第6話 婚約は破棄するべき─アレクシス視点─
これは、アレクシスが婚約相手であるエリザベスに対して手紙を送る少し前の話である。
アレクシス・ヴァルモントは、自室の窓辺で腕を組み考え込んでいた。婚約者であるエリザベス・ローズフェルのことを考えるたびに、胸の奥に不満が積もっていった。
(いつも、お気楽そうな顔をしている)
普段からエリザベスの振る舞いや表情が、アレクシスには軽薄に映った。気の抜けた笑顔で、誰に対してもいい顔をして接する。分別がない。まるで、世間を何も知らない田舎娘のようだ。公爵夫人になる自覚が彼女にあるのだろうか。
ヴァルモント家の未来を、彼女は真剣に考えているのだろうか。アレクシスには、本気が感じられなかった。
あのふわふわとした態度。何を考えているのかわからない、ぼんやりとした雰囲気。アレクシスは、そういう女性が苦手だった。もっとはっきりとした意志を持ち、堂々と振る舞う女性こそが公爵夫人に相応しい。
それに向こうも、俺に対しては距離を置いているように感じる。昔は話しかけてきたように思うけれど、最近は素っ気ない。こちらが声をかけても、当たり障りのない返事だけ。仲良くしたいのかしたくないのか、気まぐれな性格だと感じる。
友人が無駄に多いことも気になる。八方美人で、誰にでも媚びを売る。社交の場でも、あちこちの貴族と親しげに話している。ヴァルモント家だけに忠誠を誓っていればいいのに、他の貴族のことばかり気にしている。公爵夫人になるなら、夫の家だけを第一に考えるべきだろう。
そもそも、彼女は本当に俺との婚約を望んでいるのか。時折見せる素っ気ない態度は、もしかして不満の表れではないのか。だとしたら、無理に結婚しても上手くいくはずがない。
(このままエリザベスを公爵夫人にすれば、ヴァルモント家の将来が危ういかもしれない)
アレクシスは、そう確信していた。もっと相応しい女性がいるはずだ。自分の考えをしっかり持っていて、ヴァルモント家の発展に貢献できる女性が。
そんな時、彼女と出会った。
ロザリンド・ベルモント男爵令嬢。
初めて言葉を交わした時、アレクシスは衝撃を受けた。艶やかな黒髪、妖艶な瞳。派手な宝石を身につけた華やかな姿。エリザベスの地味でぼんやりとした雰囲気とは、まるで正反対だった。そして何より、彼女の言葉がアレクシスの心を捉えた。
彼女に対しては、素直な気持ちを吐き出せた。誰にも理解されなかった不満や不安を、ロザリンドは優しく受け止めてくれた。
「アレクシス様のお考えは、本当に素晴らしいですわ」
ロザリンドは、アレクシスの話を熱心に聞いてくれた。共感を示し、称賛してくれた。その瞳は、まるでアレクシスだけを見つめているかのように輝いていた。
「ヴァルモント家の将来をしっかりと考えていらっしゃる。真の貴族の姿ですわ。私、感動いたしました」
ロザリンドの声は、甘く優しい。彼女の言葉を聞くたびに、アレクシスの心は満たされていった。
「あなたのような方こそが、本当の意味で家を支えられるのですわ。きっと、素晴らしい当主になられるでしょう」
(彼女は、俺のことを深く理解してくれる。心が通じ合っている)
アレクシスは、そう感じた。自分の気持ちを素直に伝えられたし、ヴァルモント家の将来を一緒に考えてくれる。こんな女性は初めてだ。これこそ公爵夫人の資質だろう。エリザベスとは違う。ロザリンドこそが相応しい。
ロザリンドとなら、ヴァルモント家をさらに発展させることができる。そんな確信が、アレクシスの心に芽生えていた。
父を説得しなければならない。
アレクシスは勢いに任せて、父の執務室を訪れた。扉をノックし、中に入る。重厚な執務机の前に座る父の姿が見えた。
「父上、婚約の件でお話があります」
ヴァルモント公爵は、書類から顔を上げた。息子の真剣な表情を見て、何事かと眉をひそめる。
