第3話【流れ星】
「明日は実習です。実際に星の最期を見届けてもらいます」
授業が終わり、明日の予定を確認したハンナの言葉にアレサたちの表情が明るくなった。
実習は星読みへの明確なステップアップになる。授業を受け、課題をクリアしているばかりでは星読みに近づく実感が薄いが、実習が始まれば本格的な星読みになるための訓練が始まる。ゴールが近づいているということだ。
加えて、アレサたちのチームは星の観測の成績が抜群に良い。これは、ほかの分野で足を引っ張りがちなアレサの得意分野であることが大きかった。
アレサの観測記録の正確さと緻密さは、候補生の中でも群を抜いている。その分野だけに限っていえば、筆頭候補生であるクラリスにも全く見劣りしない。
「いよいよ本格的な実習ね。担当する星の記録は?」
自室に向かう道すがら、クラリスが言う。
「もちろんばっちりだよ」
アレサが記録帳を振る。クラリスは記録帳を受け取り、明日看取ることになる星の記録に目を通した。
「うん、文句なし。相変わらず、星の観測だけは感心するわ。これだけ精密な記録をつけているのは私かあなたくらいでしょ」
「アレサさんがいてくれるおかげで、私も安心できますよ」
久しぶりに3人の会話は明るく弾んだ。
アレサが謹慎を受けてからというもの、ほかの候補生の陰口にさらされる3人の雰囲気はどこか暗かった。
自分のせいで、という負い目があったアレサも、この明るい雰囲気に胸をなでおろす。
クラリスから返された記録に、アレサも目を通した。
今日にいたるまで、まったく異常の見られない健康な星だ。このまま問題なく寿命を迎えることができれば、また新たな星となって生まれてくるだろう。
生まれ、消え、そしてまた生まれる。その輪廻を観測することは星読みにとって最大の喜びでもある。
「私、最後にまた様子を見てくるね」
「あ、私も行きますよ」
「私は戻って休むわ。明日に響くといけないし」
「うん、それじゃあまた明日」
クラリスと別れ、アレサとシンシアは観測室に向かう。
使い慣れた観測道具を組み立て、アレサは夜空をのぞき込んだ。
今日も星は静かにまたたいている。美しい夜空だった。
「全体の異常はなし、と。明日私たちが見る星は……」
視線を移し、明日看取る予定の星を探す。
その時、アレサの目が違和感をとらえた。
「ん?」
「どうしました?」
記録をつけていたシンシアが記録帳から視線を上げる。
「なんだろう、あの星……少し、揺れてる?」
アレサは観測道具から目を離し、軽く両眼をこすった。
星読みにとって目は命よりも大事なものだ。星の異常は目の錯覚で済ませられるものではない。
「どこですか?」
シンシアも観測道具に目を付けた。その表情がすぐに曇る。
「確かに、少し揺れているように見えますね。なんだろう、今までこんなこと……あっ!」
シンシアが短い悲鳴を上げる。その声に反応して夜空を見上げたアレサも、その現象を肉眼で見た。
光の尾を引き、星が落ちていく。長く尾を引いたそれは、やがて夜空の闇に溶け込むように消えて行った。
「流れ星……」
アレサは思わずつぶやいた。
流れ星は、正しく寿命を迎えることができなかった星の最期の姿だ。星読みに看取られることなく最期を迎えた星は、輪廻から外れて完全に消滅してしまう。
正常な状態であればあり得ない。星読みが星の最期を見誤ることがあってはならない。ゆえに、流れ星は最大の異常事態だ。
「私、先生を呼んできます!」
シンシアは観測室から飛び出して行った。
ひとり残されたアレサは、ただ茫然と夜空を見上げる。
「ぼうっとしてる場合じゃない!」
アレサは観測記録を引っ張り出し、今しがた流れて行った星の記録を確かめる。
「あった」
目的の記録はすぐに見つけることができた。ここにある観測記録のほとんどはアレサがつけたもので、その内容は大体頭に入っている。
震える指で記録をなぞる。
やはり、まだ寿命を迎える予定のない星だ。そして、少なくとも昨日の観測の時点で異常の兆候は見られない。
最後に観測した、揺れる星。アレサも星が揺れるなんていう異常は聞いたことがない。だからこそ目の錯覚を疑った。
「どうして、何が起こったの」
考えたところで、アレサにその原因がわかるはずもない。
「星が落ちたって?」
息を切らせて観測室にクラリスが飛び込んでくる。ハンナを呼びに行くついでにシンシアが声をかけたのだろう。
「うん……落ちる直前、少し揺れているように見えたけど、昨日までは何の異常もなかった」
そういってアレサは記録をクラリスに差し出す。
記録を受け取ったクラリスは素早くそれに目を通し、額に手を当てる。
「アレサがそう言うなら、本当に異常はなかったんでしょうよ。落ちる前に星が揺れた? そんな話聞いたこともない」
思い出したようにクラリスは顔を上げる。
「声は?」
「ううん、今回は何も聞こえなかった」
「そう。はあ、大事な実習前だってのに」
「そう、だね」
アレサは気落ちするクラリスをなだめながら、落ちて行った星の最期を思い出していた。
あの星は何を思って落ちて行ったのだろう。まだ消えるはずのなかった星が消える。それはどんな気持ちなのか。そればかりがアレサの胸を騒がせた。
「星が落ちたと聞きましたが」
シンシアに連れられてハンナが観測室に入ってくる。
アレサは事の次第を報告し、落ちた星の記録をハンナに見せた。
ハンナは記録に目を通し、眉間に指をあてて深く考え込む。
「確かに、星の記録に異常はありません。そして、あなたたちが見たという、揺れる星。そんな異常も聞いたことがありません。ですが、これは候補生であるあなたたちの責任の外で起きたこと。担当の星読みに確認しなければならないので、この記録はしばらくお預かりします。あなたたち、今夜はもう部屋に戻ってゆっくりお休みなさい。明日の実習は予定通り行いますよ」
「わかりました」
ハンナに促され、アレサたちは素直に観測室から出て行った。
3人の背中を見送ったハンナは、あらためて記録に視線を落とす。そこには担当する星読みの名前が書かれている。その名を見て、ハンナの表情はますます暗くなった。
◆ ◆ ◆
翌日、星読みたちは少しざわついていたものの、おおむね普段通りの日常が流れた。
岸に集まったアレサたちは、それぞれの櫂を手に接岸されている船の点検をする。
空の海を渡る船と櫂は、星読みひとりにつき専用のものが用意されている。整備点検を専門に行う整備官が日々の点検はしているが、最終的な点検が星読みに義務付けられている。
夜空を渡る船に異常が起これば、最悪の場合、星読みは永遠に星の海を漂うことになる。この広大な星の海で行方知れずになった星読みを探すことは、到底不可能だからだ。
そもそも、船から転落すればその時点でおしまいだ。だからこそ、船出には念入りな事前準備が必要になる。
「よし、船は万全ね。そっちは?」
「こっちも大丈夫」
「私も問題なしです」
「揃いましたね」
ハンナがやってきて、それぞれの船を確認する。問題がないことを確認してうなずくと、3人に今日看取る星の資料を渡した。
「今日の観測でも異常は見られませんでした。このまま予定通り寿命を迎えることでしょう。本日の任務終了まで、アレサ、クラリス、シンシア3名の候補生制限を限定的に解除します。さあ、手を出して」
ハンナに促され、アレサたちはそれぞれの両手をハンナに差し出す。
ハンナは順番に3人の手を握っていく。ハンナがアレサたちの手を握ると、アレサたちの手首に光の腕輪が現れ、消えていく。
「普段は意識してないけど、実際に見るとあらためて思い出すわね」
クラリスが自分の手首を握りながら言う。
今の腕輪は、候補生たちが最初につけられる、能力を制限するための手枷だった。
普段は見えないし触れもしないが、この手枷をつけている状態で星に触れることは命にかかわる。これは、アレサもつい最近思い知ったことだった。
これを外すことができるのは、候補生を直接監督している監督官だけだ。この手枷を外されることで、候補生は正式に星読みとして認められる。
アレサも手枷を外された手首をそっと撫でる。限定的とはいえ、この瞬間はアレサたちも正規の星読みと変わらない能力を備えていることになる。その責任からか、普段よりもかえって両手は重く感じられた。
「さあ、行ってらっしゃい」
ハンナに見送られ、アレサたちはそれぞれの船に乗り込んで星の海へと漕ぎ出して行った。
揺れる船の上で、アレサは目標を見失わないように、必死に手元から視線を引きはがして進行方向を見据える。操船に慣れないうちは、どうしても手元や足元などに意識が行ってしまう。しかし、それで目標を見失えばたちまち迷子になってしまう。
