最終話 螺旋の終着点
伽羅は、まるで独白するように、自らの過去を語り始めた。俺と操は、ただ静かに、その悲痛な告白に耳を傾けていた。
「あの実業家は、私の友人であり、研究のパートナーだった。我々が平和利用のために研究していた音響技術を、彼は金と欲望のために盗み、邪魔な人間を排除する凶器へと変えた。そして、その罪を全て私に着せ、私は社会から抹殺された」
伽羅の視線が、操に向けられる。
「君が巻き込まれた、あの日の事件もそうだ。彼は、君の父親が彼の不正に気づいたことを知り、排除しようとした。君は……君は、その巻き添えになったのだ。私が作り上げてしまった技術の、罪なき犠牲者として」
その声には、深い悔恨の念が滲んでいた。
「私は、君にただの被害者でいてほしくなかった。君に宿る、その類稀なる才能を、復讐のような下らないものではなく、真実を希求する崇高な力として開花させてほしかった。だから、この一連のゲームを用意した。君が、自らの手で過去のトラウマを乗り越えるための、私からの、最後の贈り物だ」
長い告白が終わり、ホールは再び低周波音だけが支配する、不気味な静寂に包まれた。
やがて、操が静かに口を開いた。
「……あなたの動機と、私への歪んだ期待は理解した。だが、一つだけ、訂正させていただきたい」
操は、俺の方をちらりと見た。その目には、確かな信頼が宿っていた。
「私が恐怖の底から這い上がり、真実にたどり着くことができたのは、あなたの『導き』があったからではない」
彼女は、はっきりとそう言った。
「私の隣に、この愚かで、お人好しで、そして誰よりも信頼できる『相棒』が、ずっと一緒にいてくれたからだ」
その言葉に、俺は少し照れくさくなりながらも、力強く頷き返した。そうだ。俺たちは、二人でここまで来たんだ。
操は、ゆっくりと、長年彼女の膝の上にあった、あの小さな小瓶を手に取る。彼女がそれを、振り子のように振ると、カタカタと音が鳴る。
「このガラス片は、私にとって過去そのものでした。憎しみであり、恐怖であり、そして、私が探偵であることの唯一のよすがだった」
彼女は、その小瓶を、静かにオルゴールの前の床に置いた。
コツン、という小さな、しかし決意に満ちた音が、広いホールに響き渡る。
「だが、もう必要ないだろう」
彼女は、伽羅を、そして自分自身の過去を真っ直ぐに見据えた。
「私は、もう過去の音に耳を澄まさなくても、真実を見ることができる。私は、あなたに導かれた被害者じゃない。自らの意思でここに立ち、自らの足で真実を掴んだ、探偵、瓶覗操だ」
その姿はあまりにも潔く、そして、あまりにも力強かった。
伽羅は、操のその姿を見て、どこか寂しそうに微笑んだ。
「……そうか。それでこそ、私が信じた探偵だ。私の役目は、どうやら、終わったようだな」
彼は、自ら両手を差し出し、静かに投降の意思を示した。その完璧なタイミングで、ホールの入り口から、潤朱刑事を先頭にした警官たちが、なだれ込んできた。
長くて短い、奇妙なゲームは、こうして終わりを告げた。
◇
数日後。洋館のリビングには、いつもの穏やかな時間が流れていた。
俺が淹れた紅茶を、操は静かに口に運んでいる。その所作は、以前と何も変わらない。
だが、彼女の膝の上は、少しだけ寂しくなっていた。あの小瓶が、もうそこにはないのだ。
「……なんか、調子狂うな。お前の膝の上に、あれがないと」
俺がそう言うと、操は窓の外の青空を見つめながら、穏やかに答えた。
「そうか? 私はむしろ、視界が晴れて清々しているがな。過去を覗き込まなくても、世界は存外、美しいものだということに、ようやく気づいた」
「そりゃ、よかったよ。で、これからどうすんだ? 難事件も解決したし、探偵業は、もうおしまいか?」
俺の問いに、操は、くるりと車椅子を反転させ、悪戯っぽく笑った。その顔は、全ての呪縛から解き放たれ、ただの十七歳の少女のような、無邪気ささえ浮かべていた。
「馬鹿を言え、繰。私の物語は、まだ始まったばかりだ」
彼女は、挑戦するように、俺の目をじっと見つめる。
「――さて、繰。退屈だな。何か、面白い事件は落ちていないか?」
俺は、天を仰いで、やれやれと肩をすくめた。
そして、心からの笑顔で答えた。
「さあな。でも、あんたがいれば、どんな退屈な世界でも、きっと面白くなるんだろうな」
安楽椅子探偵の、本当の旅が今、始まった。
もちろん、その隣には、これからもずっと俺がいる。
世界一優秀で、世界一ワガママなご主人様の、唯一無二の相棒として。
安楽椅子探偵・瓶覗 操の判断推理 火之元 ノヒト @tata369
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます