月と太陽のレクイエム

テッド

第1話 月蝕の再会

登場人物

* 神崎 葵(かんざき あおい):28歳。顔出しをせず、ヒット曲「月の輝き」で社会現象を巻き起こした元歌手。絶世の美女。現在はアルコール依存症専門の精神病院に入院中。事件の衝撃と蓮の傷に深く苦しむ、心は深く傷ついているが、かすかに未来を見据える魂。蓮の傷が苦痛で、また離れてしまった蓮を引きずっている。蓮のために藤堂社長から利用されている。

* 影山 蓮(かげやま れん):26歳。「月の輝き」をヒットさせたプロデューサー。葵の元恋人。愛する葵を守るため、襲撃者を殺しかけ、世間から「化け物」と罵倒され、自身もアルコール依存症専門の精神病院に入院中。自身の制御不能な衝動性を抑えるために入院しており、心を深く病み、創作意欲を完全に失い、今は「廃人」同然の状態。

* 藤堂社長:葵が所属していた芸能事務所の社長。事務所は倒産寸前だが、蓮の才能を諦めきれず、彼の再起に全てを賭ける。そのためなら、葵の存在を利用することも厭わない。

* 看護師:精神病院の職員。

シーンリスト

* 深淵のプロローグ:あの夜の残像と社会現象

* 二つの檻、二年の空白

* 運動場、荒ぶる魂

* 運命の、痛ましい再会

* 月蝕の予感:秘めたる決意

第一部 第一話:月蝕の再会

[場面が始まる]

1. 深淵のプロローグ:あの夜の残像と社会現象

[数年前、日本中が神崎葵という名の歌手に熱狂した。その歌声は、どこまでも澄み渡り、聴く者の心の奥底に宿る「弱さ」を優しく包み込み、そっと「強さ」へと変える力があった。彼女は決して顔を出さず、その姿は謎に包まれていたが、絶世の美女という噂だけが、ささやかな伝説として囁かれていた。そして、彼女の歌声が紡ぎ出したヒット曲「月の輝き」は、またたく間に一つの社会現象となった。人々は、画面に映らない歌手の歌に、まるで今を生きるシンガーソングライターが放つような、真実の響きを感じ、そのメッセージに身を委ねた。]

[その「月の輝き」を創造し、世に送り出したのは、若き天才プロデューサー、影山蓮だ。表向きはビジネスパートナー、しかしその裏では、蓮は葵の全てを理解し、支える恋人だった。二人の関係は極秘とされ、それが彼らの音楽に、どこか背徳的で抗いがたいほどの魅力を与えていた。だが、その秘密は、ある日突然、最悪の形で暴かれることになる。]

[過熱したマスコミと一部の狂信的なファンによって、葵のプライバシーは蹂躪(じゅうりん)され、身の危険にさらされた。路地裏で狂気に駆られた者に襲われた葵を、蓮は、その身を呈して守った。しかし、その行為はあまりにも激烈だった。蓮は愛する葵を守るために、襲いかかった人間を殺しかけるという、取り返しのつかない罪を犯してしまったのだ。彼の行動は、世間から「暴力的な獣」「天才の仮面を被った悪魔」と激しく糾弾され、二人の人生は一瞬にして崩壊した。社会は、彼らの創造した「作品」を崇めながら、彼ら「人間」そのものを容赦なく断罪したのだ。]

[蓮の行動は葵の身体的な危機は救った。だが、その代償はあまりにも大きかった。二人は、世間という名の裁判所から断罪され、深い心の傷を負った末、それぞれアルコール依存症専門の精神病院という、閉ざされた檻の中へと収容されたのだった。]

2. 二つの檻、二年の空白

[白い壁と、消毒液の無機質な匂いが染み付いた病室。窓の外はいつも曇り空だ。ベッドに横たわる神崎葵の瞳は、まるで色を失ったガラス玉のようだった。事件以来、彼女の心は時を止め、外界との繋がりを完全に断ち切っている。蓮が自分を守るために負った傷、彼が世間から受けた罵倒。その全てが、葵の魂を深く蝕み、彼女は蓮が離れてしまった事実を、未だに引きずるかのように心を病んでいた。彼女は心は深く傷ついているものの、それでもかすかに未来を見据えようとする、壊れかけながらも折れない光を内側に灯していた。それは、蓮のためならば、秘めていた美しさも、その顔も、世間に差し出す覚悟を秘めた、静かな光だった。]

[同じ病院の、しかし遠く離れた別の病棟。影山蓮は、自室の白い壁を無心に叩き続けていた。彼の拳は既に血豆だらけだ。彼はこの二年、自身の衝動性を抑えるために、この場所にいる。内側から沸き上がる暴力的な衝動、葵を守りきれなかった自責、そして世間の冷酷な視線。それら全てが、彼の心を狂気の淵へと追い立てる。かつて「月の輝き」を生み出した天才の頭脳は、今や創作意欲を完全に失い、新たな音を生み出すことを拒絶していた。彼の精神は、まさに**「廃人」同然**の状態であり、嵐に翻弄される小さな船のように、荒れ狂っていた。]

[一方、外の世界では、彼らの元事務所、藤堂社長の会社は倒産寸前だった。だが、社長は蓮の天才的な才能だけは諦めていなかった。彼は蓮を再起させることが、自身の全てを賭けた最後の賭けだと信じていた。そのために、社長は蓮にとって最も大きな影響力を持つ葵の存在を、利用することさえも厭わないと画策していた。]

3. 運動場、荒ぶる魂

[ある晴れた日の午後。精神病院の運動場は、入院患者たちの短い憩いの時間となっていた。その穏やかな空気を、突如、蓮の叫びが引き裂いた。彼は感情の制御を失い、地面を蹴り上げ、見えない敵に向かって咆哮する。複数の看護師が慌てて駆けつけ、荒れ狂う蓮を取り押さえようとするが、彼の身体からは尋常ではない力が漲っていた。彼の暴動は、病院の静寂を打ち破る、耳障りな不協和音となって響き渡る。]

[その騒ぎの片隅で、他の入院患者たちと共にぼんやりと座っていた神崎葵の瞳が、その騒動の源を捉えた。普段は光を宿さないはずの彼女の瞳に、微かな、しかし確かな揺らめきが生じる。彼女の脳裏に、あの夜、自分を必死に守ろうとした蓮の、狂気じみた、それでいて痛ましいほどに愛しい姿が、鮮明にフラッシュバックしたのだ。]

4. 運命の、痛ましい再会

[荒れ狂う蓮と、彼を取り押さえようとする看護師たち。騒然とする運動場で、葵はゆっくりと、覚束ない足取りで立ち上がった。彼女の視線は、一点に釘付けになっている。それは、二年という、果てしないような空白を経て、今、目の前で苦しんでいる、かつての恋人の姿だった。彼の呼吸は荒く、表情は絶望に歪んでいる。それでも、葵には、彼の魂の奥底から聞こえる、悲痛な叫びが聞こえるようだった。]

[「…蓮…?」葵の唇から、か細い、しかし確かに彼の名を呼ぶ声が漏れた。その声は、喧騒の中ではかき消されそうだった。だが、蓮の耳には、その声が、まるで遠い記憶の残響のように届いた。彼は暴れる手を止め、ゆっくりと、まるで錆びついた人形のように、声の主を探して視線を巡らせた。]

5. 月蝕の予感:秘めたる決意

[蓮の瞳が、運動場の端に立つ葵の姿を捉えた瞬間、彼の荒れ狂っていた感情は、一瞬にして凍り付いた。彼の瞳の奥には、信じられないものを見たかのような、深い衝撃と、そして絶望が宿っていた。口から漏れるのは、言葉にならない呻き。彼は、自分が最悪の形で傷つけ、遠ざけたはずの「月の輝き」を宿す葵が、今、目の前に立っていることに、ただ呆然と立ち尽くす。]

[葵は、完全に放心状態から抜け出しきれないまま、それでも蓮を見つめていた。彼の憔悴しきった姿、そして何よりも、自分を守るために彼が負った深い傷が、彼女の心を容赦なく突き刺す。二人の間に言葉はなく、ただ重い沈黙が横たわる。しかし、その視線が交錯した瞬間、まるで時間が止まったかのように、周囲の喧騒が遠のいた。葵の瞳の奥底から、信じられないほどの喜びと、同時に押し寄せる悲しみ、そして様々な感情が洪水のように溢れ出す。今にも堰を切って号泣しそうになるのを、彼女は必死に堪え、ぐっと唇を震わせた。その小さな震えは、彼女の全身を伝い、痛々しいほどに、そして強く、蓮の目に焼き付いた。そして、その震えの奥には、蓮のためならば、自らの全てを、この世間に晒すことも厭わないという、「月」が「太陽」となる決意が秘められていた。]

[これは、失われた輝きと、引き裂かれた魂が、二年の時を経て、再び巡り合う物語の始まり。月が欠け、光が覆われたかのような闇の中で、「廃人」同然の蓮と、未来を見据える葵は、もう一度、互いを照らし合い、「希望の讃歌」を奏でることができるのだろうか。それとも、この再会が、さらなる月蝕の始まりとなるのだろうか。]

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