夏の記憶

ナバカリ

夏の記憶

 「昔は良かったのに」

対象は人それぞれにしろ、そんな思いを抱いたことがない人は少ないと思う。僕の場合は、その対象というのは自分自身の感受性であることが多い。

「昔はもっと些細なことに驚いたり感動したりすることができたのに」

「今の自分は前の自分なら気づけていた、何か日常を彩るような発見を見落としてばかりいる」

そんな思考に陥ってしまうのは、今に嫌気がさした時というよりも、むしろ過去の記憶を思い出した時だ。


 夏という季節から真っ先に脳裏に浮かぶ情景がある。

 テレビの中では観客のそれほどいない野球場で高校野球の地方予選が行われている。地方局のアナウンサーの実況と冷房装置の作動音が混じって聞こえ、それがより一層屋外の無音を際立たせている。窓の外は見るからに暑そうで、誰の姿も見当たらない。

 この世には自分以外の人間がいないのではないか?そんな馬鹿げた思考を炎天下の球児を映す生中継が否定してくれる。けれども、映像は実感を生まない。そんな希薄なものよりも、目の前にある窓の、内外の断絶の方が強く僕に訴えかけてきた。

 窓とは本来開け閉めできるもの、行き来できるものだけれども、その時の僕には窓の外の風景は決して手の届かない、こことは違う次元にあるもののように思えた。視覚で捉えられる程の屋外の熱気がそう思わせたのだろう。

 まるでショーウィンドウの中をのぞき込むようだ。動く物の何一つない、作り物じみた景色。あるいは僕が見世物なのか。そんなことを考えながら、冷凍庫から取り出したバニラアイスをかじった。


 多分中学生の頃の記憶。若干かっこつけて書いてしまったので当時の心境そのままではないかもしれないが、それでも窓から見える風景の、嘘のような現実味のなさは、間違いなくあのときの僕の心を揺さぶっていた。


 今でも時々思い出す、無機質な夏休み。僕にとっては夏祭りの屋台やスイカやカブトムシなんかよりもずっと、それは夏の記憶だった。

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夏の記憶 ナバカリ @nbkr01

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