アレサは隣で舟を漕ぐクラリスに視線をやる。
さすがにクラリスの操船は見事だった。やたら揺れて不安定なアレサと違い、まるで滑るように星の海を進んでいく。それでもアレサの隣を進んでいるのは、わざとペースを落としてくれているのだろう。
シンシアの操船も無駄がなく美しい。筆記試験の成績はアレサと大して変わらないシンシアも、操船技術は目を見張るものがあった。
「はあ、つくづく、思い知らされるな」
アレサはため息をついた。
そうこうするうちにアレサたちは目標の星にたどり着いた。船を停め、星の様子を観察してみる。
ほかの星よりいくぶん光が弱いが、寿命を迎える星としては正常な範囲だ。
「問題なさそうね」
「よかったですよ、本当に」
クラリスとシンシアの表情が緩む。
『ふたりもちゃんと緊張してたんだ』
アレサの表情も少し緩んだ。
――死にたくない。
アレサの表情がハッと曇る。
――俺はまだ、死にたくない。
「そんな……どうして」
「アレサ?」
「アレサさん?」
突然表情を曇らせたアレサを見て、クラリスとシンシアが心配そうにのぞき込む。
「声が、聞こえる。まだ死にたくないって、星が」
アレサの表情は真っ青になっていた。
「落ち着いて、アレサ。大丈夫だから」
「でも」
「アレサ!」
クラリスの鋭い叱責が飛ぶ。
アレサはびくっと、体を震わせながらクラリスを見た。アレサの表情は今にも泣きだしそうだった。
アレサたちの目の前で、星が明滅を始める。それはまるで、まだ死にたくないともがいているように見えた。
――助けて!
悲痛な叫びがアレサの耳を打つ。
「もうやめて!」
アレサは耳をふさぎ、その場にしゃがみこんでしまう。
「アレサ、しっかりなさい。ちゃんと立って!」
「アレサさん!」
ふたりの声に、アレサはいやいやと首を振る。
「まったくもう、世話が焼ける!」
クラリスは櫂を置き、身軽にアレサの船へと飛び移った。
「アレサ」
クラリスがアレサの手を取ると、アレサはその手を振り払おうとした。しかし、クラリスはしっかりとその手を掴んで離さなかった。
「アレサ!」
クラリスは力を込め、アレサを無理やり立ち上がらせた。そして、アレサの顔を両手で包み、しっかりと目を合わせる。力強い両目が、まっすぐにアレサを見据えていた。
「聞いて、アレサ。また星の声が聞こえたのね? 見て、あの星は今、苦しんでる。誰だって死ぬことは恐ろしい。死にたい命なんてない。だからこそ、星読みはその命に寄り添い、看取らなくちゃいけない。わかるでしょ。このままじゃこの星も落ちるのよ」
言い聞かせるようにゆっくりと、クラリスは力強い口調で言った。
「私、できない。クラリスが……」
「あなたがやるのよ、アレサ」
「シンシア」
助けを求めるように、アレサはシンシアのほうに視線を泳がせる。
シンシアは軽く唇を噛み、首を振った。
「私も、クラリスさんの言うとおりだと思います。声が聞こえたなら、星はきっとアレサさんに看取ってほしいんだと思います」
クラリスは手を放し、アレサを星に向き直らせ、そっと背中を押した。
アレサは明滅を繰り返す星をじっと見つめる。
――いやだ、死にたくない。
「そうだよね。怖いよね……大丈夫、私がいるよ」
アレサはそっと星に手を伸ばす。その指先が触れると、星はおびえるように激しくまたたいた。
「大丈夫、少し休むだけ。また生まれて、そうしたらまたこの星の海で会えるから。だから……おやすみなさい」
アレサの言葉が届いたかどうかはわからない。
それでも、星の明滅は収まり、アレサに抱かれたまま、まぶたを閉じるようにゆっくりと光を失っていく。
アレサが手を離すと、星は静かに光を失い、弾けて夜空へと溶けていった。
ふいに、アレサの膝から力が抜けた。危うく船から落ちそうになるのを、しっかりとクラリスが抱きとめる。
「立派だったわ」
アレサの頭を胸に抱きながら、クラリスがささやく。
「……うん」
クラリスの胸に顔をうずめながら答えるアレサの声が震える。
「やれやれ」
クラリスはため息をつきながら、どこかすがすがしい表情でアレサの頭をなでる。
こうして、アレサたちの星読みとしての実習は無事に終わった。
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