第7話

 その日は普段よりも気温が高く、湿度までも高く感じられ、それらが俺の苛立ちをより一層増幅させた。


いつものように〈ヘリテージ・ホテル〉の玄関脇で客の到着を待っていた。


やはり俺の少し前には、相も変わらずカモを待ち構えるストリート・チルドレンたちが屯していた。


到着予定時間はもう一時間以上過ぎていたにもかかわらず、マリアからは電話一本すらなかった。


「どないなっとんねん」

 苛立ち、何本目かの煙草を灰にした。


 ロハス大通りを挟んで見えるマニラ湾には、すでに夕日がかかろうとして、少しずつ海の色を朱に変えていった。


マニラ湾に沈むその夕日は、世界三大夕日の一つに数えられるらしく、知る人ぞ知る観光スポットとなっていた。


「どこが世界一やねん……」

 いよいよ苛ついた俺は、煙草を踏み消し何度目かのリダイヤルボタンを強く押した。


三回目の呼び出し音のあと漸くマリアの声がした。叫び声だった。


「アキ! ボンバー、ボンバー!」

 爆弾と聞いて咄嗟に『同時多発テロ』の衝撃的な映像が脳裏を掠めた。


「なに! 大丈夫なんか! おまえ!」


「うん、わたしは大丈夫。でもノリが……ノリがケガしたヨ」


「ほんまか! すぐに行くからまっとれ、どのあたりや?」


「ナンバーワンのターミナル!」


 電話を切って駆け出した。

 大通りに飛び出して、タクシーを止めようとして思い直した。


(あかん、ただでさえ混んどるのに、バイクやないと)


 大通りを引き返し、裏通りへと駆けた。


「助けて!」

 ちょうどいつも屯しているストリート・チルドレンたちの横を通り過ぎようとした時だった。


 子供たちの周りをいかにも柄の悪そうな連中が、四、五人で取り囲んでいた。


(なんや、トラブルか、あかん、今はかまっとるヒマはないんや。堪忍せえよ)


 スキンヘッドの男が引っ込んでろと言わんばかりの形相で、立ち止まった俺を威嚇した。


 子供たちに視線を向けると、片脚らしい子供が、他の男の足に縋り付き抵抗していた。


顔は涙や泥でぐちゃぐちゃな状態で、以前からいた子供なのかさえわからなかった。


「すまん」

 日本語で詫び、背を向けた。


 背後から男たちの勝ち誇ったような笑い声が響いたが、かまっている場合ではなかった。


 いや、何もない状態の時でも相手にするべきではない連中だ。


 日本での喧嘩のように、脅しや威嚇だけですむ国ではない。トラブルは即、命のやりとりへと発展する。


(今はその時やない。俺はこの国でなんとしても生き延びなあかんのや!)

 自分に無理やりそう言い聞かせて振り向くことなく客待ちのバイクタクシーに跨った。


「空港へやってくれ! ニノイ空港。チップだ、飛ばせ!」


 タガログ語でそう伝えると、ドライバーは金を無造作に受け取り、勢いよくバイクを発進させた。


 すぐに後ろを振り返ったが、バイクの巻き上げた土埃で、さきほどの子供たちはもうすでに見えなくなっていた。


        

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