第9話:三人目【シャーロス】
レベッカはどうしてここまでシャーロスに懐かれているのか皆目見当もつかなかった。
ただ避難先を作ってやっただけでどうしてここまで懐かれるのだろうか。
一つ言えるのは、シャーロスにとって信用できる人間が少なすぎるという事だ。それも関係しているのだろう。
レベッカは自身の弟の扱い方が上手だったせいでここまで懐かれた事には気づいていない。レベッカがいつも言っている何事にも適量はあるのだ、の適量という条件をレベッカは完璧な塩梅で満たした事を。
今日はいつの間にか約束させられていたお出かけの日。シャーロスによって計画されたそれはまるでデートコースのようだ。
「一日の終わりには綺麗な景色を見ながらのディナー!いいプランでしょ!」
「え、えぇ…そうね…」
「ほら早速行こ!」
貴族の令嬢令息が街を出歩くのはいささか問題がある。とにかく目立つのだ。
しかしシャーロスはその問題をすでに解決していた。いつの間にか平民風の服が用意されていたのだ。
丈がピッタリな上、ヘアセットも綺麗に施された。これが本当に八歳の子供なのか疑問である。
「見て姉さん、この本確か貴重なやつじゃない?」
「あら、本当ね…。買っていこうかしら」
「このお肉美味しいね!串に刺して焼くなんて面白いね」
「片手間に食べられるよう工夫されているのね」
「見てみて姉さん、あの鳥、論文に書いてあった種類だよね?」
「確か個体数が年々減ってきているのよね」
お出かけは楽しく順調に進んでいた。レベッカも研究から離れ頭を休める事が出来たし、シャーロスもレベッカと一緒にいることができて大喜びだ。今までで一番の笑顔ではしゃいでいる。
「確かこっちにお店があったはずだよ」
シャーロスに手を引かれ、慌ててついていく。シャーロスが行こうとしているのは地元民はまず近づかない、スラム一歩手前の地区に繋がる道だ。
レベッカはその危険性を十分なほど理解している。生きる為ならなんだってする危険な集団が大量にいるエリアだ。
貴族が立ち入れば身ぐるみを剥がれるだけじゃ済まないだろう。
「待ってシャーロス。ここは…」
「え?どうかしたの?」
そのことにいち早く気づいたレベッカはシャーロスの手を振りほどいて止まる。
逆にシャーロスの腕を掴み、急いできた道を戻ろうとした。
後ろでシャーロスが何か話しているが、今まで触れてこなかった部類の場所にレベッカはこれまでにない程緊張していた。
今までの平民という立場なら別にここまで慌てなかっただろう。しかし今はダメだ。貴族と言う立場はそれほど厄介なのだ。
「ねぇ、そんなに慌ててどうしたの?」
博識だと思っていた弟が世間一般常識に疎いとは、両親は一体どんな教育をしているのか。
まぁその教育方針が狂っていたせいでシャーロスはレベッカの元へ避難してきたのだが。
もう少しでメインストリートに戻れる、その安心感からかレベッカはスピードを緩める。
しかしそのせいで後ろから迫る明確な悪意から逃れる事が出来なかった。
「よぉそこの可愛いお二人さぁ~ん」
「見た感じ良いとこの子じゃん。なんでこんな所来たのかな~」
後ろから声をかけてきたのは如何にもガラの悪い男二人組だった。
身なりはそこそこ整えてはいるようだが、身長に見合わず痩せていることからスラムにいて長い事が推測できる。
無視して進もうか、とレベッカが一歩を踏み出す。しかしいつの間にか目の前にも複数人立っており、完全に道をふさがれてしまった。
「姉さ…」
「黙って」
いまいち状況が理解できていないシャーロスが声をあげようとするが、すぐさま止める。
会話をできるほどの余裕はない。スラム出身にも関わらず身なりを整える事ができるという事は、稼げる仕事を何度もこなしている者たちという事だ。
いつの日かウィルモットを拾った際は相手が一人しかいないため良かったが、今回は人数が多すぎる。
それにまだ子供のシャーロスを庇いながらとなると更に厳しいだろう。
「お兄さん達、怖い顔してどうしたの?私たち、道に迷っただけなのだけど」
「ほーん。まぁ知ったこっちゃねぇ。餓鬼は高く売れるんだ。俺たちと一緒に来てもらおうか」
