曰く、彼らの常識は一般人には理解できない

蒼色

プロローグ 「約束」

 それは遠い遠い昔の記憶。本人たちも忘れてしまっているような、幼い頃の記憶の一欠片。


「ねぇ、約束しましょう。わたしたち、ずっと、ずうっと一緒よ」


「ずっと?」


「そう、ずっと。あなたはわたしで、わたしはあなた。だからずっと一緒にいるの」


「もし離ればなれになったら?」


「そんなことを聞くなんていじわるだわ。……でも、そうね。離ればなれになっても、変わらないわ。あなたはわたしで、わたしはあなただもの。体は離ても、ずっと一緒よ」


 夕暮れの鐘が鳴り響く人気の無い公園で行われたそれは、ただの子どもの約束であり、儀式だった。

 互いに手を伸ばし小指どうしを絡め、互いに相手の目をじっと見つめた。なんだかその行動が少し恥ずかしくて、夕陽に照らされるのに紛れて頬が赤くなっている。


「……じゃあもし離ればなれになったら、ぼくが――をむかえにいくよ。それなら離ればなれにならないでしょ?」


「ええ。――がくるのをまってるわ。だから、そ時はちゃんとむかえにきてね」


 夕暮れのせいなのか照れているせいなのか、頬を赤く染め上げたまま、二人は笑みを零していた。その後何かを思い出したのか、少年が口を開いた。


「ねえ――。ずっと一緒ってことは、これって……」



 ピピピピ、という部屋に鳴り渡る機械的な音で少年――神代誠は目を覚ました。早起きは苦手ではない誠は、寝惚けた様子も無く上半身だけを起こして軽く体を伸ばす。

 枕元に置いてある携帯を手に取ってアラームを止めると同時に、扉をノックする音が聞こえてきた。


「坊ちゃん。朝でございますよ」


「おはようじいや。起きてるよ」


 扉を開きながら声をかけてきたのは、神代家に仕えている執事で、幼少より誠の世話をしてきたことから誠他屋敷の人達にはじいやと呼ばれている。


「ところでじいや。そろそろ坊ちゃんはやめてくれないか……? もう高校生なんだよ」


「いーえ! 誠坊ちゃんはどれくらい経とうとじいやの可愛い坊ちゃんですから、これだけはたとえ坊ちゃんとて譲りませんぞ!」


 元気に誠に反論すると姿はまるで水を得た魚のようにいきいきとしていて、こんな姿を見せられては、呼び名を渋っていた誠も苦笑を浮かべて押し黙るしか無くなるのだった。


「おはようございます、坊ちゃん。今日の朝食は洋食と和食どちらがいいですか?」


「おはよう、飯島さん。今日はそうだな……、和食がいいかな」


「おはようございます、坊ちゃん。今日は午後から雨の予報だそうですから傘をお持ち下さいね」


「ありがとう、渡辺さん。これなら濡れなくて済みそうだ」


 屋敷の中を歩き、使用人とすれ違うたびに声を掛けられていることから、誠が如何に使用人達に好かれているのかがわかる。会話の内容も固すぎず主人と使用人の距離を正しく守っている。


「じゃあじいや。いってくるね」


「はいいってらっしゃいませ。誠坊ちゃん。愛莉様によろしくお願いいたします」


 ――神代誠かみしろまこと十五歳、高校一年生。最近の悩みは幼馴染みがハチャメチャ過ぎることと、家の使用人たちが自分のことを子ども扱いしてくることである。




 所変わって白とピンクを基調にした部屋にて、一人の少女がベッドにて横になっている。どうやら寝相があまり良くないようで、質のいい布団から足のみならず身体も出てしまっていて、今にもベッドの上から落ちてしまいそうになっている。そんな少女の傍らには、メイド服に身を包み、髪をアップにした女性が立っていた。


「お嬢様、朝ですよ。起きてください」


「んぁ……? あら、もう朝?」


 メイド服の女性が声をかけると、少女はその声に反応して薄らと目を開いて傍らに立つ女性に聞いた。メイド服の女性は呆れるような仕草を一切すること無く、少女の背中に手を回し、上体を起こす手伝いをする。何の躊躇いもないその行動から見て、この状況は既に恒例のものだということがわかる。


「早く支度なさいませんと、誠様がお迎えに来てしまいますよ。あと普通に遅刻します」


「ふぁ……。そうね、サキ……」


「全然わかってないなこれ。言いながら寝ないで下さいお嬢様。あと私の名前は春です」


 メイド服の女性、春に返事をしながら再び目を閉じて船を漕ぎ出してしまった少女に対して、使用人であるはずの春はあまり相応しくない態度と言葉遣いをしているのだが、未だに眠気が覚めない少女は特に気にすること様子もない。


「あぁ、そうだったわ……。四姉弟で春夏秋冬が入っているのよね、あなたたち」


「そうですが、そんなことは今どうでもいいので支度しますよ」


「大丈夫よ。誠なら待たせておけばいいわ」


「そういう問題ではないのです。遅刻します」


「あら。それは盲点だったわ」


 少女はわざとらしく目を見開いたが、春からの冷たい視線に気付くと、肩を竦めてベッドから起き上がった。


「わかったわ。ちゃんと起きるわよ」


「それはなによりでございます。朝食はいかがなさいますか?」


「そうね……。ハルお手製のパンケーキが食べたいわ」


「承知いたしました」


 少女としては少し意地悪を言ったつもりなのだが、春はそんなことは微塵も思っていないようで、むしろニヤリと笑いながら深くお辞儀をしてその場を後にした。少女は春の薄い反応に少しつまらなそうにしながらも、春との約束通り支度を済ませて行く。この調子なら心配されまくっていた学校の遅刻も大丈夫そうだ。


 無事に支度を済ませ、ダイニングに向かうと、そこには先ほど少女が急遽リクエストしたパンケーキが用意されていた。出来たてなのか湯気がたっていて、触らなくてもふわふわなのが見て取れる。


「……ハル?」


「はいお嬢様。どうかされました?」


「あなた私が言うのを予測して事前に生地を用意しておいたわね?」


「私がお嬢様が仰られることがわからないとお思いですか?」


 少女に対して言うその言葉や態度は既に主人と使用人のそれでは無く、存分に煽っている人と煽られている人だった。

 それでも少女は使用人のハルに怒った様子はなく、むしろ嬉しそうに席に着いて出来たてふわふわなパンケーキを食し始めたのだった。

 少女の幼馴染みである神代誠が家のインターホンを鳴らしたのは、それから二十分後のことだった。


「いってくるわ、ハル。今日もありがとう。パンケーキ、美味しかったわ」


「いってきます、春さん。……愛莉ちゃんと歩いてくれないか」


「いってらっしゃいませ、愛莉お嬢様。誠様。お気をつけて」


 ――琴宮愛莉ことみやあいり十五歳、高校一年生。最近の悩みはそれほどなく、如何に誠を驚かせられるかを日々考えている多少お転婆が過ぎるお嬢様である。

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