白銀のセレナーデ

@Toliy

第1話:雪原の記憶


白い息が空に吸い込まれていく。

その寒さを不思議と感じなかったのは、胸の中に温もりがあったからだ。


「ブイ! ブイーッ!」


楽しげに跳ね回るイーブイの足元で、粉雪が軽やかに舞った。

佑真は小さな手でマフラーを押さえながら、その姿を追いかける。


「そんなに走ったら転ぶぞー、イーブイ!」


「ブイッ!」


元気な鳴き声とともに、イーブイがまた一歩先へと進む。

ふたりで何度も遊びに来た、山の奥にある雪原。

その日も、雪は静かに降り続いていた。


けれど、その穏やかさは突然打ち砕かれる。


――ドゴォォォォッ!


山が鳴った。風が唸った。

斜面の雪が崩れ、白い壁となって押し寄せてくる。


「……っ!」


一瞬で凍りついた思考。反射的に、佑真はイーブイを抱きしめて身を伏せた。


(だめだ……逃げられない……!)


視界いっぱいに広がる雪崩。その絶望的な風景に、幼い心は凍りつく。

そのときだった。


「クゥゥゥ……オオオオオン!!」


氷のように透き通った咆哮が、空から降り注いだ。

突如、白銀の翼が風を裂き、氷の巨体が雪崩の前に降り立つ。


それは――キュレム。


冷気の王。氷を纏いし伝説の存在。

その一鳴きとともに、世界が一変した。


キュレムの放つ冷気が一瞬にして周囲の空気を凍らせる。

暴れ狂っていた雪崩が、まるで時間を止められたかのように動きを止め、氷の壁となって静止した。


「……クゥゥン……」


佑真の前に立ち塞がるようにして振り返ったキュレムの瞳が、静かに彼を見つめていた。

それは、凍てついた鋼のように無機質で……だが、どこか優しさを宿していた。


「……ありがとう……」


凍った唇から漏れた、かすかな声。

キュレムは何も言わず、風のようにその場を離れ、吹雪の彼方へと姿を消した。


「ブイ……」


腕の中で震えるイーブイのぬくもりを確かめながら、佑真はただ空を見つめ続けた。


あの日、あの場所で。

伝説のポケモンに命を救われた。

その記憶は、雪よりも静かに、心の奥深くに刻まれていった。


***


「……夢、か」


目を覚ました佑真は、天井を見つめながらつぶやいた。

どこか寒さが残っている気がするのは、夢のせいか、それとも記憶のせいか。


「ブイ〜……」


隣の枕に丸まって眠っていたイーブイが、小さく鳴いた。

佑真はそっとその背を撫でる。


「また……見たよ。あの日の夢」


あれは夢なんかじゃない。はっきりと覚えている。

あの凍えるような風も、キュレムの咆哮も、そして……助けられた命の重さも。


「キュレムって、本当にいたんだよな……」


誰に言うでもなく、佑真はつぶやいた。

ポケモン図鑑の中でしか知られていない伝説の存在。

けれど、自分はそのポケモンに確かに出会った。


そしてあの日、イーブイと誓った。

「守る」って。

どんな困難が来ても、二人で生きて、誰かを助ける側になるって。


その誓いは、今も変わらない。


「今日も、一緒に頑張ろうな。イーブイ」


「ブイッ!」


イーブイが勢いよく跳ね起きて、元気よく返事する。

その声に背中を押されるように、佑真はベッドから立ち上がった。


今日も日常が始まる。

だがその裏で――運命は、静かに動き始めていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る