第2話 奴隷の少女
少女はオーレルを連れて路地を抜けた。その先には小さな広場があった。
「あそこの街灯の下にベンチがあるでしょ? そこの下にある古い木の扉のとこがそう。今はまだ朝だしそんなに混んでいないと思う。」
少女は弱弱しく儚い声でそう言うとまた路地へと戻っていった。
「どこへ行くんです? まだあなたに聞きたいことが。」
オーレルが少女に尋ねる。少女は立ち止まりちらりとこちらに振り返った。
「まだ仕事があるので。すぐに戻らないとまた怒られちゃうので。」
「・・・そうですか。わかりました。」
少女の声はあまりにもか細く震えていた。そんな少女を止める勇気などオーレルにはなかった。そしてその様子を少年らは影から覗いていた。
「あの魔術師の阿婆擦れめ。俺たちのお楽しみを邪魔しやがって。」
長身の少年が呟く。それをなだめるように小太りの少年が長身の少年の肩を叩く。そしてわざとらしく舌なめずりしてこう言った。
「まあ落ち着け。お楽しみはこれからだ。」
ストッキングと下着を脱ぎ、オーレルは古びた便座に座り込んだ。彼女には昔からある癖があった。中々答えの出ない難しい問題に直面した際、朝の洗顔時や便所、風呂場など水回りでそれについて考え込むことだ。
比較的栄えた中央で育った彼女からすれば奴隷文化などあり得ないことであった。全ての自由を奪われ、ただの道具としての生き方を強要される。自由だけでない。生きている意味、生まれてきた意味すら強者に踏みにじられ支配される。
「そんなのあんまりだ。」
オーレルは呟く。ただしそれが貧民地帯であった北部がここまで拡大した要因。仕方のないことではあった。だがそれを仕方のないことで終わらせられるほどオーレルは冷酷でも冷静でも大人でもなかった。
用を足し終え広場に出たオーレルの元に1人の男が歩いてきた。
淡い銀髪、肩までのウェーブがかった髪。漆黒の神父服。白襟とロザリオの十字架付き。ローブの裾にだけ赤い縫い目。顔立ちやたたずまいから40代前半ほどに見える。人の良さそうな穏やかな顔立ちだが、やけに年齢を感じさせない。
「これはこれは魔術師様。お待ちしておりましたぞ。」
落ち着きと包容力のある声で男は言う。格好と魔力量からその男がこの町の神父であることは明白だった。だとすればこの距離まで近づきオーレルの魔力探知で気づけなかったのもおかしな話だが、少し考え事をしていたからだろうとオーレルは結論付けた。
「王命より参りました。魔術師階級"術士マージ"のオーレルと申します。」
オーレルは両手でスカートの裾をつまみ、軽くスカートを持ち上げる。神父もそれに反応するように小さくお辞儀をした。
「・・・初対面で何だが。そのようなはしたない真似はよしなさい。」
神父の言葉にオーレルは戸惑いを見せた。カーテシ―のことを言っているのだろうか? 北部ではタブーなのか。将又この神父に一般教養がないだけか。どちらにしろ余計なトラブルは避けておきたいとオーレルは思った。
「失礼しました。」
「いや。こちらこそいきなり説教臭かったな。はじめまして。私の名はこの町の神父"リュス=ヘルヴァルト"と申す。」
リュスはそう言うと突拍子もなく聖堂へと歩き出した。
「さて時間がないので歩きながら話そう。」
オーレルも神父に続いて聖堂へと歩き出す。
「さて早々に本題だが。北部の地に、このヴェルハーヴンから魔族の魔力が感知されたとのことだがそれは誠であろうか?」
神父の問いにオーレルは小さく頷いた。
「本部からの知らせです。間違いはないでしょう。ただ私の感じる限りで魔族と見られる魔力は今のところありません。」
魔術機構国家"ラグ=アーカノメトリア"では全ての都市に魔族の魔力を感知する結界が貼られている。ひとたび魔族が町に足を踏み入れればすぐに本部にその情報が届く。情報が届き次第本部から魔族討伐のための魔術師が派遣される。
ある程度辺境の地になると移動には時を要する。特に森林地帯に囲まれた北部となると。その間に魔術師を恐れて逃げてしまうケースもある。
魔族の存在は一般には知られていない。魔族は滅んだ。それが世界の常識だ。だが今でも魔族は冥刻の夜に現れては人を襲い喰らっている。実際オーレルもそのような現場を何度も見てきた。そしてその手で数多の魔族を屠ってきた。齢13にして。そして口封じとして。魔族に襲われて、生き残ってしまった人間も。
「そうであろうな。もし魔族がこの町にいるとして、こうも容易く入り込まれてはこの無駄に荘厳な城壁も意味を持たぬ。」
