第3話 三穴目〜互いの事情〜
//SE 二人分の足音
//SE 鍵を開ける音
//SE 引き戸を引く音
「ただいま。って誰もいないんですけどね」
「ちょっと待ってください。身体を拭くタオルと足を洗う水を張った桶を用意するので」
//SE キィーと床の木の板がしなる音
//SE ガサゴソと家探しする音
//SE 戸が閉まる音
//SE 蛇口から水を桶に溜める音
//SE 乾いたタオルを渡される音
「はい。拭いてください。桶は玄関に置いていきます。靴と靴下を脱いで、ちゃんと綺麗にしてから上がってくださいね。私はお風呂の準備をしてしまいますから」
「あっ! 言っておきますけど、こんな田舎でも薪の五右衛門風呂とかじゃないですよ」
「ちゃんとガスも電気もネットも通りますから。意外なことに通販圏内です。それじゃあ私はお風呂の栓を閉めて風呂自動を押してきますから」
//SE バタバタとした去っていく足音
//SE キィーと床の木の板がしなる音
//SE 身体を拭く音
//SE バタバタとした近づいてくる足音
//感心する声
「ふーん明るい場所で見ると綺麗な顔しているんですね。さすが都会っ子」
「うん。それぐらい綺麗ならもうお風呂場に行って大丈夫ですよ。湯船のお湯は時間がかかりますけど、温かいシャワーは問題ないので」
//少し気まずい声
「着替えは父のモノを用意してあります。下着も父のですが、ちゃんと洗濯してあるので安心してください。それとも新品の男性モノ下着としてお祭り用のふんどしがありますけど着けます?」
「やっぱりふんどしはつけないですよね。この辺りコンビニもないので、すぐに換えの下着を用意するのは厳しいので妥協してください。下着は履いて帰ってから捨てていいので」
「私はお兄さんがお風呂場に入っている間に洗濯機を回して、お兄さんの靴を洗っておきます。ドライヤーで乾ききらなかったら、替えの靴を用意しますから」
「それじゃあ早く入っちゃってください」
//SE シャワーを浴びる音
//離れた場所から聞こえる少女のノスタルジックな鼻歌
「〜〜〜〜〜〜〜〜♪」
//SE 画面転換の音
//SE ドアを開ける音
//SE ドライヤーの音
//華やいだ少女の声
「よかったっす。サイズはお父さんのでも問題ないみたいっすね」
//SE ドライヤーの音が止まる
「どうかしたんっすか? きょろきょろして」
「お父さんですか。当分家に帰ってくる予定はないっすよ。病気で入院しているっすから。今日も街の病院までお父さんの面会に行ってきた帰りっす」
//無理して楽しげな感じを装った物悲しい声で
「ちなみにお母さんは十年以上帰ってきていないです。田舎が嫌いだったみたいで。他に男を作って離婚して出ていっちゃったっす」
「だから今は家に私しかいないっすね」
//開き直った声で
「寂しくないか? うーん慣れました。ここ最近はずっと一人でしたから。ただ少し怖いっすね」
「ほら? ほぼ若い女の子の一人暮らしですし、この近辺の家は幼い頃からの顔見知りだとしても、知らない人が突然きたら怖いです」
「私有地の山と看板立てても、無視して入ってくる人がいますから。だから普段からシャベル担いで、無駄に深い穴を掘ってみたりしているんですよ。そんな不審者がいる場所には近づきたくないでしょ?」
「そんなに深刻そうな顔をしなくても大丈夫です。お父さんが入院でいないのは、ここ最近のことですから」
「それに最近は……久しぶり会った人が豹変していて……ううん私が勝手に美化していただけですね。そのせいで人間に会う方が少し怖かったんです。記憶ってとても曖昧じゃないですか」
//とても優しい声で
「くすっ。お兄さんのことじゃないっすよ。もしも豹変していたら家にあげていません。お兄さんは昔のままでした。昔のように話していると楽しくて、とても安心できた。あぁ〜楽しいなって。昨日は泣いちゃいました」
