その頃、アードルフは

昨日も音楽院を休んでしまった、とアードルフは気にしていた。


こんなことをしていてはいけないと思いつつも、目の前に困ったあの人がいると思うと、助けずにはいられなくなる。


エレオーラはアードルフよりも2歳年上の女性だった。


幼い頃、甘えん坊であったアードルフには母を同じくする兄や妹などがいなかったから、優しく見守ってくれるエレオーラの存在はとても大きかった。


当時、アードルフは好んで正方形の紙を折って動物や人・物などをつくる紙遊びをしていたのだが、トリアでは紙遊びは女性のするものだという認識であったため、彼が紙遊びをしているとまわりは微妙な反応をした。


『そんなの、女がするもんだろう!なんで男のお前が紙遊びなんてしてんだ、女みたいなヤツだな!』


心無い貴族の子どもたちが、アードルフをからかうことも少なくなかった。


だが、エレオーラは違った。“手が器用なんだね。すごいね!”そう言って、いつも褒めてくれたのだ。


バイオリンをやりだした時もそうであった。笑ってしまうような間抜けな音が出た時も、笑わずに応援してくれたのは彼女だ。


......だから、エレオーラが駆け落ちしてしまった時は大変なショックを受けた。あまりの悲しみに、もう誰も好きになどならない、と思ったぐらいである。


だけど、時間が経つにつれて心の傷はだんだんと癒えた。自分が変わることで、自分に自信が持てるようになったのもある。


そして、ルイーズに出会った。


(ルイーズは大事な人だ。だが、それとは違う意味でエレオーラも大事な人なんだ)


かつての恩人が生活に困っていると知れば、手を差し伸べずにはいられない。


貴族の令嬢であったエレオーラがあくせくと働いている姿なんて、哀れにしか思えなかった。


........彼女は駆け落ちする時に、アードルフに手紙を残していた。手紙は、全て謝罪の言葉だった。自分ではアードルフを幸せにする自信が無いと書かれていた。


(そんなことはないのに)


当時、自分のなにがいけなかったのかと真剣に考えた。そして、徹底的に自分を見つめ直した。


甘ったれだった自分を男らしくしようと会話術を学んだり、考え方を広げようと本もたくさん読んだりもした。


特に、人との関わりに力を入れたおかげで、親戚であったフローレンスやコンラートとは本当に仲良くなった。


エレオーラにとっては、かつての自分は甘えてばかりの年下の男の子、という認識だったのかもしれない。だから、自分から離れていったのだろうと、考えていた。


(だが、そんな甘ったれな自分はもう変わった。今の自分を見て欲しい)


成長した自分を認めてほしい気持ちがある。そして、生活に困っているエレオーラをどうしても助けたい。


ルイーズのまわりにはフローレンスやコンラートもいて、生活に困ることがない彼女から少しくらい離れていても、問題ないと思っている。


(別に邪険にするわけではないし、ほんのちょっとエレオーラに時間を割くだけだ)


エレオーラの生活が安定するまでの時間、少しくらい時間を使っても問題ない、そう考えている。


そう判断したアードルフは、エレオーラが働く店に通って、彼女を説得することから始めた。


彼女はアードルフを見ると再び、動揺していたが、困っていたのもあってだんだんと軟化した態度に変わっていった。


自分が彼女を助けているのだと思うと、満足した。


抱きつかれてキスされた時は驚いたが、エレオーラがついに自分を年下の小さな男の子ではなく、大人の男として認識したのだと思うと、優越感のようなものも感じた。


(キスは口ではなかったし、問題ないさ)


アードルフはそう考えた。


........心を許したエレオーラから、駆け落ちした当時の心境を少しずつ聞くことができた。


エレオーラは“甘えたかった”、と言った。人生が一度きりだと思うと、思い切り自分が甘えられるような男性と人生を共にしたいと感じたのだ、と言っていた。


アードルフには、当時の自分に思い当たることがあったので、話を聞くと納得した。


(だけど、今は違う。こうもエレオーラは自分を頼りにしてくれている)


彼女には子どもがいると言うので、ついこの間、子どもに会った。とても可愛いエレオーラに似た女の子だった。


いつも仕事前に預けているという隣人に会い、まとまった金を渡した。金を渡すと隣人の態度も急に良くなった。


自分なら助けられる力があるのだ、とより感じられた。


彼女の状況を改善するために、実家との関係を修復してやらねばと思っている。


執事の息子との子どもであってもエレオーラの子だ。自分がとりなすことで、こじれた親子関係も修復できるだろう。


(そうしたら、元通り落ち着いた生活になる)


問題を早く解決してルイーズを早く抱きしめたい、そんなことを考えていたアードルフであった。

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