詐欺師たちの婚活ゲーム
トムさんとナナ
詐欺師たちの婚活ゲーム
## 第一章 完璧な標的
午後三時の銀座カフェ。陽光が差し込む窓際の席で、桜井美奈子は慎重にコーヒーカップを唇に運んだ。今日で三十歳になったばかりの彼女の手には、一切の迷いがなかった。
「失礼いたします」
低く響く男性の声に顔を上げると、そこには写真で見た通りの男性が立っていた。高身長、整った顔立ち、上質なスーツ。婚活アプリのプロフィールに偽りはないようだ。
「田中様ですね。お疲れ様です」
美奈子は完璧な笑顔を浮かべた。この笑顔を作るのに、鏡の前で何時間練習したことか。相手の男性——田中龍一は、三十二歳、外資系金融会社勤務、年収一千二百万円。そして何より重要なのは、両親から受け継いだ都心の不動産を複数所有している点だった。
「こちらこそ。桜井さん、お写真よりもお美しいですね」
龍一が席に座ると、美奈子の心の中で小さなベルが鳴った。お世辞にしては少し軽い。この手の男性なら、もう少し洗練された褒め方をするはずだが……。
「ありがとうございます。田中さんもとても素敵で、お友達にも自慢できそうです」
美奈子は少し頬を染めながら答えた。これは「恥ずかしがり屋だが好意を示している女性」の演技だった。三年間の詐欺師経験で完璧に身につけた技術である。
「お仕事はいかがですか?金融って大変そうですね」
「そうですね、確かに忙しいですが……」龍一は少し困ったような表情を見せた。「実は今日、急に大きな案件が入ってしまって。申し訳ないのですが、一時間ほどでお暇させていただくかもしれません」
美奈子の内心でアラームが鳴り響いた。これは明らかに逃げ道を作っている。つまり、彼女を「つまらない女」と判断すれば、さっさと退散するつもりなのだ。
「お忙しいのに、お時間を作っていただいて恐縮です」美奈子は心配そうな表情を作った。「でも、お仕事第一ですものね。私、そういう男性って素敵だと思います」
龍一の表情がわずかに変わった。計算していたよりも、この女性は理解がある。そして何より、「お仕事第一の男性が素敵」という価値観は、長期的な関係を築く上で都合が良い。
「ありがとうございます。桜井さんは本当に優しい方なんですね」
二人は微笑み合った。そして、それぞれの心の中で同じことを考えていた。
(この人、完璧な標的になりそうだ)
## 第二章 プロの嗅覚
「それで、普段はどのようなお仕事を?」
龍一が尋ねると、美奈子は少し恥ずかしそうに俯いた。
「実は……フリーランスでライターをしているんです。まだまだ不安定で、お恥ずかしい限りなんですが」
これは完全な嘘だった。美奈子の本業は結婚詐欺師。過去三年間で五人の男性から総額三千万円を騙し取っていた。現在の貯金額は二千五百万円。ライターという設定は、「収入が不安定で将来に不安を抱えている女性」を演じるための職業だった。
「ライターですか。それは素晴らしいお仕事ですね」龍一は興味深そうに身を乗り出した。「どのような記事を?」
「主に女性向けの雑誌で、恋愛コラムを……」美奈子は頬を赤らめた。「こんなことしているのに、自分の恋愛は全然ダメで」
龍一は内心で舌を巻いた。これは見事な設定だ。恋愛コラムを書いているが自分の恋愛は上手くいかない——男性の保護欲をくすぐる完璧なキャラクター設定ではないか。
「そんなことないでしょう。桜井さんのような方なら、きっと素敵な方と出会えますよ」
「ありがとうございます」美奈子は嬉しそうに微笑んだ。「田中さんは本当にお優しいんですね。きっと、お仕事でも部下の方から慕われているんでしょうね」
龍一は苦笑した。実のところ、彼にも隠している秘密があった。確かに外資系金融会社に勤務してはいるが、年収は六百万円程度。そして都心の不動産所有も完全な虚偽だった。龍一の本業もまた、結婚詐欺師だったのである。
過去二年間で三人の女性から総額一千八百万円を騙し取り、現在は次のターゲットを物色中だった。そして今日、この美奈子という女性に出会ったのだ。
「部下……そうですね、まあ、なんとか」龍一は曖昧に答えた。「それより、桜井さんはご実家はどちらですか?」
「実家は静岡なんです。両親は小さな旅館を経営していて」美奈子は少し寂しそうな表情を見せた。「でも最近は観光客も減って、正直厳しくて……。だから私も東京で頑張らないと、って思うんです」
これも嘘だった。美奈子の両親は既に他界しており、相続した実家のマンションを売却した資金が詐欺師稼業の元手になっていた。しかし「実家の旅館が苦しい」という設定は、「家族思いの健気な女性」を演出し、同時に将来的に金銭的援助を求める理由にもなる完璧なストーリーだった。
龍一は深く頷いた。
「それは大変ですね。でも、桜井さんのようにしっかりした方がいらっしゃれば、きっとご両親も心強いでしょう」
「そう言っていただけると嬉しいです」
二人は再び微笑み合った。しかし今度は、お互いに少し違う感情が芽生えていた。
美奈子は思った。(この人、思ったよりも優しい。もしかして、本当にいい人なのかしら?)
龍一も考えていた。(彼女、見た目だけじゃなくて、本当に心根の優しい人みたいだ。こんな人を騙すのは……)
そんな二人の心に、小さな罪悪感がちくりと刺さった。
## 第三章 綻び始める計画
それから二週間、二人は順調に関係を深めていった。週末のデート、平日の短時間の食事、毎日の LINE のやり取り。表面的には理想的なカップルの誕生だった。
しかし、お互いに設定を維持するのが想像以上に困難であることが判明してきた。
「美奈子、今度の日曜日、僕の会社の同僚たちとバーベキューがあるんだ。一緒に来てもらえるかな?」
龍一からの提案に、美奈子は内心で慌てた。同僚との集まりとなると、彼の職業についてより詳しく話さなければならない。そして何より、金融業界の人間と話をすれば、自分の知識不足がバレる可能性が高い。
「素敵ですね!でも……」美奈子は困ったような表情を作った。「実は日曜日、実家から連絡があって、旅館の手伝いに帰らなければならないかもしれないんです」
「そうか……それは仕方ないね」龍一はホッとした表情を隠せなかった。実のところ、そんなバーベキューは存在しなかった。美奈子の反応を見るための嘘だったのだが、彼女が来られないとなると、存在しないイベントの設定を考える必要がなくなる。
「でも、来週の土曜日はどうかな?今度は二人でゆっくり……」
「もちろんです!」美奈子は嬉しそうに答えた。しかし内心では計算していた。(そろそろ、もう少し深い関係に持ち込まないと。でも急ぎすぎると疑われる……)
その夜、美奈子は自宅で作戦を練り直していた。壁に貼られた龍一の写真と、彼から聞き出した情報をまとめた資料を見つめながら、彼女は少し複雑な気持ちになっていた。
確かに龍一は最初の想定通り、資産を持つ男性のようだった。外車に乗り、高級レストランでの食事代も当然のように支払う。しかし、金銭的な面以外でも、彼と過ごす時間が楽しいと感じている自分がいた。
「まずいわね……」
美奈子は呟いた。プロの詐欺師として最もやってはいけないことは、標的に本当の感情を抱くことだった。
一方、龍一も自宅で同じような作業をしていた。美奈子についての情報をノートにまとめながら、彼もまた複雑な心境だった。
美奈子は確かに理想的な標的だった。実家が苦しいという事情があり、収入も不安定。そして何より、純粋で騙しやすそうだった。しかし、彼女の笑顔や、時折見せる寂しそうな表情に、龍一は予想以上に心を動かされていた。
「これはまずいな……」
龍一も同じ言葉を呟いていた。
## 第四章 思わぬ誤算
土曜日の夜、二人は龍一の提案で高級ホテルのバーで食事をすることになった。美奈子は念入りに服装を選び、いつもより少し大胆なドレスを着用した。今夜こそ、関係を次の段階に進める予定だった。
「今夜は素敵な場所を選んでくださって、ありがとうございます」美奈子はワイングラスを傾けながら言った。
「君にふさわしい場所を、と思って」龍一は微笑んだ。しかし内心では、この高級ホテルの請求書を考えて冷汗をかいていた。外資系金融マンの演技のため、彼は自分の実際の収入を大幅に超える出費を続けていた。
「実は……」美奈子は少し恥ずかしそうに俯いた。「こんなに素敵な方と出会えるなんて、夢みたいです。もしかして、私、夢を見ているんじゃないかって」
龍一の胸がきゅっと締め付けられた。これは計算された台詞のはずなのに、なぜか本物の感情が込もっているように聞こえた。
「僕の方こそ、美奈子に出会えて本当に幸せだ」
龍一が彼女の手を取った瞬間、美奈子の心臓が跳ね上がった。これは演技のはずなのに、なぜこんなにも心が動くのだろう。
「龍一さん……」
「美奈子……」
二人が見つめ合った時、突然バーの入り口が騒がしくなった。
「龍一!こんなところにいたのか!」
聞き覚えのない男性の声に、龍一は血の気が引いた。振り返ると、そこには彼の元同僚——本物の外資系金融マンの佐藤が立っていた。
「佐藤……」龍一は慌てて立ち上がった。
「紹介してくれよ。こちらの美しい女性は?」佐藤は美奈子に向かって笑いかけた。
美奈子は瞬時に状況を理解した。この男性は龍一の本当の同僚のようだ。つまり、龍一の職業についてより詳しく知っている人物ということになる。
「こちら、桜井美奈子さんです」龍一は必死に冷静を装った。「美奈子、こちらは佐藤です」
「初めまして」美奈子は完璧な笑顔で挨拶した。
「龍一のやつ、こんな美人と付き合ってるなんて隠してたのか!」佐藤は龍一の肩を叩いた。「ところで龍一、例の転職の件はどうなった?新しい会社は決まったのか?」
龍一の顔が青ざめた。美奈子は瞬時に悟った。転職?つまり、彼は現在無職の可能性がある。
「あ、ああ……まだ決まってないよ」龍一は曖昧に答えた。
「そうか。まあ、君なら大丈夫だと思うけど。不動産でも持ってるし」佐藤は笑った。「あ、でも確か君の実家のマンション、売却したんだっけ?」
美奈子の心の中で、何かが崩れ落ちる音がした。転職活動中で、不動産は売却済み。つまり龍一は現在、定職も資産もない状態ということになる。
「佐藤、ちょっと……」龍一は佐藤を別の場所に連れて行こうとした。
「あ、ごめんごめん。お邪魔しちゃった?」佐藤は手を上げた。「じゃあ、ゆっくり楽しんで。美奈子さん、龍一をよろしくお願いします。根はいいやつなんで」
佐藤が去った後、二人の間に重い沈黙が流れた。
「美奈子……その……」龍一が口を開きかけた時、美奈子が先に話し出した。
「実は私も、お話ししなければならないことがあるんです」
龍一は驚いて美奈子を見た。
「私……実はライターじゃないんです」美奈子は深呼吸した。「そして、実家の旅館も……存在しません」
龍一の目が見開かれた。
「君も……」
「はい」美奈子は苦笑した。「私も、嘘をついていました」
## 第五章 真実の始まり
二人はホテルのバーを出て、近くの小さな公園のベンチに座っていた。十二月の夜風が冷たく頬を撫でていく。
「それで……君の本当の職業は?」龍一が恐る恐る尋ねた。
美奈子は長い間沈黙した後、ぽつりと答えた。
「結婚詐欺師です」
龍一は思わず噴き出しそうになった。
「君も?」
「え?」美奈子は驚いて龍一を見た。
「僕も……同じです」龍一は苦笑した。「結婚詐欺師」
二人は顔を見合わせて、突然笑い出した。なんという皮肉な状況だろう。詐欺師が詐欺師を騙そうとして、お互いに騙されていたのだ。
「信じられない……」美奈子は笑いながら呟いた。「私たち、何をやってたのかしら」
「本当に……」龍一も笑いが止まらなかった。「お互いに『完璧な標的』だと思っていたのに」
しばらく笑った後、二人は改めて向き合った。
「それで……今度は本当のことを話しましょうか」美奈子が提案した。
「そうですね」龍一は頷いた。「僕から話します。本名は田中龍一で合ってます。年齢も三十二歳。でも職業は……元々は小さな商社で営業をしていました。二年前にリストラされて、それから……この仕事を始めました」
美奈子は静かに聞いていた。
「外資系金融の話も、都心の不動産も、全部嘘です。今は狭いワンルームマンションに住んでいます」龍一は自嘲的に笑った。「情けない話ですが、これが本当の僕です」
美奈子は龍一の手を握った。
「私の番ですね」美奈子は深呼吸した。「本名は桜井美奈子、三十歳。両親は五年前に事故で亡くなりました。相続したマンションを売ったお金で生活していましたが、それも底をつきそうになって……三年前からこの仕事を始めました」
龍一は美奈子の手を握り返した。
「ライターの話も、実家の旅館も全部嘘。本当は……本当は、普通の恋愛がしたかっただけなんです」美奈子の目に涙が浮かんだ。「でも、いつしか人を騙すことしかできなくなって……」
「美奈子……」
「あなたと過ごした時間は、本当に楽しかった」美奈子は涙を拭いた。「最初は標的としてしか見ていなかったけれど、だんだん本当に好きになってしまって……こんなこと、プロとして最低ですよね」
龍一は美奈子の頬に手を添えた。
「僕も同じです。君を騙そうとしていたのに、いつの間にか本気になってしまった」龍一は優しく微笑んだ。「君の笑顔を見ていると、嘘をついている自分が嫌になった」
「私たち、どうしましょう」美奈子は困ったように笑った。「詐欺師同士の恋愛なんて、聞いたことないわ」
「確かに……」龍一も苦笑した。「でも、少なくとも今度は嘘はなしにしませんか?お互いに、本当の自分を見てもらいましょう」
美奈子は頷いた。
「そうですね。もう嘘はつきたくない」
## 第六章 新しいスタート
翌週、龍一は美奈子を自分のワンルームマンションに招いた。六畳一間の狭い部屋は、確かに外資系金融マンの住まいとは程遠かった。
「本当に狭くて……恥ずかしいです」龍一は申し訳なさそうに言った。
「でも、きちんと片付いているし、居心地がいいわ」美奈子は部屋を見回した。「それに、これが本当のあなたの生活なのでしょう?私は好きよ」
龍一は安堵の表情を浮かべた。
「今日は手料理を作ってみました」龍一はキッチンに向かった。「といっても、パスタくらいしか作れませんが……」
「手料理なんて、久しぶり」美奈子は嬉しそうに言った。「私も手伝います」
二人で作る簡単なパスタは、高級レストランの料理よりもずっと美味しく感じられた。
「龍一さん」美奈子がワイングラスを置いて言った。「私たち、これからどうしましょう?」
「どうしましょうって?」
「お仕事のことです」美奈子は真剣な表情になった。「このまま詐欺師を続けるわけにはいかないでしょう?」
龍一は頷いた。
「そうですね。実は最近、真面目に転職活動を始めました」龍一は少し恥ずかしそうに言った。「年齢的に厳しいかもしれませんが、もう一度まっとうな仕事に就きたいと思って」
「私も同じことを考えていました」美奈子は微笑んだ。「実は、本当にライターの勉強を始めたんです。嘘の設定だったけれど、やってみたら意外と向いているかもしれなくて」
「それは素晴らしい」龍一は美奈子の手を取った。「お互いに、新しいスタートを切りましょう」
「でも……」美奈子は不安そうな表情を見せた。「私たち、お互いを騙そうとしていた仲ですよ?こんな関係で、本当に上手くいくのでしょうか?」
龍一は少し考えてから答えた。
「確かに、普通の出会いではありませんね」龍一は苦笑した。「でも、お互いの嘘も、本当の姿も知っている。これって、ある意味では理想的な関係かもしれません」
「どういうこと?」
「普通のカップルは、相手の欠点や暗い過去を知って、それを受け入れられるかどうかで関係が決まる」龍一は真剣な目で美奈子を見た。「でも僕たちは、最初から最悪の部分を知っている。それでも惹かれ合っているなら、きっと本物です」
美奈子の目に再び涙が浮かんだ。
「龍一さん……」
「美奈子、僕と付き合ってください」龍一は改めて美奈子の両手を取った。「今度は嘘偽りなく、本当に」
美奈子は涙を流しながら頷いた。
「はい……喜んで」
## 第七章 変化する日常
それから三ヶ月が経った。二人の生活は劇的に変化していた。
龍一は中小企業の営業職に転職が決まり、収入は以前の詐欺師時代より大幅に減ったが、安定した生活を送れるようになった。美奈子も女性向けWebメディアでライターとしての仕事を始め、少しずつ実績を積んでいた。
「おかえりなさい」美奈子は龍一のワンルームマンションで夕食の準備をしていた。正式に同棲を始めて一ヶ月になる。
「ただいま」龍一は疲れた表情を見せながらも、美奈子を見ると自然と笑顔になった。「今日はどうだった?」
「新しい記事の依頼が来たの」美奈子は嬉しそうに報告した。「『元詐欺師が語る、婚活で気をつけるべき男性の特徴』っていう企画なの」
龍一は思わず吹き出した。
「君にしか書けない記事だね」
「そうよね」美奈子も笑った。「経験者だからこそ書ける内容があるのよ」
二人で食事をしながら、美奈子が真剣な顔になった。
「龍一さん、最近気づいたことがあるの」
「何?」
「私たち、詐欺師をやってた時より、ずっと幸せよね」美奈子は穏やかに微笑んだ。「お金は少ないし、部屋は狭いし、贅沢もできないけれど……」
「でも心は軽い」龍一が続けた。「嘘をつかなくていいって、こんなに楽なんだね」
「そうなの。毎日が本当に楽しい」美奈子は龍一の手を握った。「あなたと出会えて、本当によかった」
「僕もです」龍一は美奈子の手に口づけした。「君がいなかったら、僕はまだあの生活を続けていたかもしれない」
その時、美奈子の携帯電話が鳴った。
「もしもし?」美奈子が電話に出ると、相手は以前のターゲットだった男性だった。
「桜井さん、お久しぶりです。実は……まだあなたのことが忘れられなくて」
美奈子は龍一を見た。龍一は心配そうな表情をしている。
「申し訳ありませんが」美奈子ははっきりと答えた。「私には今、大切な人がいます。もう連絡はしないでください」
電話を切ると、龍一がほっとした表情を見せた。
「大丈夫だった?」
「ええ」美奈子は微笑んだ。「もう過去は過去よ。私には今があるもの」
## 第八章 小さな奇跡
半年が経った頃、二人にとって大きな出来事が起こった。
「美奈子、大変だ!」龍一が興奮しながら帰宅した。
「どうしたの?」美奈子は驚いて振り返った。
「僕の記事が、雑誌に掲載されることになったんだ!」
「記事?」
実は龍一も、美奈子に影響されて副業でライターの仕事を始めていた。営業の経験を活かした、ビジネス系の記事を書いていたのだ。
「『元詐欺師が教える、相手の本音を見抜く営業術』っていう企画でね」龍一は嬉しそうに説明した。「編集者の人が、『この視点は斬新だ』って褒めてくれたんだ」
美奈子は飛び上がって龍一に抱きついた。
「すごいじゃない!私も負けていられないわね」
「君のおかげだよ」龍一は美奈子を抱きしめた。「君がライターになるのを見て、僕も挑戦してみようと思ったんだ」
「私たち、意外といいコンビなのかもしれないわね」美奈子は楽しそうに言った。
「そうだね」龍一は少し真剣な表情になった。「美奈子、実は考えていることがあるんだ」
「何?」
「僕たちの経験を活かした、婚活コンサルティングとか……どうかな?」
美奈子は目を見開いた。
「婚活コンサルティング?」
「そう。僕たちは騙す側だったから、騙されないための方法がよくわかる」龍一は熱心に説明した。「本当に良い人と悪い人の見分け方、相手の本音を探る方法、危険な相手の特徴……実体験に基づいたアドバイスができる」
美奈子は少し考えてから、パッと顔を輝かせた。
「それって、素晴らしいアイデアかもしれない!」
「本当に?」
「ええ。私たちにしかできないことよ」美奈子は興奮してきた。「元詐欺師だからこそ伝えられる、本当に役立つ情報があるわ」
二人は夜遅くまで、新しい事業について話し合った。過去の罪を償う意味でも、同じような被害者を出さないよう貢献したいという気持ちが強くあった。
## 第九章 過去との向き合い
新しい事業の準備を進める中で、二人は避けて通れない問題に直面した。
「美奈子」龍一がある日、深刻な表情で切り出した。「僕たち、過去の被害者の人たちに、謝罪すべきじゃないだろうか」
美奈子は手を止めて龍一を見た。
「それは……考えていたわ」美奈子は重い口調で答えた。「でも、今更現れて謝罪したところで、かえって傷つけてしまうかもしれない」
「それでも……」龍一は迷いながら言った。「少なくとも、騙し取ったお金は返すべきだと思う」
美奈子は長い間沈黙した後、頷いた。
「あなたの言う通りね。お金を返すことはできても、傷つけた心は元に戻らないけれど……それでもやるべきことよ」
二人は弁護士に相談し、過去の被害者たちへの返済計画を立てた。全額を返済するには数年かかる見込みだったが、二人は真剣に取り組むことを決めた。
最初の被害者への返済の日、美奈子は極度に緊張していた。
「大丈夫よ」龍一が美奈子の肩を抱いた。「一緒にやろう」
被害者の男性——山田さんは五十代の温厚そうな男性だった。美奈子から三百万円を騙し取られていた。
「桜井さん……」山田さんは美奈子を見て複雑な表情を浮かべた。
「山田さん、本当に申し訳ありませんでした」美奈子は深く頭を下げた。「今日は、せめてお金だけでもお返ししたくて……」
美奈子は封筒を差し出した。中には三百万円の小切手が入っていた。
山田さんは驚いて封筒を見た。
「全額……ですか?」
「はい。利息もつけさせていただきました」美奈子は涙を流しながら答えた。「お金では済まないことは分かっています。でも……」
山田さんは長い間、美奈子を見つめていた。
「桜井さん」山田さんがようやく口を開いた。「正直に言うと、あなたを恨んでいました。でも今日、こうして来てくださって……」
山田さんの目にも涙が浮かんでいた。
「人は変われるんですね」山田さんは優しく微笑んだ。「あなたが本当に反省して、新しい人生を歩もうとしているのがわかります」
「山田さん……」
「お金は受け取ります。でも、恨みはもう忘れましょう」山田さんは美奈子の手を握った。「あなたも、幸せになってください」
美奈子は声を上げて泣いた。
## 第十章 新たな門出
一年半が経った。二人は他の被害者への返済も順調に進め、新しい事業「True Love Consulting」も軌道に乗り始めていた。
「今日の相談者はどんな方?」龍一が美奈子に尋ねた。
「三十五歳の女性で、婚活アプリで知り合った男性が怪しいって相談」美奈子は資料を見ながら答えた。「写真がイケメンすぎるのと、プロフィールが完璧すぎるのが気になるって」
「ああ、それは確かに怪しいね」龍一は苦笑した。「僕たちがよく使った手法だ」
相談者の田村さんは、不安そうな表情で二人の事務所を訪れた。
「お忙しい中、ありがとうございます」田村さんは緊張しながら挨拶した。
「いえいえ、こちらこそ」美奈子は穏やかに微笑んだ。「まず、相手の方の情報を詳しく教えてください」
田村さんから話を聞くうちに、龍一と美奈子は顔を見合わせた。相手の男性の手口は、明らかに結婚詐欺師のものだった。
「田村さん」龍一が真剣な表情で言った。「率直に申し上げると、その男性は結婚詐欺師の可能性が高いです」
田村さんは青ざめた。
「やっぱり……」
「でも、今気づけてよかったです」美奈子が優しく声をかけた。「私たちがサポートしますから、大丈夫ですよ」
三時間のコンサルティングの後、田村さんは安堵の表情を浮かべて帰っていった。
「また一人、被害を防げたわね」美奈子は満足そうに言った。
「うん」龍一も嬉しそうだった。「こういう時、この仕事を始めてよかったって思う」
夕方、二人は近所の公園を散歩していた。桜の季節で、薄紅色の花びらが舞い散っている。
「龍一さん」美奈子が立ち止まって振り返った。
「何?」
「私たち、いつの間にか普通のカップルになったわね」美奈子は笑った。
「普通……かな?」龍一は首をかしげた。「元詐欺師カップルが経営する婚活コンサルティング会社って、普通とは言えないような」
「確かに」美奈子は大笑いした。「でも、毎日が充実してる。嘘のない生活って、こんなに素晴らしいのね」
龍一は美奈子の手を取った。
「美奈子」
「何?」
「結婚しよう」
美奈子は驚いて龍一を見た。
「え?」
「君と結婚したい」龍一は真剣な目で美奈子を見つめた。「今度は本物の結婚を」
美奈子の目に涙が浮かんだ。
「でも私たち、元詐欺師よ?こんな私たちが結婚なんて……」
「だからこそだよ」龍一は美奈子の頬に手を添えた。「お互いの過去も、弱さも、全部知っている。それでも愛し合っている。これ以上確かなものはないと思う」
美奈子は涙を流しながら頷いた。
「はい……ぜひ、お願いします」
## エピローグ 本物の愛
二年後の春。小さな教会で、美奈子と龍一の結婚式が行われていた。参列者は多くなかったが、二人にとって大切な人たちが集まっていた。
「新郎新婦の皆様は、お互いを人生のパートナーとして受け入れることを誓いますか?」
牧師の問いかけに、二人は声を揃えて答えた。
「誓います」
会場からは温かい拍手が響いた。参列者の中には、過去に二人が謝罪した被害者の何人かも含まれていた。彼らは二人の真摯な謝罪と、その後の誠実な行動を見て、二人を許し、祝福してくれたのだった。
「新郎新婦による誓いの言葉です」
美奈子が前に出た。
「龍一さん」美奈子は涙を浮かべながら話し始めた。「あなたと出会った時、私は人を騙すことしか知らない、心の冷たい女でした。でもあなたは、そんな私の中にある本当の心を見つけてくれました」
会場の人々は静かに聞き入っている。
「これからは、嘘のない本当の愛で、あなたを支えていきます。私と結婚してくれて、ありがとう」
次に龍一が前に出た。
「美奈子」龍一の声は少し震えていた。「僕も君と同じで、人を騙すことで生きてきた。でも君と出会って、本当の愛の素晴らしさを知った」
龍一は美奈子の手を取った。
「君がいなかったら、僕は今でも嘘の人生を生きていただろう。君こそが、僕の人生を救ってくれた。これからは、君と一緒に本物の人生を歩んでいきたい」
二人はキスを交わし、会場は祝福の拍手に包まれた。
披露宴で、二人の友人がスピーチをした。
「新郎新婦は、確かに普通とは違う出会いをしました」友人は笑いながら話した。「でも、彼らほどお互いを深く理解し合っているカップルを、私は他に知りません」
「彼らは過去の過ちを真摯に受け止め、それを乗り越えて新しい人生を築きました。そして今では、多くの人を幸せにする仕事をしています」
会場の人々は頷きながら聞いている。
「本当の愛とは、相手の完璧な部分だけでなく、欠点や過去の過ちも含めて愛することだと思います。新郎新婦は、まさにそれを実践しているのです」
拍手が響く中、美奈子と龍一は手を握り合った。
その夜、新婚旅行先のホテルで、二人は窓から夜景を眺めていた。
「信じられないわね」美奈子は龍一の腕の中で呟いた。「私たちが本当に結婚するなんて」
「本当にね」龍一は美奈子の髪に顔を埋めた。「あの時、君を騙そうとしていた自分が馬鹿みたいだ」
「私も同じよ」美奈子は振り返って龍一を見つめた。「でも、あの出会いがなかったら、今の私たちはないのよね」
「そうだね」龍一は微笑んだ。「運命って、不思議なものだ」
「これから、どんな人生になるのかしら」美奈子は少し不安そうに言った。
「大丈夫」龍一は美奈子を抱きしめた。「もう嘘をつく必要はない。お互いに本当の自分でいられる。これ以上の幸せはないよ」
美奈子は安心したように微笑んだ。
「そうね。今度は本物の愛で、本物の人生を歩んでいきましょう」
窓の外では、街の明かりが美しく輝いていた。二人の新しい人生が、今始まろうとしていた。
かつて人を騙すことで生きてきた二人の詐欺師が、お互いを騙そうとして出会い、そして本物の愛を見つけた。皮肉で滑稽で、そして何よりも美しい物語。
True Love Consultingの看板には、小さく刻まれた言葉があった。
「真実の愛は、最も意外な場所に隠れている」
そして二人は、その言葉を証明する生きた証拠として、これからも多くの人々の恋愛を支援していくのだった。
嘘から始まった恋が、最も真実な愛になった。これ以上の奇跡があるだろうか。
—完—
詐欺師たちの婚活ゲーム トムさんとナナ @TomAndNana
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