第4話【異端の影】
実習を終えたアレサたちは、しばらく平和な日々を過ごしていた。
毎日の観測をこなしながら、ハンナの授業を受ける。
流れ星のことは星読みたちの間で調査が進んでいるらしいが、候補生であるアレサたちにその詳細は知る由もない。
目下、アレサたちにとって重要なのは、目前に迫っている試験のことだった。
これまでは、筆記試験を中心に操船などの実技を問われる試験が主だったが、実習を終えたならばいよいよ実践的な内容が試験に含まれるようなる。たいていの候補生は、ここで大きく足止めを食らうことになる。
「あ、だめだ。お腹痛くなってきた」
資料の山を前に、アレサは沈痛な面持ちで腹を押さえた。
試験期間になると解放される資料室では、候補生たちがおのおの試験対策をしている。
アレサたちも数日前から資料室にこもり、試験対策をしていた。
「この程度で何言ってんのよ。あなた、この前の試験でもギリギリだったんだからね」
シンシアに星読みの歴史を解説していたクラリスが、呆れたようにため息をついた。
クラリスの指導を受けているシンシアは、明らかに頭から湯気を噴いている。
「複雑すぎて全く頭に入らないです。クラリスさんの頭の中は一体どうなってるんですか、もー」
「いや、私はあなたたちの頭の仕組みのほうが理解できないけど……なんで何回も同じ事を忘れちゃうわけ?」
クラリスは呆れるというよりも、いっそ恐ろしいものでも見るような目でふたりを見る。
試験のときは、いつもクラリスがヤマを張ってくれて、アレサとシンシアはその内容を必死に頭に叩き込んで試験を突破している。ふたりの面倒を見ている分、クラリスは自分の勉強時間を犠牲にしているはずなのに、成績はいつもトップだった。
クラリスいわく、人に教えることは自分の理解を深めることになるから良いという話だったが、アレサとシンシアにしてみればクラリスは十分に化け物じみている。
「今日はこのくらいにして、息抜きに操船訓練でもしましょうか」
「あ、賛成でーす」
シンシアは突然元気を取り戻し、勢いよく立ち上がる。シンシアは操船が得意だからだろう。
操船技術も赤点ギリギリのアレサにしてみれば、それは息抜きとはいえない。それでも、こうして資料とにらめっこして息が詰まるよりはずっとましだろう。
「そうだね、行こうか」
アレサたちは資料を片付け、事務室で操船訓練の許可をもらう。
操船訓練は実際に船で星の海に出る関係上、候補生たちは自由に行うことができない。誰がいつ船を使用しているのか、出る時間と戻る時間も厳密に管理されている。
最初のうちは監督官の立ち合いも義務付けられているのだが、アレサたちはもう監督官の立ち合いなしで訓練できる。
事務室に預けてある櫂を受け取り、3人は連れ立って岸に向かった。
「それじゃ基本の動きからね」
船の点検を終え、星の海に漕ぎ出したクラリスが手本を見せる。
候補生とは思えない巧みな櫂さばきで舟を操り、前進、旋回、停止、逆旋回、再び停止までの一連の流れをさらりとこなしてみせた。不慣れなものがやると櫂の動きが大きくなったり船が揺れて不安定になるが、もちろんそんなことはしない。
「よっ、と」
続いてシンシアが船を操作する。
シンシアの操船は、トップのクラリスと比べても全く遜色のない見事なものだった。もともと勘所が良いのか、最初に操船訓練を始めたときはクラリスよりもうまかったほどだ。そんな天才肌のシンシアですら、本気で訓練を重ねたクラリスにはもうかなわない。
「ふたりともすごいなぁ」
ふたりに遅れて船を進めるアレサは、振り返って笑顔で手を振るシンシアを見ながらしみじみとつぶやく。
残念ながら、操船中のアレサに手を振り返す余裕は全くない。不安定に揺れる船のバランスを必死に取りながら、おぼつかない手つきで櫂を操る。それはお世辞にも櫂さばきなんていえる代物ではなく、見るからに危なっかしい。
目標地点に着き、船を停めたアレサたちは腰を下ろして少し休憩をする。
「いったぁ」
アレサは両掌に息を吹きかける。クラリスとシンシアの両手はきれいだが、アレサの両手にはいくつものタコがある。今日も新しいマメができてつぶれていた。
これは努力の証というより、どちらかというと櫂さばきが未熟な証として、候補生の間では恥ずかしいものとして扱われる。
「大丈夫ですか? 見せてください」
シンシアが自分の船から身を乗り出し、アレサの両手を見る。
「あー、これは後で医務室に行かないとですね。放っておくと悪くなっちゃいます」
「櫂を大げさに動かしすぎなのよ。もっと海を掴んで櫂を動かせば、そんな風に力まなくても船は動くわ」
「まあ、コツがいるかもしれませんね。私は何となくでやってるので、うまく説明できませんけど。参考にならなくてごめんなさい」
「ううん、私がどんくさいだけだから」
アレサはばつが悪そうに愛想笑いを浮かべる。
こればかりは数をこなして体に覚えさせるしかない。船も満足に操れないようでは、星読みなんて夢のまた夢だ。
クラリスとシンシアがずば抜けているだけで、アレサの操船はほかの候補生に比べて特別ひどいわけではない。あくまでふたりが例外というだけの話だ。
「あ、星読みが船を出してる。誰だろう」
「どこ?」
アレサの視界の端に、小さく星読みの船が映った。しかし、あまりにもそれは遠く、アレサの視線の先を追ったクラリスには見えていない様子だった。
「ほら、あそこ」
「全然見えないですね」
アレサは指をさすが、シンシアも目を細めているものの、船の姿は見えないようだった。
「あ、見えた。あれがすぐに見えるって、いったいどんな視力してるのよまったく」
目を細めていたクラリスが、呆れたように言う。
「観測道具なしにあの距離の船をすぐに見つけられるのは、本当にすごいですよ」
「そうかな? よくわかんないけど」
幼少期から夜空の観測を習慣にしているアレサの視力は、実のところ観測道具を必要としないほどに優れている。観測道具を使ったほうがより正確な観測を行えるから使っているだけで、並の異常ならば十分に肉眼で観測できる。
当然だが、観測道具は必要だから存在している。普通は、観測道具なしに肉眼で星の異常をとらえることはできない。
「でも、近くに寿命を迎えそうな星はなさそうだけど」
「寿命が近い星は明度が低いから、さすがにここからは見えないんじゃない?」
「そうなのかな?」
クラリスの意見は妥当なものだが、アレサはどうにも胸騒ぎがした。
星読みの船は、とある星の近くに停まった。クラリスとシンシアの目ではすでに見えない距離だが、アレサの目にはかろうじてその姿が見えていた。アレサはさらに目を凝らす。
まだ健康な星に、星読みがゆっくりと手を伸ばす。次の瞬間に起こった出来事に、アレサは我が目を疑った。
星読みはその手で掴んだ星を、まるで握りつぶすかのように消滅させてしまった。
――いやだ、助けて!
その瞬間、今までとは比べ物にならないほどの絶叫、いや、断末魔がアレサの耳を激しく打った。
「星を、消してる?」
アレサは耳を押さえ、表情をゆがませながらつぶやいた。
「は?」
アレサの言葉に、クラリスは素っ頓狂な声を上げた。
「今、なんて?」
「あの星読み、まだ明るかった星を消した。ものすごい悲鳴が聞こえた」
「いやいやいや、ありえないですよ」
シンシアが勢いよく首を振る。
アレサもそれがありえないことだと理解していた。星読みが寿命を迎える前の星を自ら消滅させるなんてことはありえない。もちろん、それができることは知っている。ただ、できるということと実際にやるということの間には大きな隔たりがある。
星読みが星を消すことが許されているのは、寿命を正しく迎えられない星を送り出すためだ。流れ星になって落ちる前に、正しく輪廻に還すための力だ。
「見間違い……じゃないわよね、アレサに限って」
「ええ、たぶん」
クラリスは爪を噛み、シンシアもうなずいた。ふたりとも、アレサの観測を誰よりも間近で見続けている。その眼には絶対の信頼を寄せているのだろう。
「どうしよう、どうしたら良い?」
星読みは船を動かし、さらに遠くの闇へと消えていく。追いかけようにも、もうアレサたち候補生が岸から離れることを許されている限界距離が近い。
「戻って先生に報告しましょう。それに、ほかの誰かが観測しているかもしれない」
「たぶん、観測時間の隙間を狙うんじゃないでしょうか」
正規の星読みならば、誰がどの時間にその区域の観測をしているのかは把握している。候補生たちがその都度届け出ているからだ。加えて、今は試験期間中なので持ち回りで担当しているが、いつもならアレサが四六時中観測室に張り付いているので、この区域の観測時間に隙間はない。
しかし、それはアレサが異常なだけであって、普通なら星の観測はせいぜいが日に数度だ。
「アレサが訓練で観測室にいないからってこと? それじゃあまるで……」
「たまたまじゃないってこと、ですよね」
シンシアも自分の言葉に思わず青ざめる。
あの星読みは、アレサたちがここで訓練していること自体は知っていたはずだ。ただ、アレサの目のことは知らなかった。まさかこれほど離れた距離で【犯行】を見られるとは思っていなかったのだろう。
「ねえ、私、どうしたら」
アレサは自分自身を抱きしめる。そうしていないと、体の奥底から湧き上がる震えで舟から落ちてしまいそうだった。奥歯が震え、かすかな音が口元からこぼれる。
「……戻りましょう。私たちの手に負える問題じゃない」
「でも、あの星読み、岸から離れて行った。もしかしたらこの後も」
アレサは言ってから、嘔吐感に口を手でふさぐ。その後の言葉は続けられなかった。あまりにも恐ろしすぎる。
「だとしても、今の私たちにできることは何もない。私たちに果たせる責任を果たすべきよ」
「そうですね、戻りましょう。私、アレサさんを曳航します」
「シンシアなら安心ね。私は先に戻って先生を探しておく」
そう言って舟を漕ぎだしたクラリスは、思い出したように振り返る。
「せめて落っこちないようにちゃんと捕まってなさいよ、アレサ」
「そこまでドジじゃないよ」
アレサが言い返すと、クラリスは口の端を上げて鼻を鳴らし、岸に戻って行った。
シンシアは手慣れた様子で自分の船とアレサの船を繋ぎ、ゆっくりと漕ぎ出す。
アレサが操船するよりもずっと快適だった。これなら、自分で漕ぐほうがよほど転落の心配がある。
「揺れますか? すいません、曳航はあんまり練習してなくて」
「ううん、すごく快適だよ。自分で漕ぐよりずっと」
あまりにもひねた言葉が口からこぼれて、アレサはハッとした。
あわててシンシアのほうを見るが、前を見て操船しているシンシアの背中しか見ることができない。
「ごめん、私、そんなつもりじゃ。シンシアの操船は本当にすごいって素直に思ってて、それに比べて私は……」
唐突にアレサの両目から涙があふれた。そんなつもりは全くなかった。それなのに自分を卑下する言葉が止まらない。
「あれ? おかしいな、どうして私、こんなこと……だめだ、止まんないや。かっこ悪いよね、私。シンシアより年上なのにさ」
両手で乱雑に涙を拭う。つぶれた豆だらけの手のひらに涙がしみた。
「かっこ悪いです」
シンシアが背中越しにはっきりと言う。
アレサは膝を抱え、深くうなだれた。
「私、クラリスさんみたいに賢くないからうまく言えません。だから、せめて正直に言うことにします。私、アレサさんのこと、かっこ悪いしどんくさいと思ってます。だけど、それ以上に尊敬してます。星の観測なんて、私にとってはあんまりおもしろくないことです。だけど、アレサさんは誰よりも情熱を持ってその役目をしている。それは簡単なことじゃありませんし、誰にもまねできない、特別なことです。その目も、その耳も、誰よりも星に寄り添うアレサさんだからきっと授かったんだと私は思います。だから……」
シンシアの声に湿り気が混じり、櫂を握る手が震える。
「だからそんな風に自分のことを言わないでください。私が大好きなアレサさんを、バカにしないでください」
アレサの胸に、温かいものが広がっていく。頬に流れる涙に熱が宿る。
「シンシアはいつも、あったかいね」
「なんですか、それ」
シンシアが泣き笑いの声を上げる。つられてアレサも少し笑う。
静かな星の海に、ふたりの泣き笑いが響いた。
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