春、微笑む、エンドレス
上着が手放せない。冬を越えても、まだ寒い。太陽が昇る時間が酷く遅く、沈むのは早い。もう、地球の寿命がすっかり近いらしい。
道を歩く人々の顔には生気がなく、ただ生かされているから生きているに過ぎないようだった。きっと俺も、彼女がいなければそうなっていたのだろう。
冬と同じ厚着のまま、彼女は自転車を漕いでいる。風に飛ばされないような大きな声で、特に興味も湧かない昨夜の兄妹喧嘩を語って聞かせてくる。前を向けと、何回言ったかわからない言葉を彼女の横顔にぶつけ、俺は遠く先を見た。どこに行くか、まだ聞かされていない。
「何が見たい?」
「わかんない」
楽しそうに、彼女が言った。てっきり桜でも見たがるかと思ったが、そういうわけではないらしい。
「そっちは? 何が見たい?」
赤信号で動きを止める。彼女の後ろで、信号無視の車が交差点を横切った。
俺は何が見たいのだろう。この終わりかけの世界で、何を見たいと思えるのだろう。燃える車体に視線を移した彼女の肩を叩き、道を変える。そういえば桜なんて、河川敷にいくらでも咲いているのだからわざわざ見に行く必要もない。
「何も思いつかない。目的地決めないで、ただ走るだけでいいんじゃねえの?」
ごう、と風が吹いた。彼女に声が届いたかどうかわからない。返事をしない背中にもう一度同じ言葉を投げかけようとしたが、ちらりと振り返った彼女が無邪気に笑った。
「桜の花びらが鼻に当たったの」
聞こえていなくてもいいと思った。そういうつもりはなかったが、何を目的にして行動しなくても、彼女となら適当に走るだけでもいいと思ってしまった。興味のない話しや急に飛ぶ話しの主旨も、不思議と嫌じゃないから。
「そろそろね、最後を考えようと思ってね」
広い道に出て、彼女の隣に並ぶ。しばらくぶりに見た気がする彼女の少し真剣な表情に、冷やかしよりも先に相槌が零れた。
最後、最期。どっちも当てはまるだろう。最後の日に見る景色を、そろそろ考えたいのだろう。
「いいんじゃねえの、なんでも。死んだらどうせ、忘れるだろうし」
「忘れないよ。死んだ後くらい、自由でいたいじゃない」
「今も充分、自由に好き勝手やってると思うぞ」
高い笑い声が耳を劈いた。乱れ始めた世界の中でも、俺と彼女だけがいつも通りだった。それを嬉しいと感じている自分がいることに、ようやく気が付いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます