第3話 虚ろな舞台は栄光に煌めく

 照明の光を全身で受け止めながら、大木は舞台の中央に立っていた。スタッフたちが一声も発さずに見守っている。俺はもう、審査される立場じゃない。さあ、聞け。大木は胸の奥底から押し出すように声を出した。


「これで終わりじゃない。ここから、始まるんだ」


 カットの声がかかった。手応えは、ある。


 数日後、大木は一人、最寄り駅に程近い居酒屋に立ち寄った。前はよく来ていたが、最近はスケジュールが過密になり足が遠のいていた。ドラマがクランクアップして少しだけ余裕ができ、久々にそこで飲もうと思ったのだ。

 天井に近い高い位置に備え付けられたテレビに、ちょうど大木が主演するドラマが映っていた。大木はほくそ笑みながらビールジョッキをあおった。そのうち堂々と入店できなくなるかもしれない。壁に貼るからサインをくれ、なんて店の親父に頼まれたりして。


「このドラマ、話は悪くないんだけど……主役がねー」

「ああ、大木……何とかだっけ。正直うまくないよな。セリフの言い方が一本調子っていうか」


 近くの席で飲んでいたカップルが酒のつまみがてらに大木を評している。別の席で誰かが笑う。


「何が始まる、だよ。伝わって来ねーよ」


 大木はジョッキをカウンターに叩き付けた。何だ、こいつら。演技のえの字も知らないくせに。まあ、こんな安い店でしか飲めないようなやつらだもんな。


「二度と来るかよ」


 大木は千円札を何枚か置き去りにした。店を出た瞬間、よそよそしい風が頬を撫でる。思ったより冷たくて、大木は肩をすくめた。

 どこで飲み直そうかと考えていると、スマホが鳴った。 

 黒土からだ。


「もしもし、大木です」

「やあ、大木さん。見ましたよ、ドラマ。たいそう立派な主役ぶりでしたね。私、思わず泣いちゃいましたよ」

「さすが、わかってますね、黒土さんは」

「いえいえ……ところで大木さん」


 滑稽なくらいに柔和な声で、黒土は話題を変えようとする。大木は黒土の声に被せるように――。

 

 駅前の通りに、一か月後から始まるドラマの広告が張り出されている。キャスト陣の写真のど真ん中にいるのは、大木だ。

 その広告の前を、サングラスをかけた男が通り過ぎていった。両脇に派手な女を従えながらスマホを耳元に当てている。


「……またですか、大木さん。もう何回目でしたかねえ」


 スマホの向こうから、柔和すぎてむしろ押し固められたような声が響く。


「ええ、お願いしますよ。今度こそ最後ですから」

「まあ、私は構いませんよ。ただ……」

「ただ?……おい、アサギ」


 片側にいた女が体をべったりとすりつけてきた。


「ちょっと~大木さん、いつまで話してるんですかあ?」

「仕事の話だっての」


 もう片方の女も冗談めかして、けれど張り合うように体を押しつけてくる。


「私と仕事、どっちが大事なのお?」

「カリンもいい加減にしろって」

「何やらお忙しいようですね」


 そう言う黒土の声はいつもとまったく調子が変わらないから、真面目に気を遣っているのか茶化しているのかわからない。


「すみません、何か懐かれちゃって」

「そうでしたか。すっかり売れっ子ですね。何とも喜ばしい」

「本当に、あなたのおかげです。では、頼みますよ」

「承知しました。ですが……」


 黒土の話が終わる前に、大木は酒に酔った女たちにもみくちゃにされ、スマホを落としてしまった。


「……ったく。おいおい」


 大木がスマホを拾おうとして屈むと、アサギが先に拾い上げ、大木に画面を見せてくる。


「電話、切れちゃってるよ」

「お前らのせいだろが」


 大木が少し怒ってみせると、カリンが「ええ、ひど~い」と笑いながらしなだれかかってきた。

 そのときアサギの手の中でスマホが震えた。覗き込むと明莉からの着信。アサギもスマホをひっくり返して画面を見ようとする。大木は勢いよく立ち上がり、スマホをひったくった。


「誰、明莉って?」


 アサギが不敵な笑みを浮かべながらたずねてくる。


「いきなりはじき飛ばすなんてひど~い」


 大木にしなだれかかっていたカリンが、媚びるような視線で見上げてくる。

 二人の見透かすような視線が大木の心に火を点けた。大木はだらしなく頬を緩めた。二人の愛らしい顔を見つめているうちに、スマホが沈黙した。


 少しだけ見やると、《あとで電話できない?》とメッセージが来ていた。一瞬、明莉の顔が脳裏にちらついた。軽蔑の眼差しがさみしさをまとっているような気がした。


「……悪いな」


――もっと輝く俺を、見せるから。


 罪悪感とともに、大木はスマホをポケットにしまいこんだ。極薄型のスマホが、いつもより少しだけ重たく感じた。

 大木は二人を抱き寄せ、エスカレーターに乗った。女たちの体温を感じながら、大木は見上げた先にある、煌びやかな高級ホテルの玄関が近づいてくるのを満足そうに見つめていた。


「やりましたよ、大木さん!細枝監督の映画、主演が決まりました!」


 翌日、大木が事務所に顔を出すと、細身の若い男が飼い主を待ちわびていた犬のように駆け寄ってきた。元は吉川翔のマネージャーだったが、大木がめざましい活躍をするようになり、大木の専属マネージャーに回されたのだ。社員からお前も俳優にならないかと冗談を言われるほどの二枚目だった。


「本当か、柏葉!」

「ええ、マジっす、大マジです!」

「ついに来たか。細枝監督の映画に出る日が」


 細枝監督といえば邦画界の大ベテランで、その映像美と巧みな演出や構成力が、海外でも高く評価されている巨匠だ。その監督の新作に主演で抜擢されたとなれば、大木の顔も笑顔でふやけるに決まっていた。


「……やっと認められたか」


 大木は柏葉を付き従え、玉座に座るような心持ちでソファに腰を下ろした。さあ侍れ、かつて俺を軽んじたアホども。大木はおのれの実力にひれ伏す社員たちの姿を目に浮かべながら、周囲を見渡した。

 空気がざわついた。他の社員たちが怪訝そうにちらちらと視線を送ってくる。大木が睨みつけると、誰もが目をそらした。

 そのうちの一人が柏葉にそっと耳打ちした。


「よくやったな、柏葉。細枝監督、気難しくて有名だろ?選考もかなり厳しいって評判なのに」

「いやーまさか俺もこんな仕事取れるなんて……」


 柏葉は照れくさそうに笑った。後頭部をわざとらしくかき撫でている。


「あいつやるわ」「吉川翔だと思ってたんだけどな……」


 小さな声が、確かな重みを持って大木を取り囲む。周囲を睨みつけていた大木の眉間に、深いしわが刻まれた。


「俺の実力だろうが」


 低く絞り出すような声を誰も拾わなかった。皆、柏葉のほうを見ている。柏葉の指先が髪を掻く動きが速まっていく。


「先方から急に大木さんに決まったって連絡が来て……。俺もよくわからないんすけど……」


 今度は全員に届くように、大木はソファのひじ掛けに拳を打ちつけた。乾いた音が天井まで染み渡る。


「あっ、やべ」


 柏葉は慌てて口をつぐんだ。


「ほんと持ってるよな、柏葉は」


 誰かが洩らした言葉に同意するように、小さな笑いが起こり、部屋は再びざわめきはじめた。なぜ誰も俺を讃えない。


『よくおわかりでしょう?』


 黒土の声が耳元を掠めた気がした。大木の指先がソファのひじ掛けに食いこみ、鈍い音を立てた。

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