「エリザベスは公爵夫人として相応しくありません」
アレクシスは部屋に入るなり、一気に言葉を続けた。自分の考えが正しいと信じて疑わなかった。
「もっと適切な相手がいます。ベルモント男爵家のロザリンドです。彼女ならヴァルモント家の発展に貢献できます。エリザベスよりも、はるかに優れた資質を持っています」
公爵の表情が、瞬時に険しくなった。いきなりの言葉に、何を言っているのだと呆れていたのだ。
「お前はいきなり、何を言っている」
低く、静かな声。
「ローズフェル家との婚約は、両家の長年の合意によるものだ。それを勝手な判断で大事な政略結婚を台無しにするな」
もちろん、アレクシスの提案は即座に却下された。冷静であり、厳しい口調で。父の声には、息子の愚かさを叱責する響きがあった。
「……」
アレクシスは、プライドを深く傷つけられた。せっかくヴァルモント家の将来を考えて提案したのに。父は自分の考えに囚われている。このまま行けば、それが大きな間違いだと気づくだろう。なぜ理解しないのか。怒りと不満が、胸の中で渦巻いた。
提案を却下された後、アレクシスは自室で一人考え込んでいた。窓の外を眺めながら、次の手を考える。エリザベスとの婚約を破棄することを諦めない。
(自分で進めるしかない)
エリザベスには考えがない。ただ、指示すれば言うことを聞く。従順な性格。あのおっとりとした性格なら、強く言えば逆らわないだろう。彼女に指示を出して、秘密裏に婚約破棄を進めれば、父も既成事実として受け入れるだろう。
アレクシスは便箋に向かった。丁寧に、理路整然と説明すれば、エリザベスも納得するはず。何も難しいことではない。ただ、事実を伝えて、適切な指示を出せばいいだけだ。この考えは、きっと上手くいく。考えていくうちに自信がついた。
長々と書き連ねる。便箋が一枚、二枚、三枚。
婚約破棄の必要性を説明し、エリザベスから申し出る形を取るように指示する。両家の体面を保つための必要な措置だと強調し、これが最も賢明な選択だと念を押す。そして最後に、この決定がヴァルモント家の意向によるものであることは、決して口外しないように釘を刺した。
(これで完璧だな)
自分の計画に自信を持って、手紙を送った。エリザベスが反発するとは、微塵も思っていなかった。書いた言葉を、黙って実行してくれると信じていた。全てが上手く進むはずだと。
だが、数日後。
「アレクシス様、旦那様がお呼びです」
「わかった。すぐ行く」
早速、動いてくれたか。おそらく婚約破棄についての話だろう。そう予想して、アレクシスは冷静な表情のまま執務室へ向かった。廊下を歩きながら、次の説明を頭の中で組み立てる。
もう一度ロザリンドを新たな婚約相手に推す。エリザベスが自ら婚約破棄を申し出たのだから、仕方がないと説明すればいい。そう考えていたのだが。
「お前は、何を考えている!?」
「え?」
部屋に入るなり、激怒する父。意味がわからず、唖然とするアレクシス。執務室の空気が、ピリピリと張り詰めていた。
「ローズフェル家との関係を、お前一人の判断で壊すつもりか。あれは大事な政略結婚だったのだぞっ!」
公爵の顔は紅潮し、拳が執務机を叩く音が響いた。アレクシスは、こんなに怒る父を見たことがなかった。
慌てて、アレクシスは反論する。
「婚約破棄は、エリザベスから申し出たのでは……?」
「馬鹿にしているのか! お前が、あの手紙を送ったのだろうッ!」
「なっ!?」
そして、手紙の内容をバラされる。ローズフェル家の当主から、三枚の便箋全てを見せられたんだと説明される。確かに、その内容を書いたのは自分だとアレクシスは思った。
つまり、エリザベスは指示を無視した。それを知って、アレクシスも激怒した。
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