第9話 幸せな終焉を迎えるための人生? 後編 《囚人視点》

「もう! 着いて早々鼻血出して保健室行きとかあり得ないんだけど?」

「ごめん……恭子ちゃん……」


 誠也と再会してパニックに陥った所為なのか、ただ暑さにやられただけなのか、私はその場で大量の鼻血を出してしまった。直ぐに駆けつけてくれた救護担当の生徒に連れられ保健室へと運ばれた。誠也から離れられたのは良かったが……慌てふためく彼の姿が目に焼き付いていて躊躇った。


 初めて見る姿だったから……。


「そのタオル捨てて良いって言ってたよ」

「そう……」


 誠也は自分の首に掛けていたタオルを思わずと言った態度で私の鼻に押し付けてきた。遥か昔に忘れたと思っていた誠也の汗の匂いがした。


「眞知姉ちゃん!」


 ガラッ! と音がして保健室の扉が開き従弟の翔平が入って来た。


「こら翔平! 保健室は静かに開けなさい!」

「ああ、ごめん姉貴……って、そんなことより眞知姉ちゃんが保健室に担ぎ込まれたって姉貴からのメッセージ、もしかして倒れたりしたの?」

「それなら深窓の令嬢っぽくて良かったのにね……」


 痛々しいものを見るように横たわる私を見る恭子、私だってそっちの方が良かったと思った。


「恭子ちゃん……酷い……」

「ええ? どう言う事?」

「眞知ちゃんてば校門でイケメン見て鼻血ドバーよ」

「わぁ……引くわ~」

「うるさい! 暑さにやられただけよ!」

「そう? イケメン凝視してたじゃない」


 それは仕方ない……前世の記憶が蘇ってからと言うもの避けに避け続けた関わりたくない人物が目の前に居たのだから。


「イケメンってどんな奴?」

「パンフレット配ってたわ」

「パンフ? ああ! それならウチのクラスの委員長だ。生徒会の手伝いでパンフ配るって言ってた」

「委員長?」

「そう! 秀才、宮前」


 ミヤマエ……違う人の名前が出たけどあえて突っ込まなかった。この人生で会った事のない人の名前知っている訳が無いのだから……そう思っているとコンコンとノックの後、扉が静かに開いた。


「あっ! 宮前」

「あれ? 黒田がどうして保健室にいるんだ?」

「文化祭に招待した従姉が保健室に担ぎ込まれたからだよ」

「いとこ?」

「お前の顔見て鼻血出した残念な従姉」


 だからその人じゃないんだって! と思っていたら……従弟の陰から顔を覗かせていたのは間違いなく誠也だった。


 曇りの無い瞳が真っ直ぐ私を見ていた。息を飲んだ瞬間、辺りの音が消え自身の鼓動だけがドクドクと鼓膜に響いた。


 落ち着け! あの辛かった前世とは違う! 今は何の縁も無い間柄だ!


