的で、そして美しかった。


 長い黒髪が肩に落ち、まぶたの下には深い眠りの影が宿る。

指先がわずかに動き、呼吸が始まる。


 やがて彼女は、ゆっくりとまぶたを開いた。

その瞳には、冷たい光が宿っていた。

怒りと哀しみ。

そして、なにより――確かな目的。


 少女は何も言わず、小屋の中を見渡した。

小さく首を傾け、静かに立ち上がる。

寒さをものともせず、ゆっくりと戸口に向かって歩み寄る。


 軋む音とともに開かれた扉の先には、深い夜の山道。

彼女は一歩踏み出し、冷たい風に髪をなびかせる。


 その時――遠くからヘッドライトの光が差した。

暗闇を裂くように一台の高級セダンが近づいてくる。


 道端に佇む少女の姿を見つけ、車が急停止した。

「おい……どうした!? 大丈夫か!」

60過ぎの、恰幅の良い男が車から降りてきた。


 少女は、ゆっくりと顔を上げた。

まるでこの世のものとは思えぬほど美しいその横顔に、男は言葉を失った。


 

 同時刻、病室では――

「……! モニター動いてます! 脈、復活!」

 「心拍、確認!」

 「血圧も戻りました!」


 医師と看護師たちがどよめく中、

眠る由梨のまぶたは、ピクリとも動かなかった。

けれどもその心臓は、確かにまた動き始めていた。


 それは、生の帰還か。

あるいは、死の置き土産か。

 “もうひとりの少女”――


 ユリが、この夜、誕生した。

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