影の当主の仮嫁御寮 無角の鬼は鬼食みの生贄乙女に乞う
乙川れい
第一章
一.一家心中の家(1)
数年前に一家心中が起きたという家は、木造の大きな平屋だった。
部屋の多くが襖で区切られており、数少ない壁は藁の混じった土壁だ。建てられたのは戦後くらいだろうか。襖は破れて変色し、廊下の床板はところどころが腐っていて、うっかりすれば草履で踏み抜いてしまいそうだ。
あずさは懐中電灯で行く手を照らしながら慎重に足を進めていく。一歩踏み出すたびに床板から、ぎし、ぎし、と嫌な音と振動が伝わってきた。
こういう足場の不安定な場所にはもっと動きやすい格好で来たいところだが、あずさのような未熟者は身につけるもので少しでも力を高めなければ命を落としかねない。よって仕事のときはいつも特別製の着物と袴姿で臨んでいる。
懐中電灯の明かりがわずかに届かない前方に、ふわり、と青白い影がよぎった。
来た。
あずさは足を止め、着物の胸元で拳を握り込んだ。他に頼れる者がいないという状況が強めの緊張感となって鼓動を速めてくる。
(お父さんの話では、出るのは確か子ども二人だけ……だったよね?)
今日の任務はたいして難しくはない。成仏しそこねた子どもの霊を二体ばかり天へ送るだけだ。一人でだってできる。
「おまえももう十八だ。簡単な任務くらい、一人でこなせるようになってもらわねば家に置いてやっている意味がない。どんなに無能で鈍臭くても、
父にはそう告げられたが、建前だということはわかっている。
今日は異母妹である沙緒里の誕生日だ。親子水入らずで祝うには、前妻の子で落ちこぼれのあずさは邪魔なのだ。そのことについていまさらなんとも思わない。実力主義の家で、才能のない者は邪険にされるのは当然だ。だから高校にも行かせてもらえず、家事手伝いとは名ばかりの使用人を兼任させられている。
あずさの生まれた楠宮家は日本有数の退魔師を家業とする家系だ。
退魔師とはその名のごとく、
多くは平安時代の陰陽師を起源とするが、中には八百万の神々に連なる血族もいる。退魔師界隈での頂点に君臨する「御三家」はみな
楠宮家は陰陽師の傍系で、北関東でも有数の退魔師家だ。
といっても、楠宮家が使える術は和紙などでできた形代に自然霊などを宿す「式神術」と、魑魅魍魎を契約によって使役する「式鬼術」くらいだ。結界術や天候操作などが使えれば宮内庁や国土交通省などお役所からの案件ももらえるだろうが、楠宮家に舞い込んでくるのは単純な除霊や悪霊退治ばかりだった。
もっとも、あずさはその二種類の術すら使えない。いわゆる落ちこぼれだ。
血の繋がった家族から疎まれても文句は言えないだろう。
(わかってる。悪いのは才能がない……期待に応えられないわたしだってことは)
才能のある
継母の雪子も癒やしの術を使える家系の出身だからこそ、父に望まれて後妻になった。彼女が嫁いできたのは母があずさを生んで亡くなった一年後、喪が明けて間もない頃だった。そのときには既に赤ん坊の沙緒里を胸に抱いていた。よってあずさと沙緒里は年子だった。
沙緒里が父の実子である以上、血筋でも年齢でも対等だ。それで才能が劣るのではどうしようもない。
それでも、あずさは諦めたつもりはなかった。
式鬼術が使えなくても、亡き母
そうなったら、父は幼い頃のように「家族水入らず」にあずさを含めてくれるようになるかもしれない。
血の繋がらない継母も、あずさが優秀で誇らしい存在になれれば、一緒に食卓を囲むことくらいは許してくれるかもしれない。
異母妹も、昔のようにお姉ちゃんと呼んでくれるかもしれない。
(いまは、あの家にわたしの居場所はない。でも、いつかは……)
そんなことを考えながら、あずさは子どもの霊体と思われる青白い影の後を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます