第19話:邪念を持つものは

 先に部屋に戻ったのはレベッカだった。

ウィルモットがまだ一緒にいたいと駄々をこねるため、共に戻って来たのだ。

扉の鍵が開いている事に違和感を覚えたが、ひとまず中に入る。


「あら…?シャーロスがいないわ」

「キッチンはすぐ傍なのに、おかしいね」


 何かあったのかとシャーロスを探している途中、ふと机が目に入る。

おかしい。そこにあったはずの論文が無い。


そのことに気づいたレベッカの顔は真っ青で、冷や汗が一気に流れる。

レベッカの様子が変だと傍に駆け寄るウィルモット。レベッカの目線を追ってようやく彼も理解した。


「論文が…!」


 ウィルモットは素早く周辺を探すが、全く見当たらない。

あんな紙の束どうしたって目立つ。行方不明になる事などあり得ないのだ。


「シャーロス君が持ってるとかは?」

「あの子はそんな事しないでしょう」

「…それもそうだ」


 シャーロスはレベッカに嫌われるような事はまずしない。その為彼が隠したという線も薄いだろう。

鍵が開いていた扉を見つめ、最悪のケースを考える。


もしかしたら、誰かに盗まれた?

だとしたらなんの為に?お金目的ならまず金になるものを選ぶはずだ。


レベッカの頭は最悪の場合を考えてしまう。もしかしたら、研究を奪うためなのでは、と。

そんな事されては、レベッカの人生が、費やしてきた時間がすべて無かった事にされてしまう。

頭が真っ白になりそうだ。

ウィルモットはレベッカを宥め、近くの椅子に座らせる。

ウィルモットも冷や汗が止まらないのだが、レベッカはそれ以上だ。


「はぁ…って、ウィルモットさん?どうしたんですか?」


 ため息を吐きながら戻って来たシャーロスはその異様な雰囲気に目付きが鋭くなる。

レベッカに何かあったのか、とウィルモットに視線を向ける。

ウィルモットは静かに机を指さした。


「論文が無くなったんだ」

「ろ、論文が…!?なんで…」


 そこまで言うとシャーロスの顔からも血の気が引いてく。

犯人の思い辺りはないが、盗む事が出来たのはシャーロスがカギをかけずに部屋を出たからだと察したのだ。

シャーロスは思わずレベッカに縋りつく。その顔はいつか見た日よりも涙に濡れ、多くの焦りを含んでいた。


「ごめんなさい姉さん!!僕が不用心なせいで…。ほんとにごめんなさい!!!」


 いつになく不細工なシャーロスを見て、ようやく意識がハッキリとしてくる。

自分より年下の子に謝らせてどうする。結局は机に置きっぱなしにしていたのが悪いのだ。


レベッカは嗚咽を漏らしながら謝り続けるシャーロスの頭を撫で、落ち着かせる。

ここで慌ててはいけない。いつでも冷静さを保たねば最善の選択はできないのだ。


「貴方は悪くないわ、シャーロス。けど、嫌な状況であることに変わりはない」

「姉さん…」

「ひとまず私は学園で怪しい人物がいないか調べるわ。恨まれるとしたら学園の誰かの可能性が一番高いもの」


 レベッカの顔色は相変わらず悪いままだ。

それでも考える事をやめないその姿勢にシャーロスも泣いていられないと無理矢理涙を引っ込めた。


「まだ研究は途中。あのまま発表したとしても笑いものになるだけよ」

「いち早く犯人を特定しなきゃだね」


 レベッカとウィルモットは何かあったと悟られない為にも学園に行かなくてはならない。

その為シャーロスに外からの調査を任せ、レベッカ達は学園で調査をすることになった。

ウィルモットはどうせなら王子達も巻き込んじゃえ、と手紙を送る。

特急で送った為十分もすれば彼らに届くだろう。


「一番最悪なのは研究を利用して新しいものを作られることだけど…」

「そんな短時間で出来たら苦労しないよ…」


 幸いと言っていいのか、盗まれたのは論文のみで、さらに詳しい事が記載されているものには手を出されていなかった。

レベッカはこの事件の犯人は先日レベッカ達を襲わせた者だと推測しているが、肝心のそれが誰なのかが判明していない。

だが、とにかくやられっぱなしは性に合わないのだ。








 論文が盗まれてあっという間に数日が経った。

未だ犯人は不明。相手は盗みのプロを雇ったのか証拠も残っていない。

最初から目途が立っていれば探しやすいのだが、そう上手くはいかなかった。


「レベッカ、大丈夫か…?顔色が悪いぞ。ちゃんと寝ていないだろう」

「一刻も早く見つけないと悪用される可能性が上がっていくのよ。呑気な事言ってられないわ」


 レベッカのしていた研究はそこまで凄いものなのか、と内容を知らないルーヴァンは考える。

国家を揺るがしかねないのか、それとも軍用に改造されるとまずいものか。

レベッカにいくら聞いても答えてはくれない。


 そんな彼女は今にも寝てしまいそうで、少しひやひやする。

ルーヴァンも伝手を当たってみたのだが進展はなし。完全に行き詰っていた。

そんな時だった。



「レヴィ、大変だ!!」


 ウィルモットが新聞を持って教室に駆け込んできた。

あまりの勢いにレベッカの目もしっかりと開かれる。

ウィルモットは二人に見えるように新聞を広げる。そのには侯爵家が新しく開発した新商品、栄養剤が大々的に載せられていた。


「…この家の者は確か同じクラスの」

「フォークス家だ」


 それの何が問題なのか分からないルーヴァンはレベッカに目線を送る。

レベッカは新聞を詳しく読んでいくにつれ、悪かった顔色が更に悪くなっていった。もはや生気を感じられない程だ。


「こ、これ、もしかして、私の」


 レベッカのあまりの動揺具合に心配になるが、ルーヴァンも詳しく読み進めることにする。

そこにあったのは夢物語のような内容であった。


『これを一日一錠飲むだけで、体調不良がたちまち良くなる!驚異の回復を貴方も体験しませんか?』

『こちら、どんな成分でこのような効果を出しているんですか?』

『人間の構造を理解し、それに良い物を混ぜ合わせただけです。仕上げに聖女の力を籠めれば完成だ』


 そこから先は更に専門的な解説になっており、ルーヴァンも初めて見るその体や臓器への解釈に思わず感嘆の声が出てしまったほどだ。

脳の老化や、それについての対策。人が病気になる原因をできるだけ排除するには。

そんな小難しい内容がびっしりと書かれている。

こんなもの、いくら聖女の血筋とはいえ研究するのは難しかったはずだ。


「論文の内容そのままじゃない…!?」

「は…!?」


 何と新聞に載っていた小難しい解説はレベッカの論文に書かれているものをそのまま引用したものだったのだ。

一目見ただけでここで研究するのにどれだけ大変だったかが分かる。

それを、まさか丸々我が物顔で発表するとは。


しかもその重要性が理解できていないのか新聞のインタビューで記載させる始末。

知識がないものはこうも愚かになれるのか。出すべき場所に出せば一生食べていける程の金を手に入れられるというのに。


「すぐにこの新聞の発行をやめさせる。少し待っていろ」


 ルーヴァンは急いで使用人に指示を出し、王国へ伝えさせる。

何かあった時の為に王国への連絡手段をいくつか用意させていたのが役に立ったようだ。


三十分もすれば新聞の回収と発行中止は完了した。

適当な理由をつければ新聞くらいはどうにかなる。だが肝心の商品は少し難しいだろう。

この研究がレベッカのものであると証明できない限りは不可能だ。


「調査を急がねば…!」


 ルーヴァンは頼れる兄の元へ向かう。知識は誰にも負けないティガならば、何か掴んでいるかもしれない。そう信じて。






 同時刻、教室にて。

レベッカはルナ・フォークスと対峙していた。


「あらレベッカさん、ご機嫌よう。そういえば本日の新聞は見ました?あの新商品、私が開発したんですよ」


 真正面から馬鹿にしに来るとは思っておらず、上手く言葉が出ない。

レベッカは俯くことしかできなかった。

ウィルモットが止めようとするも、彼女の取り巻きに邪魔されて近づけない。


「そういえばレベッカさんも似たような研究をなさってたんですってね。でもごめんなさい?私の方が早かったみたい」

「なんでそんな」


 なんでそんな事を言うのか。そう問おうとするが、直前で遮られる。

人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、思い切りレベッカの足を踏みつけながら、ルナは言い放った。


