二.一家心中の家(2)
(それにしても、子どもを残して自分だけ成仏するなんて薄情じゃない? 自分で殺しておいて)
事件自体はテレビや新聞などで報道されていたのであずさも知っていた。
父親は小さな部品会社の三代目だ。妻を病気で失い、シングルファーザーとなってからも仕事にも育児にも積極的ないい父親だったという。
しかし不景気の波は地方の零細企業を一瞬で呑み込んだ。業績が悪化の一途をたどる中、パンデミックが追い打ちを掛けた。ついには事業を畳むことになり、借金を苦にした父親は我が子二人を絞殺した後、みずからも首をくくった。一家心中事案だ。
父親としては我が子を残すのが忍びなくて手に掛けたのかもしれないが、そんなものは愛情でもなんでもない。
結局のところ一人で死ぬのが怖くて我が子を道連れにしたのだろう。その証拠に、子どもたちの魂が現世に留まる中、父親だけはさっさと成仏している。
やがて廊下の奥に突き当たった。
青白い影はそこで襖を開けて部屋に入っていく。
すぐに追いかけると、そこは子ども部屋だった。畳の上にピンク色のカーペットが敷かれており、学習机にベッドもある。ベッドの上にところせましと置かれたぬいぐるみの数々から、生前は愛されていたことが伝わってくる。
青白い影は回転椅子に腰かけ、その学習机に向かっていた。
あずさはよく見ようと目をこらした。
霊や魑魅魍魎を見る力は見鬼といい、退魔師の基本能力だ。落ちこぼれでもこのくらいはできる。加えて、あずさには魂の状態を色で見分けることができた。青は悲しみの色だ。
影の姿がより鮮明に見えるようになっていき、やがてその姿は十歳くらいの少女に変貌した。父親に殺された姉弟の姉の方、
今回の任務は、父親に殺された幼い姉と弟の浄霊だった。
梨々香は足をぶらぶらさせながら机の上をぼんやりと眺めている。
何を見ているのだろう。あずさはそっと近づいてのぞき込んだ。
机には作文用の原稿用紙が広げられていた。タイトルは『夏の庭―The Friendsを読んで』。読書感想文のようだ。
事件が起きたのが八月三十一日だったことをあずさは思い出す。
夏休みの最後に、この子は殺されたのだ。実の父親によって。
「すごくがんばったの。話が面白かったから、書くのも嫌じゃなかったの。絶対クラス代表に選ばれると思ってたのに」
梨々香がぽつりぽつりと語る。
あずさが追ってきたことにも気づいているだろうが、こちらへ聞かせるためというより、自分に言い聞かせるような口ぶりだった。
「自信作だったの。先生にも、クラスのみんなにも読んでほしかった。梨々香ちゃんさすがだね、上手いねって言ってほしかった」
梨々香は嗚咽をこらえるように唇を噛みしめた。もう涙を流せる肉体がないのに、生前の癖が染みついているのだ。
あずさの胸が締めつけられる。気がついたら、考えなしに口を開いていた。
「それ、読ませてもらってもいい?」
梨々香がはじめて振り向いた。
見開かれた双眸は知らない人間に話しかけられて驚いているようでもあり、何かを期待しているようでもあった。
ややあって、彼女は恥じらうように視線を逸らす。
「あ……別に、いいけど」
「ありがとう」
あずさは懐中電灯を学習机の棚に置いて照明にしてから、机上に手を伸ばした。
触れた瞬間、原稿用紙が時を思い出したように劣化する。
湿気を吸っては渇いてを繰り返したようによれよれの紙質になる。そんな原稿用紙三枚を手にし、あずさはシャーペンで書かれた幼い字を目で追いかけた。
内容は死に興味を抱く登場人物たちに共感し、独自の解釈を語るものだった。小学五年生が書いたものとしてはとてもよくできており、感情をメインに書かれているので純粋に楽しく読める。
あずさは最終ページまで読み終えると、もう一度最初のページから読み直した。誤読があっては失礼だと思ったからだ。
二度目も読了すると、机の上でトントンと原稿用紙をそろえてから梨々香に返した。
「とても面白かった。死への好奇心と恐怖だけでなく、亡くなったお母さんについての気持ちも丁寧に書いてあって、思わずうるっと来ちゃった。私が先生だったら、学校代表として市のコンクールに推していたと思う」
「……本当? 本当にうるっときた?」
「うん。このとおり」
あずさは自分の潤んだ両目を指差して笑ってみせる。
この暗がりの中でも見えたのか、梨々香の表情がぱあっと明るくなった。
「すごく、すごく嬉しい。ありがとうお姉さん!」
「どういたしまして。それで、どうかな――天に行けそう?」
「……わかんない。でも、ちょっとすっきりしたかも」
晴れやかな顔でそう語る梨々香の姿が、また影に変わっていく。青白かった影は、ほんのりと緑色味を帯びている。魂が落ち着いている証拠だ。
父親によって突然命を絶たれた彼女の未練は、読書感想文を読んでもらえなかったこと、褒めてもらえなかったことだけだった。
あるいは、認めてほしかったのは寂しい思いをしているおのれの存在自体だろうか。
恨んでいないのだ。自分を殺した父親を。
自分が誰に殺されたのか知らないのかもしれない。犯行は深夜に行われたというから、寝ているうちに命を絶たれたのだ。
それをせつないと感じるか、せめて苦しまずにすんでよかったと思うかは人によるだろう。あずさは緑色味を帯びた影が徐々に薄れていくのを最後まで見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます