第三章「豆と温度と、そのまなざし」

語り手:岡田(バリスタ)/記録ノート形式


《岡田/バリスタ記録ノートより》

2025年4月23日(水)/天気:雨のち晴れ間


【抽出記録】

・本日使用豆:みちくさ/エチオピア ナチュラル(週ロット:0422N)

・グラインド:#4.5(Kalita)

・湯温:91.5℃ → 92℃に調整

・注湯テンポ:ややゆっくり、前半20秒→蒸らし→45秒かけて落とす

・エスプレッソ抽出:やや早め、ラテ向けの設計(ミルクと重なったときに後半にフルーツ)


朝は湿度が高かった。豆の香りが膨らむタイミングが読みにくくて、やや浅めにドリップの時間を取り直した。

グラインドも気持ちだけ細かく。後味に残るライムのような渋みが、天気のせいか、今日はいつもよりきれいに出た。


9時台の客は静かだった。

いつも通り、読書にふける老夫婦と、ラップトップを睨んでる営業マン。

彼らはコーヒーの味について一言も言わないが、毎週同じ時間に同じ席に座る。

だから信頼している。


正午前、制服姿の高校生3人組が来た。女の子2人と、背の高い男子。

以前も見かけた気がする。たぶん近所の高校の子たち。

ひとりの子がラテを注文して「ハート描けますか?」と聞いてきた。

描けるかどうかじゃない。そう淹れている。でもそれは言わず、「もちろん」と返す。


横で別の子が「え、今って豆違うの?」とメニューを見て言った。珍しい反応だと思った。

「前と違う名前かも」「なんか、青いパッケージじゃなかったっけ」

パッケージを覚えてる子がいることに少し驚いた。

ちゃんと飲んでいた子がいたんだなと思った。


ラテを出すと、最初に頼んだ子はすぐスマホを取り出して、斜めから写真を撮った。

その手つきに迷いはない。撮影の訓練がされている。

でも、カップは撮ったあとしばらくそのままだった。蒸気が抜けていく。

口をつけたのは、席を立つ2分前だった。


あとで食器を下げたとき、カップの底に指でなぞった跡があった。

たぶん、飲む前に少し混ぜたのだと思う。甘さを均等にしたかったのかもしれない。

それだけで、今日は少し報われた気がした。


【補足メモ】


・13時:納品業者、豆の紙袋に誤配送(ブラジル→エチオピア)

 →次回伝票で調整予定

・15時:レジ横で、女の子が「交換日記、やってたよねー」と言ってた

 “やってた”という過去形が妙に残る

 今でも回している気配がある。3人のうち、背の高い男の子は何も言わなかった

・17時:新しい豆袋開封。甘さがしっかり残っていた

 今日は全体的に“ちゃんとした日”だった気がする

 天井の染みはもう増えているけど、香りだけは変わらず立ち上る

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