いつの時代になってもこういった事は減らないのだろうか。
レベッカはコッソリとため息を吐きながら後ろを確認する。
シャーロスは男の発言でようやく理解したのか完全に怯え切ってしまっていた。
どうにか彼だけでも無事に返さないと、今度は家から追い出されそうだ。
レベッカは何処か楽観的な思考をしつつ、辺りを確認した。
上から見張っている人員はおらず、この男たちの最大人数も今ここに居る全員のようだ。
こいつらさえどうにかできれば無事帰ることも夢ではない。
そうと決めたレベッカの行動は早かった。
素早くシャーロスの腕を掴み、風の魔法を利用して空に投げ飛ばしたのだ。
「はっ!?」
全員の視線がシャーロスに釘付けになっているその瞬間を利用し、全員の足元をすべて凍らせる。
動けなくしてしまえばこちらのものだ。急いでシャーロスを回収し、メインストリート目掛けて走った。
しかし急いだ為か魔法が掛かり切っていない者が一人、追いかけてくる。
「よくもやってくれたな…!」
男はシャーロス目掛けて氷の刃を撃つ。その速度は凄まじく、魔法で相殺することは不可能だった。
このままではシャーロスにあたってしまう。あの大きさのものが刺されば命が危ないだろう。
レベッカの体は考えるより先に動いていた。自身に捻りだした炎をまとわせ、前に飛び出たのだ。
本来の実力なら男の魔法など跡形もなく溶かすことが出来たであろうが、咄嗟に出したお粗末なものでは完全に防ぐ事は出来なかった。
男の魔法はサイズが落ちたものの、レベッカの右腕にしっかりと刺さった。
あまりの痛みに思わずしゃがみ込んでしまう。
「姉さん、姉さん!血が、」
「走りなさいシャーロス!早く!」
レベッカは痛みと魔法を使った代償に体がいう事を聞かなくなってきていた。
せめてシャーロスだけでも、とシャーロスに向かって叫ぶが、レベッカの傍から離れない。
「ごめんなさい、ごめんなさい。僕のせいで、ごめんなさい」
「い、まじゃくていいから、後で聞いてあげるから、早く…」
「ヤダよ…。僕、姉さんを置いていくのは嫌だ」
そんな事を言っている間に男はフラフラとよろめきながらもうすぐ傍までやってきていた。
男も魔法を使った反動からか目が虚ろだが、レベッカの状態よりは断然マシだ。
「もう許さねえ。お前らからは一滴残さず搾り取ってやる」
男が再び魔法を使おうと手のひらを広げたその瞬間。
レベッカの目の前には一面赤色が広がった。血だ。男が大量に出血したのだ。
一体何が起こったのか。頭が理解できずにいる。
男は腹がザックリ切れており、致命傷一歩手前といった所だろう。
これを実現することが出来るのは、この状況下では一人しかいなかった。
シャーロスが魔法を使ったのだ。先程レベッカが使った、風の魔法を。
無意識の内に出したのか、シャーロスは自覚が無いようで必死に謝り続けている。
「姉さん、ごめんなさい。僕がここに連れてきたから」
「シャー、ロス」
男が失血により倒れる音を聞いて、ようやく顔を上げたシャーロス。
大量の涙で良く見えないためかいまいち理解できていないようだが、危機が去ったと悟ったシャーロスはレベッカを抱えて急いでメインストリートへ出た。
急いで医者に連れて行くと、出血が酷かっただけで命に別状はないと告げられた。
もう少し遅かったら危なかったが、何とか間に合ったのだ。
シャーロスは安心感からか膝から崩れ落ちる。近くにいた看護師が心配そうに見てくるが、シャーロスは全く気付いていない。
自分が無知なせいで、危うく大事な人を失いかけた。それはシャーロスの心に大きくダメージを与えるには十分な出来事だった。
シャーロスにとって初めてできたお気に入りの人間。そんな人を守れるだけの力をつけなければ。
もっと勉強して、知識をつけて、いつ襲われてもいいように護身術の稽古も積まなければならない。
そして今度こそは守るのだ。
もうこんな過ち、犯したりしない。
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