「黒田の親戚の子だったの?」

「ウチの眞知がご迷惑おかけしました」

「いえ、大丈夫です」


「あ……ありがとうございました」


 おそるおそる話し掛けると目尻を下げ笑顔を返してくれた。これも初めて見る顔だった。


「血、止まりましたか?」


 慈愛に満ちた瞳で見つめられ息が止まる。


「はい。お陰さまで……」

「そう、良かった」

「わざわざ様子見に来てくれてありがとうな、宮前」

「いやいや、俺も気になっていたから……それじゃあ無理しないで楽しんでください」


 そう言って出て行った誠也を見送り溜息を吐いた。


「眞知姉ちゃん。もしかして一目惚れ?」

「えっ? そうなの?」

「ちっ違うってば!」


 過去、どれだけ酷い目に遭わされたか……なんて言える筈も無く二度と文化祭には来ないようにしようと一人誓った。


「珍しい……眞知ちゃんが動揺してる」

「アイツはお勧め物件だぞ!」

「良いとこのお坊ちゃんて感じね」

「ところがどっこい母子家庭なんだよ」

「母子家庭!?」


 だから名字が違うのかと納得した。


「母親が女癖の悪い父親に愛想が尽きて宮前たちを連れて家を出たらしい」

「えっ?」

「母親を助ける為に学校終わったらバイトしているって。偉いよな~ちなみにこの学校の生徒会長はアイツの兄さん」

「ええっ!?」

「妹も来年ここを受験するらしい」

「…………」


 声も出なかった。完全に未来が変わったと安心した瞬間だった。


 誠也の母親は心を病んでいない。お兄さんは生きている。妹は引きこもっていない。


 私だけの力では無いのかもしれないが七歳の私の行動で誠也を蝕んだ不幸を防げたのだと感じた。


 もう誠也を怖がらなくて良いんだ……。






 その後私は高校を卒業し大学へと進学した。バイトにサークル、就職活動と忙しく動いていたある晴れた日の午後、私は誠也に再会した。


 久し振りに会う高校の友人達とカフェでお喋りしていた時、目の前の席に男女のカップルが座った。その男性が誠也だったのだ。

 思わぬ再会に固まった私。一瞬目が合ったが直ぐに逸らされた。数年前の数分の出会いだ、前世で忘れる事のない仕打ちをされた私とは違い彼が私を覚えている訳がない。

 それから一時間程経って私たちはカフェを後にした。誠也たちは既にカフェを出ていた。その場で友と別れ歩き出した私は後ろから声を掛けられた。


「もしかして……黒田の従姉のお姉さんじゃないですか?」

「……えっ?」


 振り向くと誠也が居た。隣には眉間に皺を寄せた彼女の姿。


 ここにきて修羅場!? いやいや、それは無い! ……筈だ。


「覚えて無いですか? 文化祭で……その……鼻血……」

「それ以上は言わないで!」

「お兄ちゃん! バカなの!?」

「あっ……ごめんなさい」

「兄がすみません! 想い人に遭って浮かれちゃって」

「いえ、大丈夫で…………想い人!?」

「美鈴! ちょっ、おまっ、ななな何言ってんの!?」

「そう言う事なので後よろしくお願いしますね~」


 えええ!!! どう言う事!? 私は軽いパニックに陥った。



「ずっと……忘れられなくて……」

「はあ……インパクトありますものね……」


 再びカフェに戻り向かい合わせに座った。注文したコーヒーをひと口飲み心を落ち着かせた。


「鼻……ゴホン! そっちじゃ無く、可憐な容姿とか澄んだ瞳とか鈴の音のような声とか……」

「あっ、あの!」

「……はい?」

「それ以上は止めて……恥ずかしい……から」

「あっ、はい……」


 お互い耳まで真っ赤になって黙り込んだ。そんな誠也の顏も初めて見るものだった。


「また会って貰えますか?」

「友達としてなら」


 そう言った筈なのに……。



「昨日は無理させちゃったね。身体辛くない?」

「ん……大丈夫……」

「ちょっと眞知……そんな色っぽい声出したらまた……」


 気付けば肌を合わせていた。


 私は大学を卒業後、再びカウンセラーの仕事に就いた。一年後、誠也は大学を卒業して兄が立ち上げたIT関係の会社のSEとして働き出した。お互い忙しく学生時代に比べて会う回数も減ったが、思いやる気持ちは深まっていった。この日も日付が変わるまで愛し合い求め合い溶け合った。


「眞知」

「ん?」


「結婚しようか?」


「うん………………ええええ!!!」


 そしていきなりのプロポーズ。閉じかけていた瞼がこれ以上ないくらいに見開いてしまった私だった。


「子供作ろう……眞知似の女の子が欲しいな」

「私は誠に似た男の子が欲しい……」


 これまでの人生で子供を産んだ事は無い。多分この身体は子を成せない身体なんだと思っていた。その漠然とした思いが後々取り返しのつかない事になるとはこの時思いもしなかった。


 私が三十八歳の時、流産したのだ。


 生理が遅れていることには気付いてはいた。でもまさか妊娠しているとは思ってもみなかった。

 その日は何時ものように少々問題のある母親とのカウンセリングをしていた。最初は穏やかに話を聞いていた母親が子供の名前を聞いた瞬間、興奮して暴れ出したのだ。落ち着かせようとして近付いた時、振り回していた女の肘が私の下腹部にあたったのだ。


「うっ……」


 鈍い痛みが激痛に変わり足元には鮮血がボトボトと滴り落ちた。異変に気付いた職員が救急車を呼んでくれたが……子供が流れるのを止める事は出来なかった。


 そして二度と子を産む事が出来なくなったのだ。




「ごめんなさい……」

「眞知が無事で良かった……」


 病院に駆け付けてくれた誠也は私を咎める事は無く優しく介抱してくれた。


「赤ちゃん……もう産んであげられない……」

「バカ! そんなこと気にするな……」

「でも……誠、子供欲しがっていたじゃない」

「俺には、存在していない子供より目の前に居る眞知が必要なんだ!」

「ううう……ああ……」

「だから早く元気になれ」


 それからも誠也の愛は私だけに注ぎ込まれ今に至るまで変わらなかった。






「ねえ、誠……」

「ん? 寒いのか? 窓閉めようか?」


 あの日、高校の保健室で初めて見た慈愛に満ちた瞳が私を優しく見つめていた。


「生まれ変わっても……また一緒になってね……」


「……ああ。もちろん」


 私はまた七歳に戻るのだろうか……?


 同じ人生を歩むのだろうか……?


 もし、そうだとしても……私は……誠也、あなたと歩みたい。


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