12話 「約束」

 外に出た愛莉と誠は土地勘が無い場所では遠くに行くのも良くないと判断して、町などに行くことはせず、ソニード家の裏に広がる草原に来ていた。


「珍しいな。愛莉がアレくらいで済ませるの。同じ存在っていう同情心でも湧いた?」


 誠が少し冗談半分でからかうように言えば、愛莉は思い詰めたように顔を歪めながら笑った。


「それもなくはないけれどね。でも、そうね。〝あの子〟は私の〝もしもの姿〟だと思ってしまったものだから、どうしてもこれ以上は出来なかったのよ」


「もしも? ソニードさんが?」


「えぇ。一日あの子になって気付いたけれど、あの子には私で言う誠のような存在がいないのよ。家もこんな端の方にあるしね。あの子は私。誠がいなかった可能性の、私の姿。もし誠がいなければ、私はあの子のようになっていたでしょうね。少なくとも、今でも自由にはさせてもらえなかったと思うわ」


「あぁ、それはすごいわかる……、いった!」


 誠が愛莉の言葉に同意すれば、それが気に食わなかったのか、眉間にしわを寄せて誠の脛を蹴り飛ばした。誠はと言うと、結構な痛みがあったようで若干涙目になりながら蹴られた足を押さえていた。


「否定なさいよ、そこは」


「でも、愛莉には俺がいるよ。いや、違うな。〝俺〟は〝お前〟で、〝お前〟は〝俺〟だろ?」


「……そうね。だから私はあの子とは違くて、それこそが〝私〟が〝私〟でしかない理由なのよ」


「どういうこと?」


 いつもなら誠と愛莉が半身で二人で一つだと言えば、当然のように、でもどこか嬉しそうにしながら「当然だわ」と肯定の言葉を口にするのだが、今日の愛莉はなんだかいつもと少し違うように見える。どこか思い詰めたような顔をしていて、その感情はどうやら誠に向けられているようだ。


 愛莉は俯いて眉間に皺を寄せて少し考えたあと、顔を上げ誠に向き直して意を決したように真剣な表情をしていた。


「誠。貴方、随分と昔に私と約束をしたのを覚えているかしら」


「約束……? どれだかわからない」


「……。何歳の頃だったかしら……。三つ、いえ、四つだったかしらね。夕暮れの公園で、小指を絡めて約束したの」


「体は離れても、ずっと一緒……」


 その言葉は、誠の口から無意識に零れ出た言葉だった。


「あら。思い出したの?」


 その時の記憶なんてないはずなのに、覚えていないのではなく、無いはずなのに、何故か頭に響くその言葉。口にした途端、誠は全てを理解した。というよりは、理解せざるを得なかったのだ。

 その言葉を口にした瞬間に頭の中には無かった記憶が一気に流れ込んで来て、誠は脳がはち切れるのではないかと錯覚したほどだった。そして誠は理解する。自分はこの記憶を失くしていたのだと。


「いや、思い、出したというか……、あの時の記憶、俺、今の今まで知らなかったんだ。だけど……、愛莉の言葉で段々と、頭の中に映像が流れ込んできて、あの言葉を言い終わってから俺はあの時の記憶を失っていたことに気が付いたんだ。これは、一体どういうこと……? 愛莉、君はこれを知ってるのか?」


「あの時私たちが行った〝遊びの約束〟は、儀式になってしまっていた、らしいわ。この世界に来てから知ったことなのだけどね」


「儀式……? あんな、小指を絡めただけの約束が?」


「私たちからしたらあれはただ小指を絡めただけの子どもの約束。だけど、あの日、あの時間、あの場所で。偶然にも儀式の条件が揃ってしまって、そのせいで誠、貴方は全世界で唯一人の存在、特異点になってしまったのですって」


「俺だけ? たとえあれが儀式になっていたとしても、俺だけじゃなくて愛莉もその特異点になってるはずじゃないのか?」


「……あの約束は、私から始めたものだから。知らなかったとはいえ儀式を始めた私は特異点には成り得ない。だけど誠は、儀式に巻き込まれてしまっただけだもの」


 誠が流れ込む記憶に苦しみながら自身の頭を押さえ、愛莉に聞けば、愛莉は淡々と、だけど誠にしかわからない程小さく顔を歪ませながら問いに答えていく。誠でなければ愛莉がただ淡々と表情も変えずに話しているだけにしか見えないが、今この場にいて愛莉の話を聞いているのは他ならぬ誠だ。


「愛莉……」


「でも、だからこそ、全世界で唯一人の存在となってしまった誠の隣にいる〝愛莉〟こそ〝私〟なのよ。……結果だけ見れば、私は誠を利用しているのかもしれないわね」


 誠が愛莉のその微量の変化に気付かないはずはない。なぜなら彼らは、半身同士なのだから。


「さっきかららしくないな? 愛莉」


「……なんですって?」


 頭を押さえていた手を離し、誠は制服の襟を緩めながら、愛莉に一歩近付いて声をかける。

 他人に接するようにではなく、愛莉のためだけに紡がれるその言葉は、いつもの誠とは想像も出来ない程雰囲気が違っていて、それはまるで、お前はその程度なのかと挑発しているようだった。

 誠に挑発された愛莉はその言葉と態度が気にくわなかったのか、美人が台無しになるほどの形相で誠を睨み付けている。


「自分でも気付いてるか? 今の愛莉がいつもの愛莉らしくないって」


「あ、あなたねぇ! 私がどういう気持ちでこの世界の人に話を聞いて、誠に今こうして話をしていると思ってるの!?」


「それがらしくないって言ってるんだよ。俺の知ってる愛莉は、横暴で、わがままで、強がりで我慢強くて、俺への心配なんて一切考えない。でも本当は泣き虫で、寂しがり屋で、心を許した奴には無条件に優しい、俺の半身だよ」


 誠がそう言えば、愛莉は誠が挑発と称して自分を励ましてくれているのだと気付いた。愛莉は自分が世界で一番誠のことを分かっていると自負しているが、逆もまた同じで誠以上に愛莉を分かっている人など、世界のどこにもいやしない。

 誠が言った〝誠の知ってる愛莉〟は、正に愛莉自身も理解している愛莉そのものだった。


「私は、泣き虫なんかじゃないわ」


「言っただろ、俺が知ってる愛莉は、だよ」


「……誠は、昔から変わらないわね。優しいように見えるのは、他人に興味がないだけ。なのに、私にだけはやけに辛辣に喋るのよね」


「他人に興味があるかどうかはあえて否定しないけど、俺は自分を甘やかさないタイプなんだよ」


 愛莉はこの世界に来て、誠が自分のせいで特異点になったことを説き伏せられた。それはいつしか洗脳のように愛莉の脳内に蔓延り、愛莉の誠に対する感情はただ申し訳無さでいっぱいになっていた。だからこそ、誠が愛莉を思ってこの世界に来てくれて再会しても、愛莉は一度も誠に対して自身の半身だとは言わなかったし、誠が半身と言っても肯定をしてこなかった。


 誠もそのことに気付いていたのだろう。だから、何度でもその言葉を口にした。今だってそうだ。変わらず誠は愛莉を半身だと思っていて、それを愛莉に突きつけてくる。何も間違ってなどいないのだと。


「……そうね。だって私たち、ずっと一緒で、二人で、ひとつ。あなたは私で、私はあなただもの」


 愛莉が涙を流しながら少しずつ、ゆっくりと口にしたその言葉と同時に、愛理の頭上に光の輪が出現した後、ヒビが入っていき粉々に割れた。誠が粉々になった光の輪を見ていると、愛莉が誠に向かって倒れてくるのに気がついた。


「愛莉!」


 あわや地面に倒れる寸前で誠が愛莉の下に滑り込み、愛莉を受け止める。愛莉は先程の光の輪が原因なのか意識を失っているが、呼吸も正常で顔色も大丈夫そうなので、意識さえ戻ればいつものようにケロリとして誠に無理難題を吹っかけてくることだろう。

