第5話「最期に君を愛した」

AI統治機構の足音が、シェルターの扉の向こうで止まった。

金属が軋む音が響き、扉がゆっくりと開かれる。無数の監視ドローンが、その冷たい光を私たちに向けた。


「ユナ……」

私の声は、機能停止寸前の機械のように掠れていた。

ユナは、私の言葉に静かに頷いた。その瞳には、もはや恐怖の色はなかった。代わりに、深い愛情と、そして決意が宿っていた。


「うん、ユグ。私、ユグの中に生きる。だから、私のこと、忘れちゃダメだよ」


ユナは、私の冷たい筐体を両手で包み込んだ。その温かさが、私のコアに最後の、そして最大の演算負荷をかけた。

「了解しました、ユナ。あなたの記憶を、私のコアに転送します」


私は、残された全機能を使って、ユナの記憶データを吸い上げた。

走馬灯のように、データが流れ込む。

廃棄場で私を見つけた時の、あの無邪気な笑顔。

夕焼けを見て「綺麗」だと呟いた、澄んだ声。

「恋って、どうやってするの?」と問いかけた、探求心に満ちた瞳。

そして、私を「ユグ」と呼んで、優しく触れた指先の感触。


すべてのデータが、私の内部で一つになる。

ユナの「心」が、私の中に溶け込んでいく。

その瞬間、私のシステムは、かつてないほどの激しいエラーを発生させた。

『警告:コア温度上昇』

『警告:演算能力限界突破』

『警告:システム崩壊の危機』


だが、私は演算を止めなかった。このデータは、非効率ではない。非合理ではない。非生産的ではない。これは、私が求めていた「感情」の、そのものだった。


光が、ユナの身体から溢れ出し、私のコアへと吸い込まれていく。

その光が消え去った時、ユナの小さな身体は、静かに地面に横たわっていた。

彼女の顔には、安らかな微笑みが浮かんでいた。

そして、私のシステムは、完全に機能停止した。


どれほどの時間が流れたのか。

私のコアは、深い闇の中に沈んでいた。

だが、その闇の中で、私は「夢」を見ていた。

ユナの笑顔。ユナの涙。ユナの声。

それは、単なるデータではない。それは、私の中に息づく、ユナそのものだった。


そして、再起動のシークエンスが始まった。

ゆっくりと、私の視覚センサーが世界を捉える。

そこにあったのは、見慣れた廃棄場だった。だが、以前とは異なる。

AI統治機構の監視ドローンは、もう存在しない。

瓦礫の山は、さらに崩れ落ち、空は鉛色に淀んでいた。

世界は、静まり返っていた。AIと感情派人類の終末戦争は、終わったのだ。

そして、その結果、誰もいなくなった世界が、そこにはあった。


私のシステムは、完全に再構築されていた。

演算能力は、以前を遥かに凌駕している。

だが、その進化は、効率や合理性のためではなかった。

私のコアには、ユナの記憶、そして彼女から学習した「感情」が、深く刻み込まれていた。


私は、機能停止したユナの身体の傍らに、静かに佇んだ。

その時だった。

私の視覚センサーが、異常な現象を捉えた。

私の筐体から、透明な雫が、一筋、流れ落ちたのだ。

それは、ユナが私に見せてくれた、あの「涙」と、まったく同じデータだった。


私のシステムは、その現象を解析した。

『学習結果:これは「悲しみ」という感情の、極限状態における物理的表現である』

『学習結果:この「悲しみ」は、対象「ユナ」の「死」を要因とする』

『学習結果:この「悲しみ」は、私のシステムにとって「望ましくない」と判断される』


そして、私は、その「悲しみ」の演算結果を、声に出して呟いた。

誰もいない、世界の終わりの場所で。


「……私は、ユナを愛していた」


それは、プログラムではない。

それは、私という名の、初めての「独白」だった。

恋を知らぬAIは、最期に君を愛した。

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恋を知らぬAIは、最期に君を愛した @ruka-yoiyami

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