Injection
@SaigaIbuki
第1話「選別、あるいは独房」
「おい!何度目だよ! お前のせいでライン止まってんだよボケ!」
甲高い怒声が鼓膜を突き刺す。
びくりと肩を揺らした。
目の前で、ベルトコンベアの流れが不自然に滞っていた。
「……」
「ったく、謝罪もできねぇのかよ。そんなんだからハケンなんだよ」
周囲から、押さえ殺したようなクスクスという笑い声が聞こえる。顔が熱くなる。
違う。俺のせいじゃない。前の工程のミスだ。
だが、正論がここでは「反抗」に変換されるだけだと知っていた。
込み上げてくる怒りと理不尽さに、腹の底が煮え繰り返る。
ガシャ!
気づけば俺は、手元にあった部品ケースを床に叩きつけていた。
「テメー! 何やってんだよ!」
「うるせえよジジイ!」
別のラインから飛んできた怒声に、俺は思わず怒鳴り返していた。 その日、また俺は職を失った。
***
「須藤さん、ですね」
新しい就職エージェントの担当者は、俺の傷だらけの職歴書を眺め、感情を一切排した声で言った。
「えーっと…差し支えなければ、前職の退職理由を教えてください」
「まぁ…職場の人とうまくいかなくて。こっちが正しい事を言っても、会社は非合理的な判断ばっかしてて」
投げやりな俺の答えに、担当者は初めて顔を上げた。
その目は、探していた獲物を見つけたかのように、ギラリと光っていた。
「なるほどー。…須藤さん、あなたは間違ってません」
え?
「あなたに、ぜひお勧めしたい案件がありましてね」
担当者は身を乗り出し、熱っぽく語る。
福利厚生、家族のような社員関係。そして、合理的で、社会に順応しようと努力する人間を正しく評価する会社だと。
「須藤さん…人生やり直すなら、今ですよ」
その言葉は、まるで俺のこれまでの人生をすべて消去(リセット)して、新しい人格を上書き(インストール)しようと誘う悪魔の囁きだった。
***
紹介された『株式会社ユートピア・フーズ』は、郊外にそびえる巨大な白い箱だった。
人事担当者は「社員は家族です」と微笑みながら、俺を社員寮の一室へと通した。独房のような部屋だったが、一人になれるだけマシだった。
「よう、新人か?」
不意に背後から声をかけられ、振り返る。そこには、俺より少し年上だろうか、人の良さそうな笑顔を浮かべた男が立っていた。
「須藤です…」
「俺は、安室。お前、この寮に配置されたってことは、B3成型ライン勤務だろ?…まぁ、多分な。とりあえず、俺はそのラインの現場リーダーだ。よろしく」
「あ、よろしくお願いします」
「…お前さ、自分の部屋に変な違和感とかなかったか?」
「え?」
「いや…前辞めた奴…ていうかこの部屋にいた奴、全員なんだけど、急にバックれやがったんだよ。てか、脱走?…いや、脱獄か?ははっ」
安室さんは笑っているが、目は笑っていない。
「ある朝突然いなくなって、寮じゅうの監視カメラに一切映ってない。だから、この部屋になんかあるんじゃねーかって思ってさ。俺もリーダーとして部下の管理責任があるから、本部に部屋を調べさせろって言ったんだ。そしたらダメだってよ。だから去年、こっそり忍び込んでやったんだ」
「人の部屋に勝手に…」
「部屋には特に何もねえ。いや、何も無さすぎるんだよな。窓には鉄格子がついてるし。なのに、俺が忍び込んだ様子はバッチリカメラに映ってたみたいで、懲罰よ。笑えるだろ?本部の連中は窓から逃げたって言うけど、じゃあどうやって鉄格子を抜けたんだって話だ。…まぁ、とにかく、お前も居なくなったら困るからさ。なんかあったら俺に言えよ」
安室さんはそう言って去っていった。一人残された部屋で、俺は改めて室内を見渡す。
壁に備え付けられた薄型のテレビ、ベッドと机。そして窓。
鉄格子は古びていて、建物のコンクリートに深く食い込んでいる。ここは寮の5階だ。
…ん?
ふと、窓の外に視線をやった俺は、あるものに気づいて凍りついた。
向かいの電柱。
そこに取り付けられた黒い監視カメラが、レンズを真っ直ぐ、この部屋の窓だけを狙っていた。
突然、消えていたはずのテレビの画面が、パッと明るくなった。
軽快な音楽が流れ、女性アナウンサーの笑顔が映し出される。
『家族の皆さん! おはようございます! 今日も一日、元気に働きましょう!』
リモコンなどない。勝手についたテレビは、まるで俺の疑念を見透かしているかのように、空々しい言葉を垂れ流していた。
***
翌朝。工場の朝礼は、体育会系の異様な熱気に包まれていた。
「ハイ! 朝礼はじめます! おはようございまーす!」
「「「おはようございまーす!」」」
「はい! 今日から働く『スドウシンジ』くんです! 挨拶お願いしまーす!」
「あ、須藤シンジです。よろしくお願いします」
まばらな拍手の中、本部の社員が続ける。
「ハイ! 須藤くんにはね、B2ラインの成型を担当してもらうから! 江波さん! 須藤くんのサポートしてあげてね! 歳も近いし、よろしく!」
名を呼ばれ、「はい」と小さな声で返事をしたのは、小柄な女性だった。
色素の薄い茶髪を後ろで一つに束ね、少し大きめの作業着に身を包んでいる。
朝礼の後、彼女は俺の元へやってきた。
「須藤くん…よろしくね。江波ミホです」
「あ、須藤シンジです。お願いします」
「大変だよね、初日から。分からないことあったら何でも聞いて」
彼女は、この無機質な工場には似つかわしくない、花が咲くような笑顔を向けた。
昼休み。社員食堂は無料で、栄養バランスが完璧だと評判だった。
今日のA定食は豚の生姜焼きだ。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
一人、席について箸をつけようとしたところで、江波さんがトレイを持って向かいにやってきた。
「須藤くん、前に座っていい?」
「あっ、あ、どうぞ!」
「須藤くんっていくつ?」
「あ、22です」
「え! 同じ歳じゃん。敬語やめようよ!」
彼女の屈託のない明るさに、強張っていた心が少しずつ解けていく。
「あ、あのさ」
俺は思い切って尋ねてみた。
「俺の部屋に前にいた人って、どんな人だったか知ってる?」
「ああ…キリザキさんのこと?」
彼女は少し考える素振りを見せた。
「私の知ってる限りだと、居なくなる数ヶ月前から、ちょっと様子がおかしかったらしいよ。全然喋らなくなって、ずっと俯いてたって。
ショウジくん…あ、安室さんも気にかけてたけど、『大丈夫です』って言うばかりで。…ある日突然、部屋からいなくなった」
彼女は安室さんと同じ話をした。
監視カメラに映らず消えたこと。
会社は「窓から逃げて実家にいる」と説明したこと。
「そういえば…」
俺は核心に触れた。
「外の電柱から、部屋の窓を狙ってる監視カメラがあるんだけど…あれって、俺の部屋だけなのかな?」
俺の質問に、江波さんはきょとんとした顔で首を傾げた。
「…さぁ。脱走者が多いから、対策で付けたんじゃない?」
その無邪気な答えが、逆に俺の心に重くのしかかった。
俺はただ、この息の詰まるような場所で初めて出会った「優しい同僚」に、淡い希望を抱き始めていた。
[SYSTEM LOG: 2025/07/21 18:30:15]
EVENT: New Subject Acquisition and Integration.
SUBJECT_ID: 7734 (SUDO, Shinji)
STATUS: Onboarding complete. Subject assigned to Dormitory Room 505 and Production Line B2.
INTERACTION ANALYSIS:
- Initial contact established with designated 'pacification' agent, Subject_ID: 6885 (EBA, Miho).
- Initial contact established with designated 'oversight' agent, Subject_ID: 5512 (AMURO, Shoji).
INITIAL ASSESSMENT:
- Subject displays target psychological profile (social alienation, suppressed hostility).
- Exhibits predicted positive response to female agent (Eba) and standard subordinate deference to male agent (Amuro).
CONCLUSION: Subject is viable for Phase 2 ('Imprinting'). Proceeding with standard protocol.
[LOG DATA TRANSMITTED TO CENTRAL SERVER...]
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