【短編集】キミ色恋模様
ミナ
第1話 放課後、5秒前
チャイムが鳴る、0.5秒前。
彼はもう、席を立っていた。
「今日も秒で帰るな……」
私のつぶやきは誰にも届かない。
ホームルームが終わるより早く、教室のドアが閉まる音だけが、残る。
⸻
彼の名前は、湊(みなと)。
同じクラスになってもう3ヶ月になるけど、会話したのは数回。
ノートを貸してくれたこと、体育のチームがたまたま一緒だったこと。
それくらいの関係。
なのに私は、彼のことを目で追ってしまう。
「未来、ノート貸して〜!」
「え、あ、うん」
友達に名前を呼ばれて、思考が現実に戻る。
そう、私は未来(みく)。
なんてことない高校一年生。
好きな人がいる。それだけで、毎日はちょっとだけ特別になる。
⸻
「ねぇ、未来ってさ、湊くん好きなの?」
放課後、いつものように残って勉強していたら、友達に言われた。
ノートの隅に、“湊”って字を落書きしていたらしい。
「ち、ちがうし」
「ふ〜ん。でもさ、未来って放課後いつも残ってるよね。湊くん、すぐ帰るのに」
図星すぎて、何も言えなかった。
⸻
それでも私は、毎日残る。
理由なんていらない。ただ、少しでも近くにいたい。
そんな気持ちを隠しながら、今日も机に向かう。
でも、今日だけは違った。
「……まだいたんだ」
その声が、真横から聞こえてきたとき、私は心臓が止まるかと思った。
「え、湊くん!?」
そこには、いつも秒で帰るはずの彼が立っていた。
制服の襟は少しゆがんでいて、カバンを肩にかけたまま。
「ノート、借りたいやつがあって。未来ってさ、ノートきれいだから」
「う、うん!もちろん!」
嬉しすぎて、早口になってしまった。
彼は少しだけ笑って、それを受け取った。
「ありがと。あー、あと5分くらい、ここいてもいい?」
「え?もちろん」
もしかしたら、世界で一番幸せな5分が、始まるのかもしれない。
⸻
彼は黙って、ノートを眺めていた。
私は緊張で何も手につかなくて、ただ手元のシャーペンをくるくる回していた。
沈黙が苦手なはずなのに、今日は不思議と心地いい。
「……未来って、字きれいだね」
「え、そう?」
「うん。ノート、見やすいし」
そんなことで褒められると思ってなくて、思わず顔が熱くなる。
「ありがとう……」
すると彼は、ふっと笑って、言った。
「未来って、名前もいいよね。未来って感じ」
「え?それ、どういう意味?」
「なんとなく。明るくて、前向きって感じする」
そう言って、彼はノートを閉じた。
「じゃ、また明日」
その言葉を残して、今日はゆっくりと、教室を出ていった。
⸻
それから本当に、湊くんは毎日「5分」だけ残るようになった。
最初はノートを見るだけだったのに、少しずつ会話も増えていった。
「未来って文系だよね?俺、数学死んでるんだけど教えてくれる?」
「えっ、湊くんでも苦手あるんだ……!」
「あるある、英語もヤバい」
そんな話をしながら、いつの間にか「5分」は「10分」になり、「15分」になった。
友達からはちょっとからかわれた。
でも、不思議と恥ずかしくなかった。
だって、湊くんはちゃんと私だけを見てくれている気がしたから。
⸻
ある日、珍しく湊くんがいつまでも喋らなかった。
ノートを開いたまま、手が止まっていた。
「……どうしたの?」
私が聞くと、彼はゆっくり口を開いた。
「未来って、好きな人いる?」
突然すぎて、心臓が跳ねた。
「え、えっ、な、なんで?」
「気になっただけ」
気になっただけ。そんなわけない。
だって、今の顔、ちゃんと真剣だった。
私は迷ったけど、答えた。
「いるよ」
「……そっか」
その返事が、ほんの少し沈んでいた気がして、私は続けた。
「……毎日、5分だけ一緒にいてくれる人」
湊くんは、はっとしたように私を見た。
目が合う。少しだけ、照れてるような、でも嬉しそうな目。
「俺、もっと残ってもいい?」
「え?」
「5分じゃ、足りないから」
そう言って彼は、笑った。
⸻
その日から、私たちは“友達”じゃなくなった。
放課後の教室。いつもの時間。
気づけば彼は、私の隣に座っているのが当たり前になった。
もう、あのドアが秒で閉まることはない。
⸻
少し遅くなった帰り道。
自転車を押しながら、並んで歩く。
風が少し冷たくなって、秋の終わりを感じさせた。
「未来」
「ん?」
「……手、つないでもいい?」
顔を見ると、いつもの湊くんと違って、少し不安そうだった。
「うん」
私は手を差し出した。
彼の手が重なって、指がきゅっと絡まる。
その瞬間、あたたかさが全身を包んだ。
⸻
チャイムが鳴る、0.5秒前。
今日は、彼がこう言った。
「未来、帰ろっか。二人で」
その言葉が、私の一日を照らしてくれる。
私の“5秒前”は、これからずっと、君と一緒にある。
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