「何もいないのであればそれでいいのですが。念のため1週間程滞在させて頂きます。」
隠れた魔族を探し出すだけなら2日もあれば十分だ。特にオーレルレベルの魔術師であれば。1週間もの猶予を設けたのはあの少女のことが気がかりだったからであろうか。
「であれば宿に困るであろう。最近は物価も高騰してて魔術師殿も生活は大変であろう。いや、中央のお嬢様であれば困ることはないだろうが。まあここは私の善意として、聖堂に空き部屋がある。そこでよければお泊めしよう。」
リュスはどこか温度感の感じさせない笑みを浮かべてそう言った。
「持ち場を離れてどこをほっつき回っていた?」
とぼとぼと帰路についていた少女の前に大男が現れる。この男が少女の主であった。
「・・・違うの。急に、急に連れてかれて。」
たどたどしい少女の態度にイラついたのか男は拳を振り上げた。
「いつから口答えをするようになった? いつからそんな屁理屈を言うようになった?」
男が少女に拳を振り下ろす。少女はただ目を瞑り歯を食いしばった。
「・・・まあいい。お前ももういい年だ。傷物になっては困る。」
男はすんでのところで拳を止めた。
「今日中に仕事は終わらせておけ。いいな?」
「・・・はい。」
少女の返事を聞いて満足したのか男は行きつけの酒場まで向かっていった。するとどこからともなく。先ほどの少年らが現れ少女を囲んだ。
「よっ。」
背の低い少年が気安い挨拶をすると共に小太りな少年が少女につかみかかる。
「今度は暴れるなよ? 大丈夫だよ。悪いようにはしないから。ちょっとだけ気持ちいいことしようぜ。」
長身の少年が気の抜けた声で言う。その瞬間、何を思ってか少女は小太りな少年の膝を蹴り上げた。
「いでっ!?」
か細い少女の力のない蹴り。とはいえ当たり所が悪かったのか。小太りな少年はよろけた。そのすきをついて少女は駆け出した。
「あいつ、逃げやがった。追え!」
少年らが少女を追いかける。
少女にはわからなかった。首輪に繋がれ、尽くしたくもない他人のために全てを捧げる。全てが虚無にでしかない人生。大嵐の日の風声以下の哀れな人形喜劇。生きていてなんの意味も価値もないことはわかりきっている。恐怖も痛みも耐えれば済むだけの話。なのにどうして自分は今走っているのか。若さという皮を被った暴漢らから逃げ回っているのか。なぜ自分は今、涙を堪え食いしばっているのか。
走っているうちに城門前の広場まで来た。ちょうど遠くから来た商人が帰路につく頃であった。商人は門を抜けると鞭を打ち、馬車を走らせた。門が開かれている。少女は迷うことなく門を潜り抜け外へと飛び出した。
「あっ!おい待て!」
衛兵の1人が声を荒げる。
「逃がすな! 追うぞ!」
少年らも後に続いて門を抜ける。長身の少年と小太りな少年が外へと飛び出すのかただ1人、背の低い少年だけが門の中に残った。商人や旅人でない限り城壁の外に出ることは基本的になかった。まだ子供である彼からして外は恐ろしかったのだろう。
「門を閉めるぞ。」
もう1人の衛兵が門を閉じた。
「おい。あの子らはどうするんだ?」
「馬鹿。悪いのは餓鬼共だ。だがこの世は理不尽なものでな。責任取って怒られるのは俺たちなんだ。余計なトラブルはごめんだね。それに今夜は冥刻だ。餓鬼が数人そこらいなくなってもおかしくない日だ。見て見ぬふりするには絶好の日だ。」
「冥刻って。いつの話だよ。魔族はもう。」
「おいそこの餓鬼。」
衛兵が背の低い少年に声をかける。
「ママに怒られたくなきゃこのことは誰にも言うんじゃねえぞ。お前は何も見なかった。いいな?」
衛兵の威圧におびえたのか少年は小さく頷いた。あの少女の家主の大男は恐ろしい男だ。もし少女に手を出したことがバレたらどうなるかはまだ幼い少年でもよくわかっていた。
はじめての外だった。どこまでも続く平野。子守りに疲れた太陽が、地平線の向こうに眠そうな顔をのぞかせている。数えきれないほどの針葉樹が風のバラードを奏でる。その全てが、少女の目には何の意味も持たない虚無に映った。何1つ輝きのない、己の歩んできた道のように真っ白で空虚な奴隷たちの哀れな喜劇にしか見えなかった。
行く宛があるはずもなく。ただ少年らの足音がなくなるまで。茂みを掻き分け沼を渡り、壮大な森の中を駆けた。そして日が暮れ夜が来た。
かけることのない赤月が晴天の空より現れる日。年に一度の"冥刻の夜"の始まりであった。
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