「私は……お兄さんが美化された想い出じゃなかったことが嬉しかった。そう嬉しかったんです。お兄さんは私のお母さんとは違うんだって」
「その様子だと気付いていたようっすね。昔この辺りでお兄さんと遊んでいた男の子はなにを隠そうウチっす。この話し方も懐かしいですよね。驚きましたか? 女の子だってことに」
「まさか男の子と間違えられているなんて……少し思ってました。昔はやんちゃでしたし」
//両腰に手を当てておどけながら怒る声
「今もやんちゃだろ? 失礼ですよ!」
「やんちゃじゃなければあんな大きな穴を掘らない? これは議論の余地がありますね」
「もう! 全国の穴掘り地雷系女子に謝ってください!」
「そうわかればいいんです。わかれば」
//楽しそうに吹き出す
「あははは。こんなに楽しいのは久しぶりです。お兄さんは急に遊びに来なくなりましたからね」
//口を尖らせて非難する感じで
「来年も遊ぼうって約束したのに。私はこんな日々が夏休みが来るたびに繰り返される。そう期待して楽しみに待っていたんですよ? お兄さんが憧れていたヘラクレスオオカブトまで飼い始めて」
「ごめんって今更謝られても困ります」
//本当に困った様子で
「本当に困るんですよ。怒ってないですから。こんな小さな集落ですからね。お兄さんの事情はすぐに知っちゃいました。ご両親が亡くなって親戚の家に引き取られたって。もう会えないんだって」
//泣きそうな声で
「正直本当にもう会えると思っていませんでした。お兄さんのお祖父ちゃん……川向こうの家のお爺ちゃんも半年前に亡くなってしまいましたし」
//真剣に真っ直ぐに
「どうしてこの集落に戻ってきたんですか? 今はどこに住んでいるんですか?」
//納得した声で
「そうですか。お爺ちゃんから遺産としてあの家はお兄さんに譲渡されたんですね。それでご親戚の家を出たと。大変でしたね」
「昨日うちの山に入ったのもお爺ちゃんからの遺言だった? 昔遊んでいた幼馴染も会いたがっているぞ……って」
「もうお爺ちゃんは口が軽いんですから。私はお兄さんの事情を聞きに、たまにお爺ちゃんと話していましたからね」
「その遺言があったからお兄さんはこんな田舎に来ようって思ったんですか? つまり本当に私に会いに?」
「もう……お調子者ですね。男の子って勘違いしていたくせに。でもありがとうございます」
「私に会いに来てくれて」
「私を思い出してくれて」
//SE 急に降り出した強めの雨音
//少し困ったように
「雨……降ってきましたね。お兄さんはどうしますか? 靴もまだ乾いていませんけど」
「お兄さんはお爺ちゃんの家に帰っても一人なんですよね」
//SE 雷の音
//かなり驚いた声
「ひゃう!」
//誤魔化すように焦りながら早口で
「まだ雷が怖いのかって? こ、怖くないですよ!? ただ豪雨と雷の組み合わせはやはり三年前の土砂崩れを思い出すと申しますか。昨日も夜中に雨が降っておりましたし、また普段歩いていた道が土砂崩れになったら不便になったら嫌だなと」
//SE 雷が落ちる音
//SE ブンッと鳴り灯りが明滅する
//泣きそうな声
「落ちた! 今絶対落ちましたよね!? 山火事とかになりませんか? あっ! 見に行っちゃダメです! お兄さんはちゃんと私のそばにいてください!」
//SE としんと女の子の頭を胸元で抱きしめる音
//顔の真下、胸元から声
「お、落ち着きました。もう大丈夫。大丈夫ですけど、もう少しこうしていてもいいですか」
「ありがとうございます」
//SE どちらかかわからない鼓動の音
//しばしの無言。唾を飲む音
「…………ん」
//SE 雨音が落ち着いてくる音
//胸元からの声
「本当に……大丈夫なんですよ? いつもなら。一人は慣れているんで」
「…………あっ。強がらなくていいって」
「そんなことを言われたら私は本当に弱音はいちゃいますよ? いいんですか?」
//SE 肯定するように抱きしめる力を強くした衣擦れの音
//胸元からのとつとつと話す声
「……お父さんがもう、たぶんそんなに長くないんです。いつ死んでもおかしくないとかではないんですけど、あと数年のうちに亡くなると思います」
「うちのお父さんは投資で儲けて、そのお金で仕事を辞めて念願だった田舎暮らしを始めた人で。お父さんの実家があったこの集落に移り住んだんです。私も喘息持ちでしたし、自然豊かな方がいいって」
「子供の頃は優しくて綺麗なお母さんだと思ってました。でもお母さんは田舎暮らしが嫌で、外に他の男性を作って出ていって離婚しました。お父さんは私の親権を取るために、平等な財産分与に応じて離婚が成立したんです」
「……お父さんが病気になって、あの人と久しぶりと会いました。相変わらず綺麗で私には優しくて、記憶のままで。……待ち合わせ場所は喫茶店の喫煙ルームでした。お母さん私の前でタバコを吸ったんです」
//感情の感じられない声で
「あの人は昔から私のことをまともに見てなかった。喘息持ちということも覚えていなかった。ただ取り繕うのが上手いだけ。会ってそうわかってしまったんです」
//だんだんと感情の堰が壊れた嗚咽混じりの声
「ずっと……お母さんに会いたかったはずなのに、もう会いたくない。私が美化していただけで。そんな自分勝手な自分も汚く感じて……もう嫌になってきて」
//抱えてきれなくなった想いを吐き出したように
「だから……私は……一人になるんだって」
//SE ガタンと体制が崩れて二人とも座り込む音
//SE 絶対に離さないと強く抱きしめる衣擦れの音
//嗚咽を抑える無言の時間
「……………ひくっ……」
「…………」
//胸元からの落ち着きを声
「怖いんです。あの人は違う男性を連れていました。お金にも困っているみたいで。私のこと、お父さんが死んだら財産を受け継ぐ娘としか見ていません」
「あの人があれだけ嫌っていたこの家まで乗り込んで来たらどうしよう。お父さんはまだ生きている。でも死んだら? 私は本当に一人きりになっちゃう。一人で実の母親を名乗るあの人と向き合うの? 理解できないのに。私のことも理解しようとしてくれないのに」
「昨日、お兄さんに会って久しぶり安心したんです。なんだか子供の頃に戻れた気がして。なにも考えなくてよくて楽しかった。ああ……お兄さんは私が勝手に美化した想い出じゃなかった。ちゃんといた。いてくれた。それがわかって嬉しかった」
「ごめんなさい。急にこんなことを言われても困りますよね」
//SE 顔を上げて離れようとする音
//SE 強く抱きしめて引き留める衣擦れの音
//顔のすぐ横からの声
「お、お兄さん?」
「お兄さんも落とし穴でのやりとりが懐かしかったんですか? あのときは落とし穴じゃなかったですけど」
「ふふ、出会ったときのことも覚えていたんですね。お兄さんが用水路に落ちて出られなくて泣いていて。ちょうど通りがかった私も用水路に飛び込んで、一緒に水遊びして」
「楽しかったですよね。お互いに子供でした」
「ええ。今は近くに住んでいるんですからいつでも会えますね」
「お兄さんはもういなくなりませんか?」
//SE 抱きしめながら頭を優しく撫でる音
//顔のすぐ横からリラックスしてきた声
「……本当に子供扱いしてます?」
「穴から一人で出れないくせに」
「あっ……イヤなわけじゃないです」
//SE 再び頭を優しく撫でる音
「私も穴から一人で出ようとするのはしんどくなってきました」
//顔のすぐ横であくび
「ふぁ〜」
//顔のすぐ横で眠たげな声
「すみません。実は最近うまく……眠れていなくて。お兄さんのそばだと……安心……しちゃうので」
「今度はずっと……近くに……いてください」
「目が覚めて……そばに誰もいなくて……また夢だったんだって泣くのは……もういや……」
「一人は……いや」
「私を……一人に……しないで」
//腕の中で寝息
「すぅ〜すぅ〜」
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