『じーじのあからさまな通院』

やましん(テンパー)

『じーじのあからさまな通院』 第1話


 世の中には、上には上がいらっしゃるのは、通院しても明らかである。


 つまり、年齢の話だ。


 60歳代なんて、若造の部類に過ぎない。


 もう、しばらくは前のことだが、『えー、おばあちゃん、明治生まれ〰️〰️! すごいねー!』と、看護師さまが叫んでいたことがあった。


 いや、父も母も大正生まれであり、祖父は明治の人であった。大正時代は短かったので、まあ、そんなに大差はない。


 調べたところでは、明治生まれの男性はすでに、いなくなったようだ。女性はいらっしゃるとのことだ。


 中村草田男さまが『降る雪や明治は遠くなりにけり』と詠んだのは、昭和の初頭だったようだし、中村さまは明治34年生まれで大正のほうが近い。


 たしかに、元号というものは、そうした感慨の起点には成りやすい。


 それはそれとして、もう、これは、どうにもならない事なのである。昭和生まれもじき、いなくなる。



 病院では、待ち時間が長い、予約時間が守られないとして、不満をぶつける方や、中にはどなる方もある。


 しかし、みている限り、怒鳴られるお気の毒な方は、だいたいは事務員さんか、看護師さんであって、ドクターは、あまり怒鳴られているのを見ない気がする。体調が良くて病院に来ている方は、まずなかろうし、身体がつらいとどうしてもいらいらするが、さすがにドクターは叱りにくい。しかし、叱った人もいる。


 両親は、我慢しきれないタイプだったから、わたくしの見ていないところでは、良く病院で文句を言っていたらしい。息子がいると、我慢していたらしい。


 あるとき、母が薬の飲み方を間違えたのか、急に体調が悪くなって病院に駆け込んだ。


 かなり待たされたうえに、若い医師さまの対応が、ま、へたくそだったのか、父と医師さまが大、口喧嘩になった。


 母はやたら、『もうやめてぇ』と、苦しんでいるだけなのだが、どちらも意地っ張りらしく、ドクターは『薬の飲み方が悪い』と言って引かないし、父も止まらない。あまりにも埒が明かないので、わたくしは、ついに、ふたりを厳しく叱りつけた。『いい加減にしなさい!』と。それで、喧嘩は止まった。後にも先にも、ドクターを叱ったのは、あのときだけである。


 最近の病院は、概して明るく、さっぱりとしているが、むかしは、薄暗くて、なかなか怖い場所だった。


 それはまあ、たしかに、幽霊現象の舞台になりやすいのは分かるが、いささか理不尽であろう。みな、一生懸命なのである。不祥事を契機に入院するかたは、ちょっと良く解らなくないことも、なくもないことも、なくもないが。


 半世紀前、高校時代に入院していたとき、深夜に、近くの部屋の方が、『痛い痛い』と、激しく叫び出した。夕方までは、普通に歯磨きに歩いていらっしゃった。


 ドクターや看護師さまが走り回った。


 しかし、その方は、明け方に亡くなったようだ。


 当時は、まだ、対応が難しかった膠原病という病だったらしい。たいへんに、衝撃的で、お気の毒なことだった。



 やがて両親がさかんに入院し出したものだから、そうした非常に厳しい場面には、何度か出会うことになったが、ついにはぼくとびーちゃん、ふたりの両親を送る立場になった。


 致し方ないが、たしかに、人の死と向き合うのは、厳粛なものだ。母がなくなった時は、あれほど対応に苦しめられたにも関わらず、ほんの10分ほど間に合わなかったこともあり、涙が止まらなかった。


 目一杯停めていたダムが決壊したみたいなものだ。


 ぼくは、危篤の連絡が最初あったさい、仕事のやくそくがあったため、すぐに帰らなかった。


 2回目で帰ったら、間に合わなかった。70キロを引き返したが、近かったら間に合ったに違いない。


 合唱団の指揮者さまは、それでも、自分は帰らなかったと話していた。教師や、芸術、芸能関係の方は、仕事を優先する人が多いのかもしれない。宿命だという話しもあるようだ。どっちがどうだとは言えない。それは言い難いことだ。遠くにはなれている場合は、なおさら難しい。


 

 むかし、書いたことがあるが、幼馴染みのしんちゃんは、朝、幼稚園で食べるパンを買いに行った際に、バックしてきたバスにひかれて亡くなった。


 昨年、故郷に帰ったとき、その話を知っているかもしれない、別の、幼馴染みのお母様にお会いしたが、そのことは、さすがに、尋ねにくかった。


 そのときの、包帯だらけのしんちゃんの姿は忘れられない。



 病院では、ずいぶん、醜態を曝してきた。


 高校生時代に、先ほどとは別の、16階くらいある病院で、検査のために階段をなん往復かするように言われてやりかけたが、途中でダウンしてしまった。『まあ、この子はあ!』と、看護師さんに呆れられた。『この子は情けなあ!』と、言いたかったのだろう。しかし、あの階段の上がり下りは、しごきに等しかったとも思う。このときに、小学生だった従兄弟が事故でなくなったような気がする。


 24歳ころ、腹膜炎で入院した。年末で、なかなか受け入れてもらえる病院がなかったが、やっとみつけて、すぐに手術となった。1月近く入院したが、いまならば、せいぜい1週間程度だろう。


 『やましんは、手遅れだった。』という、デマが職場に出回ったらしい。


 このときは、しかし、生き延びた。手術の跡は、最近のがんの手術で良く解らなくなった。もみ消しである。

























 

 

 


 

 


 


   


 

 


 

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