「どれもこれも私より目立つから…。調子に乗るからこうなったんですよ?」


 レベッカにしか聞こえないように耳元で囁かれたその言葉に、何も返す事が出来なかった。

満足したのか高笑いをしながら何処かへ歩いていくルナ。


 その背中を見て、レベッカは今までにない程の怒りを感じていた。

それと同時にどうしようもない程の絶望感、失望感がレベッカを襲う。

なんでこんなことになったのか。彼女に何か危害を加えただろうか。何もしていないし、学園では大人しくしていたはずだ。

恐らくレベッカの階級が公爵であるからだろう。ただそれだけの事で、レベッカは人生を奪われたのだ。


 レベッカの意識が段々と遠くなっていく。

悔恨、憤慨、絶望。レベッカの中で様々な悪感情が溢れて爆発する。

その感情のエネルギーは彼女の意識をもっていく程強力なものだった。


「レヴィ!」


 意識を失ったレベッカの体を受け止めたのはウィルモットだ。

名前を呼びながら揺らしても意識は戻らない。

涙ぐむウィルモットだが、レベッカの体からあふれ出す魔力の恐ろしさに涙が引っ込んだ。


 レベッカの体から放出されているのはレベッカの悪感情を凝縮させたエネルギー。

禍々しい色に染まっている魔力は人間のものとは思えない程強力だ。

いくら魔力を制御させたくてもレベッカは気を失っている。この禍々しい力を止める事はできないのだ。


 魔力とは精神の力で作られているものであり、使うとその分精神が疲労する。

その為強力さや残忍さはその時の精神状態に左右されるのだが、レベッカの精神状態は最悪としか言いようがない。


 ひとまず今は安静に休ませるしかない。

レベッカが目を覚ました時にストレスになるものをなるべく排除しておく必要がある。

つまり論文がレベッカのものであると証明しなければいけないのだ。


「か、体が痛いっ!痛いぃい!!」


 突如教室に響いた令息の声。

痛みを訴えて床を転げまわる彼の体には黒い痣のようなものが浮き出ていた。


「どうしたの、しっかりして!」


 今までレベッカについて回っていたおかげである程度病気やケガを見てきている。

しかし黒い痣が浮き出る病気など今までの人生で見たことが無かった。


「騒がしいが、何があった」


 ティガを引き連れ戻って来たルーヴァンは現状が理解するのにそう時間はかからなかった。

苦しみだした令息を暴れないよう押さえつけた。

触ると更に苦しみ出したため、かなり力をいれて押さえなおす。


「ルヴァ、これ呪いの類だよ。独特な痣が体全体に広がってるから、そりゃあ痛いよ」


 ウィルモットが分からなかったのも無理はない。

呪いははるか昔に使われていたもので、その代償が激しいため使われなくなった技術なのだ。

博識なティガでも治し方までは分からず、どうすることもできない。


 どうしようかと頭を悩ませていると、他の教室からも痛み出す声が聞こえてきた。

ウィルモットが様子を見に行くと、苦しんでいる令息の顔に見覚えがあった。


レベッカとティガに暴力を振るった者の友人だったはずだ。

余罪がないか調べる為に彼らの身辺調査をした際に見た顔だ。

たしかこの男も何かしら犯罪を犯していたのを覚えている。証拠不十分だった為に処罰は下されなかったが。


この呪いにかかったのは偶然ではないだろう。

呪いと言うのは恨むことによって発生する力。相当恨まれていたか、呪いにかかる条件を満たしていたか。


そうしているうちに被害はどんどんと拡大しており、教師にまで呪いが発現し始めた。

呪いの重さは人それぞれで、そもそも呪いにかからない者、一部が痛む者、立っていられない程の痛みを感じる者など。

呪いなだけあって痛み止めも効かない上に痛みを感じるだけで実害はなかった。






「…これ、呪いの発生源レベッカちゃんじゃないよね?」


 タイミングからしてその可能性が高い、とティガは考察する。

未だに禍々しい魔力はあふれ出ており、止まる気配がない。もしかしてこれは魔力ではなく呪いの力なのだろうか。


 レベッカには気を失う前に相当なストレスがかかっていた。それが原因で感情が呪いにまで発展し、今こうして被害が出ている。

そうだと仮定すれば納得はできた。被害が出ていない者の特徴は皆人畜無害な事だ。

悪意に反応して発生する呪い。そうだとすればこれはレベッカの防衛本能が働いているのかもしれない。


「つまり、レベッカの研究を取り戻さない限りこの呪いは収まらないという事か」

「も、目的はハッキリしたね」


 ひとまず被害を抑えるため、レベッカの周りにダメもとで魔力を吸収する水晶を置いた。

全てではないものの、少しづつは吸収しているようだ。

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