悲惨な過去と未来に笑顔を

その日も変わらない、いつもの日になると思っていた。自然に囲まれた秘境での暮らし。クウェンチエルフだけが住む里。ティアラは母と二人暮らし。父は早くに他界してしまった。母の手伝いで里から少し離れたところに流れる川に水を汲みに行き、いつもの道を歩いて帰ると、血を流して倒れている里のみんなに、母。ショックのあまりティアラの手から水の入った木のバケツが落ちた。その音に気付いたのか、何名もの知らない男達の内一人が近寄ってきた。男の手には刀が握られていた。血の滴る刀が。殺される! ティアラは直感した。怖かった。声も出ないほどに。しかしそれ以上に苦しく悲しかった。母親が、何の前触れもなく殺された。ティアラは感情が抑えられず、涙が流れ始めた。翡翠色の涙が。それを見た男は初めは驚いた様子だったが、急に不敵な笑顔になると仲間達に何か叫び合図をし、そうして、ティアラは男達に捕らえられた。

 

その後の事はあまりティアラの記憶に残っていなかった。船に乗せられ仕打ちを受け、ただただ涙を流していたとだけしか。思い出したくないくらい、辛かったのだと。




ティアラは少し過呼吸気味になっていた。涙もとめどなくこぼれ始めていた。アイシャが優しく背中を撫でてくれていた。


「それから……よく……覚えてないんです……けど、ハァッ……船は嵐で難破したみたいで……気づいたら、サーロくんの家にいて……ハァッ……!」


「そう……話してくれてありがとう」


アイシャはティアラを、優しく、でも力強く抱きしめてくれた。どことなくお母さんと同じ温もりを感じた。ティアラはアイシャの胸に顔を埋める。涙が、止まらない。


「辛かったね。怖かったね。悲しかったね」


「ひっぐ! ……うん……うんっ……!」


「大事な人を失って、辛い目にあって、生きるのが嫌になるかもしれない……でも」


そう言うとティアラを抱擁から解放し、涙を拭ってあげながら諭すように伝えてくれた。


「生きることを投げ出しちゃダメよ。過去が、今がどんなに辛くても、未来には笑顔で過ごせる日々があるかもしれない。だから、ティアラ、あなたはこれからを、しっかり生きていくのよ」


「未来に……笑顔……」


その言葉はサーロからも聞かされていた。未来に笑顔を、と。


「そ! ま、この言葉は私の師匠からの受け売りなんだけどね~」


「じっちゃん。クラーク先生のね」


「さて! さてさて! 悲しみタイムはここでおーしまい!」


瞬時にこのお店に入ってきた時のような張りのあるテンションに戻したアイシャは、両手をパンッ、と合わせてティアラとサーロを交互に見た。


「で、ティアラはこれからどうしたい?」


「私は……」


「今日この街見て回ったみたいだけど、どうだった?」


「とても賑やかで……優しい人がたくさんいました……」


「うんうん! ここのお店のアップルパイどうだった?」


「とっても……美味しかった……です!」


「うんうん! うんうん! で~、今向かいに座ってるこのサーロ少年! どう思う~?」


「え……と」


すごいニマニマした表情をしているアイシャ。グリマからもお花畑のようなふんわりしたオーラが溢れ出ている。両手を頬に当て、のっそのっそと左右に揺れている。サーロはちょっと下を向いて畏まってしまっていた。顔も仄かに赤く染まっていた。


「私を助けてくれて……美味しい料理も振舞ってくれて……ここにも案内してくれて……何より、サーロくんの心を感じると、とっても穏やかな心地がするんです」


サーロはもっと下を向いて、もっと顔が赤く染まった。


「なら問題なし! サーロ! あんたもクラーク先生の家に一人で住むのは寂しいでしょ? なら~」


「なら~」


アイシャの言葉に続いてグリマも乗っかってきた。何か楽しんでるようである。


「ティアラ! サーロと一緒に暮らしちゃいなさい!」


「なさい~」


「え……! えと……」


ティアラは困惑するよりも、嬉しい、という感情が先に湧いてきた。この人達に、この街に、認められた気がしたからだ。


──でも……サーロくんに迷惑じゃないかな……?


「で、サーロも最初からその気はあったんでしょ?」


「うん……」


「サーロくん……いいの?」


赤くした顔をティアラに向けながらも真摯に応えようとするサーロ。大人の二人組は楽し気に、優しくその様子を見守っている。


「ほら! じっちゃんの家意外と広いし、街のみんなといるときは楽しいけど……森の中の家で一人だと、寂しい時もあったから……。その、ティアラさんさえ良ければ、一緒にいてくれると……嬉しい……です……」


「きゃーーー! 甘酸っぱーーーい!」


「甘酸っぱ~~い」


すごく楽し気なアイシャとグリマ。


「じゃ、決まりね! これからこの街で暮らしていくんだから色々教えたいことはあるけど、とりあえず!」


ティアラとサーロは二人目を合わせてから立ち上がったアイシャを見る。アイシャは人差し指で宙に何かなぞる様な仕草をした。


「この若者二人に、アバンダンシアの加護がありますよう! おまじない!」




日も暮れ始めた森の中。サーロとティアラはこれから二人で暮らす家に帰ってきた。


「ただいま!」


「お邪魔します……」


「む! ティアラさん! これからここはティアラさんの家でもあるんだから! こういう時は!」


「うん……!」


そう返事をして、ティアラは目を閉じ深呼吸をしてから、これから住む家と、サーロを視界に入れた。


「ただいま!」


「おかえりなさい! じゃ、晩御飯の準備をするね!」


──過去の悲しみより、未来の笑顔……今の私も笑顔になれているみたいだ。彼と、サーロと一緒なら。

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