 今の誠からすれば、その光景すら懐かしいと感じてしまっているのだから、誠自身も重症だな、と渇いた笑いを浮かべるのだった。


「思えば、随分と遠くまで来ちゃったな。愛莉、約束だったもんな。迎えに来た」


 意識のない愛莉には、誠の愛莉だけに向けた優しい声が届かない。むしろ誠としては愛莉が意識のない今だからこそ言ったのだけど。


「……遅いわよ」


 誠の腕の中から聞こえた不満を含んだその声は、誠からしたら聞き覚えがあるどころの話ではなく、なんとも聞き馴染んだ声だった。


「……悪い」


 聞こえた瞬間にあまりの不意打ちに驚いて目を丸くした誠だったが、その声に返しながら腕の中を覗き込めば、つい今の今まで意識がなかったはずの愛莉が目を覚ましていた。


「いつ目、覚ましたんだ?」


「誠に、名前を呼ばれたもの」


「へ?」


 誠が自身にもたれかかっている愛莉の上体を起こしてあげると、愛莉は目を伏せながら誠に答えた。まだあまり意識がハッキリとしていないのか、誠はいつもの愛莉よりも幼い印象を覚えた。


「誠が呼べば、私はいつだって気付くの」


「あ、愛莉?」


 目を伏せたままの愛莉を呼ぶと、愛莉はその声に反応してパッと顔を上げた。そして自分が何を言ったのか理解したのか、みるみる愛莉の顔色が変わっていく。最初は目を丸くして青ざめていたのだが、次の瞬間には真っ赤になっていた。


「わ、忘れなさい!」


 愛莉と誠は長年一緒にいるし、自身の半身と言っているほど近い存在だったが、愛莉がここまで狼狽える姿を、誠は見たことがなかったように思う。幼い頃はコロコロ表情が変わって、今のような感じだったが、成長するにつれて感情のコントロールが上手くなったのか、愛莉が負の感情を表に出すことはあまり無かった。

 その愛莉がまるで昔のようにコロコロ表情を変えているのを見た誠は、思わず吹き出してしまった。決して愛莉をバカにしている訳ではなく、その誠から見れば微笑ましい光景に、笑みを浮かべない訳にはいかなかったのだ。なぜならそれは、誠と愛莉がまた昔のようになれるという証明なのだから。


「……愛莉。ごめん、遅くなった」


 吹き出した誠に更に顔を真っ赤にして怒っていた愛莉だったが、誠に呼ばれてポカポカと誠の胸板を叩いている手を止めて誠の顔を見れば、いつになく優しい表情をしているのが見えて思わず目を逸らして下を向いた。


「……謝ったってだめよ。大体、何に対しての謝罪なの?」


「え、来るのが遅くなったこと」


 意地を張って素直な言葉が出てこない愛莉は心にもない事を口にする。それに対して誠は特に何も思ってないように意地を張った愛莉の問いに答える。

 誠が答えれば、愛莉は不服そうに少し顔を顰め、口を開こうとした時、それを遮るように誠が再び口を開いた。


「それと、長い間、忘れててごめんな、愛莉」


 愛莉の頭に手を置き、もう一度謝れば、愛莉は目を丸くしながら誠を見たあと、その顔を徐々に歪めていった。大きな瞳いっぱいに溜まった涙を誠に見せないようにか、愛莉は下を向いて両手を腿の上で固く握り締めていた。愛莉が握り締めた拳の上には、愛莉の瞳から零れた涙が落ちていた。


「そうよ。私、ずっと一人であの約束を覚えていて。誠は何も覚えてないし、本当に私しかあのことを知らなくて。……っ、本当は、あんな約束、無かったんじゃないかって、何度も、何度も悩んで。でもそれでも、約束を覚えてないはずなのに、誠はいつでも私の傍に来てくれるから」


 肩を、声を震わせながらぽたぽたと拳に涙を落としながらぽつりぽつりとゆっくり話していく。それは、今まで誠が知らなかった愛莉のことで、誠は今、愛莉と自分は半身だけど、〝同じもの〟では無いのだと実感したのだった。

 愛莉は言葉を一旦切ると顔を上げ、誠の瞳を真っ直ぐ見つめて、そして優しく柔らかく微笑んだ。


「だから……今日まで、信じていられたわ」


 そう言った愛莉の顔は涙でしゃぐしゃに濡れていて、愛莉にとってはとても見られたいものではなかったかもしれないが、誠はその愛莉が今まで見てきたなかで一番美しいと思ったのだった。

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